おわりに
この本を手にした皆さん方の中には、すでにスピリチュアリズムに触れ、霊界通信などを読んだことのある人もいらっしゃることでしょう。現在までに、人類が得た霊界通信(霊界のスピリットが送ってくる通信)は数多くありますが、その中で内容の深さ・思想的スケールの大きさという点で『シルバーバーチの霊訓』、モーゼスの『霊訓』アラン・カルデックの『霊の書』は傑出しています。まさに“世界三大霊訓”と呼ぶにふさわしい霊界通信です。
ところで本書に登場してくる「ピエロ霊」とは、その語った内容・言い回しから判断すると、おそらく「シルバーバーチ霊」ではないかと推察されます。
実は、一九七一年、フリント(本書の霊媒)はシルバーバーチの交霊会に招待され、シルバーバーチと対談しています。その際、フリントは自分が物理霊媒である立場から「スピリチュアリズムが広まるためには、もっと物理霊媒を多く養成する必要があるのではないか」と主張しています。
それに対してシルバーバーチは、今の時代は、かつての物理霊媒現象に代わって心霊治療が中心になっていること、とはいっても、いろいろな心霊レベルの人がいる以上、低いレベルに合わせた物理現象もそれなりに有意義であるという返事をし、フリントの物理霊媒が全面的に必要であるという意見を間接的に否定しています。
本書のところどころで述べられていることから分かるのですが、この本は、霊界側の綿密な計画によって地上にもたらされたものです。そしてその計画を可能にするために、地上に、フリントとウッズとグリーンの三人が準備されたのです。
彼らの交霊会では、霊界側の霊媒としてミッキーという、かつてのロンドンっ子が立てられていますが、全体はエレン・テリー霊(指導霊)によって統括されています。さらにその上に、おそらくシルバーバーチ、またはそれに匹敵する高級霊が控えているものと思われます。
そうした態勢のもとで、人類に広く「死後の世界の存在」を知らせることを目的として計画が進められてきました。
死の直後の世界(幽界とかアストラル界と言われる)の様子を語っている霊界通信として、内容の正確さ・信憑性などの点で評価されているものに『ブルーアイランド』『ジュリアの音信』『ワードの死後の世界』などがありますが、本書はそれらと比較しても決して
死後の生命はあるのか? 死んでも今の自分は存在し続けるのか? このことを知ると知らないとでは地上の生き方は全く違ってきます。死後の生命があるかどうかは、人類にとって最も重要な問題です。
「死後もあの世で意識を持って生き続ける。死によって生命が終わるのではない」――これを難しい言葉で「霊魂説」と言います。本書では、一貫してこの「霊魂説」を取り扱っています。
スピリチュアリズムでは、これまでたびたび「霊魂説」を証明するための実験・研究がなされてきました。その圧巻とも言うべきものが、クルックス博士による“物質化霊”(幽霊現象)の実験でした。簡単にそのあらましを述べましょう。
クルックス博士といえば、十九世紀後半のイギリスを代表する知識人であり、その時代の世界第一級の科学者でした。今日でも高等学校の物理の教科書に出てくるクルックス放電管の発明者でタリウム元素の発見者でした。このクルックス博士が、スピリチュアリズムの研究に取りかかりました。
初め彼は、“スピリチュアリズムなどというデタラメを暴いてやろう”というつもりだったようです。彼が行った中で最も有名な実験が「ケーティ・キング霊」に関するものです。当時、十六歳の霊媒少女クックが入神状態に入ると身体からエクトプラズムが出て、それによってケーティ・キングという女性の幽霊がつくられるのです。
クルックス博士は、実験前は“そんなことが起こり得るはずがない”と頭から否定していました。しかし実験が始まると、博士の前に現実にそのケーティ霊が現れました。そして地上の人間のように話しかけたり握手をしたりするのです。そして実験が終わると博士の目の前で徐々に消えていくのです。
こうしたことが足掛け二年にわたって続けられ、さしものクルックス博士も自分の考え方を根本から変えることになりました。霊魂があること、そしてそれが死後も生き続けることを受け入れるようになりました。「霊魂説」の正しさを認めたのです。博士はケーティ霊に頼んで四十二枚の写真を撮っています。
実はこの一連の出来事は、あの世にいる高級霊によって意図的に仕組まれたものでした。地上の最高の知性人で、しかも徹底した懐疑論者であり、世界的に名前の知られたクルックス博士をわざわざ選び出し、その彼の目の前で霊魂実在の証拠を見せつけ、強引に考え方を変えさせたのです。これは「地上の懐疑論者全部を証拠によってねじ伏せる」という意味があったのです。
クルックス博士ほどの知性の持ち主は、現在でもそれほど多くいるわけではありません。この本の読者の誰よりも知性的であったはずです。そして私たちが考えつくような、ありとあらゆる疑いを持っていました。さらに彼は、巷にたくさんいる“インチキ霊媒”を暴く名人でもあったのです。その人間が考え方を全く変えて「霊魂説」を受け入れたということなのです。
この話をどのように受け取るかは、皆さん方、一人ひとりに任せることにいたしましょう。
“死”は、誰にも避けられないもの、今から何十年か後には、私たちみんなが迎えなければならない厳粛な事実です。そのとき、この本に書いてあったことが事実であるかどうか、自分の目で確かめられるはずです。
霊魂説が正しいということは、「死後の世界がある」「死後の生活がある」ということを意味します。スピリチュアリズムでは当然のこととして、霊魂の存在、死後の生活・死後の世界の存在を認めます。しかしこうしたことは、実はスピリチュアリズムのほんの入り口にすぎません。それはスピリチュアリズムの本題ではありません。
スピリチュアリズムの本当の目的は、死後にも永遠の生命があるという事実のもとで――「地上でどのような生き方をすべきか」を説くことなのです。地上人類としての正しい生き方、日常の心がまえ・考え方を教えることが、スピリチュアリズムの本来の目的なのです。この本では、それについてはあまり触れていません。
スピリチュアリズムの明かす人生哲学は、従来の宗教・思想に比べ、はるかに深くて広大なものです。スピリチュアリズムに関心を持たれた方は、ぜひスピリチュアリズム関係の書物を読んでください。何百年か後には、これまでのような組織宗教は地上から姿を消すことになるでしょう。しかし宗教的世界がなくなるわけではありません。スピリチュアリズムによる、いっそう深い宗教的生き方・考え方が“人類共通の常識”となっていくのです。
本書によって一人でも多くの方がスピリチュアリズムへの関心を深め、新たな人生を歩み出してくださることを心から願っています。
平成八年九月 スピリチュアリズム普及会