2.ジョージ・ウッズの疑問
…人は死んだらどうなるのか?
ジョージ・ウッズの疑問
アルフ・プリチェットが死ぬ三年前――一九一四年八月の上旬、「ジョージ・ウッズ」はノーサンプトンシャイアーの騎馬義勇兵として、イギリス遠征隊とともにフランスに向けて出発した。弱冠二十歳であった。彼は神経質で反骨精神に富んだ性格の持ち主であった。
彼の父親は典型的な地方地主で、昔、落馬の際にももを押し潰されびっこをひいていた。しかし、その後もずっと猟には出かけていた。彼は毎朝、妻や子供、召し使いのための祈りを欠かすことはなかった。
若きウッズは、人間の死であれ動物の死であれ“死”を恐れていたが、それを隠して生きてきた。そして父の希望もあって軍隊に入ったのである。
彼は歴史書で「モンスからの退却」と呼ばれている、血なまぐさい激戦地で戦っていた。圧倒的多数のカイザーの軍隊(ドイツ軍)の前に、多くのイギリス兵が戦死した。一回目のイェプレスの戦闘の終わり頃には、初め千人も配属されていた兵士は、わずか一人の将校とたった三十人の兵士になっていた。それは彼にとって決して忘れることのできない体験だった。
そのときのある出来事が、彼のその後の人生にずっと影響を与えることになったのである。致命傷を負った仲間の兵士が、彼の手を強く握りしめて言った。「死後の世界はあるのだろうか? 死んだらいったい、自分に何が起きるのだろうか?」――彼は自信を持って答えることができなかった。そしてその兵士は死んだ。
ウッズは同じ質問を従軍牧師にしてみた。
「戦争で死んだ兵士は、その後どうなるのでしょうか?」
「聖書を信じなければなりません」と牧師は答えた。
「死後の世界を証明するために、この地上に戻ってきた人はいないのですか?」
「誰もいません。イエス・キリスト以外には」
ウッズは運がよかった。一九一五年、彼は頭を負傷し目が見えなくなったが、六カ月後、病院で右目の視力を取り戻した。しかし左目は二度と見えるようにはならなかった。彼は一九一六年に退役して、父親の新しい仕事(ハードウィッケの四百エーカーの農場の仕事)の手伝いをすることになった。
しかし戦場で兵士が死の間際に言った、「人間は死ぬとどうなるのだろうか? いったい何が起きるのだろうか?」という質問の答えを知りたいという願望は、もはや後に引くことができないほど強いものになっていた。そのため二十代、三十代の大半を、ありとあらゆるキリスト教会に足を運ぶことに費やした。だが彼に満足な答えを与えてくれた教会はなかった。
三十代も終わりに近づいた頃、父親が死んで農場経営は苦しくなった。そこで彼はクロイドン(ロンドン南部郊外)に、妻や息子とともに移り住んだ。息子の名前はニジェルといい、少し前に髄膜炎を患っていたが、このときは快方に向かっていた。
クロイドンに移って間もなく、彼が現代風の赤レンガの建物の近くを歩いているとき、一つの掲示板に目がとまった。それには、「ここにきて死者の話を聞きませんか」と書かれていた。
次の日曜日、彼はワクワクするような思いで、こっそりとその会合に出てみた。そしてドアの近くの目立たない場所に座った。彼は生まれて初めて“スピリチュアリスト”の集まりに参加したのである。その集まりでは透視能力(千里眼)のデモンストレーションが行われたが、彼には特別印象深いものとは感じられなかった。それでこっそりとその場を抜け出そうとした。
そのとき会を進めていた女性が、「後ろにいらっしゃる男性の方に申し上げたいことがあります」と言った。彼女が自分のことを指していることが分かり、ウッズは当惑してしまった。
「あなたのお父さんが、ここにきていらっしゃいます」と彼女は語り始めた。
「彼は、自分の名前は『ウィリアム・ウッズ』といい、地上にいたとき事故に遭ってびっこになった、とおっしゃっています。そして息子のジョージ――あなたと話がしたい、とおっしゃっています。彼は、自分は地上時代にはハードウィッケという所に住んでいた、とおっしゃっています。彼は今、あなたの息子さんのニジェルのことをたいへん心配していらっしゃいます。そしてニジェルはベッドで寝ていなければ、また病気がぶり返すかもしれない、とおっしゃっています」
ウッズはびっくりして立ちすくんだ。「これはトリックなのか? 一度も会ったことのない女性が、どうしてこんなことを言えるのだろうか? 自分の長年の疑問に答えるために、父が死の世界から戻ってきたとでもいうのだろうか?」――彼の心は混乱した。家に帰ってからも、しばらく他のことを考えることができなかった。彼は自分の人生で初めて手ごたえのあるものに出会ったのである。
ウッズのライフワークの始まり
彼は心霊研究協会に入会した。そこで彼は、その後の彼の心霊研究に大きな影響を与えることになる一人の人物と出会うのである。「ドレイトン・トーマス」はメソジスト教会の牧師であったが、一般の教会員が眉をひそめるような変わったグループにも属していた。
そのグループのメンバーは、これまでのキリスト教の頼りない教えに飽き足らず、それに取って代わるような思い切ったことを何かしようという、共通の情熱で結ばれていた。そのとき彼らはまだ確たるものを持っていたわけではないが、グループのメンバーの大部分はスピリチュアリストであった。
彼らはまず、一九〇〇年前のキリスト復活の話が影響力を失いつつある状況の中で、二十世紀に死んだあの世の人々からの通信によってキリスト教の影響力を取り戻そう、と考えていた。しかしこれは当時としては性急すぎた。今日では、サイキックやスピリチュアルに関心を持つ教会員は多くなり、英国国教会が後ろ盾になったり、メソジスト教会の指導のもとで交霊会を持つに至っている。
しかし一九四五年の時点では、大主教「ラング」は、彼自身が主催したスピリチュアリズムに関する委員会の報告レポートを、自ら握り潰しているのである。当時はまだ、死者からのメッセージは“悪魔の仕業”と考えられていたのである。
ドレイトン・トーマスはウッズに、イギリスの著名な直接談話霊媒を紹介した。霊媒「レスリー・フリント」は、不思議な能力・特殊な才能を持つ人物と言われていた。死んで別の世界に行った人間の霊を引き寄せる能力を持ち、また“エクトプラズム”と呼ばれる特殊な物質で、彼ら死者たちに、地上の言葉を話すための発声装置を提供することができたのである。
エクトプラズムは霊媒本人と交霊会の参加者の身体から流れ出し、発声器官の“レプリカ”(模擬声帯)をつくり出すのである。この発声装置は、霊媒の頭上、約三フィートの位置に形成される。これを通して“スピリット”(死者の霊)は、自分の考えを述べることができるのである。だが、この発声器官が形成されるプロセスは、現在のいかなる科学者でも説明不可能である。
ウッズは交霊会に通い続けた。そこで先祖と名乗る多くの死者の声が彼に語りかけた。彼らの声のトーンと語った内容から、ウッズはそれらが本物だと確信した。彼の長年の疑問に回答が与えられた。彼の人生の目的は達せられたかのように思われた。しかし、それは彼の“ライフワーク”のまさしく始まりだったのである。