21.より高い界層世界への旅立ち

死んであの世に赴いた者には、一人の例外もなく次なる道が示される。では彼らは、次にどこへ導かれて行くのであろうか?

ローズの満足した生活

一九五三年、ローズはベッティー・グリーンが初めて参加した交霊会で、あの世の生活について述べた。彼女は自分の住んでいる新しい世界に心の底から満足している様子であった。北部の地方から出てきて苛酷な仕事をしている賃金労働者が、長期の休暇の初日を地中海の洋上でイスに横たわり日光浴をしたなら、さぞかし満たされた気持ちになるであろう。ローズもちょうどそれと同じで、新しいあの世の生活に満足しきっていたのである。

ローズの次の世界への不安

それから十年後の一九六三年、彼女はまだ以前の世界に満足していた。しかしこれまでのような満足感に浸りきるという様子は、少しずつ変化しかけていた。太陽の下でただ座っておしゃべりするような生活は、人間の唯一の目的ではないし、彼女に永続的な満足感を与えることはできないのである。

ローズは言った。

「こちらの人々が私に、別の世界へ移動するように話して聞かせるのです。しかし、それは私とは違った方法で進歩したいと考える頭のいい人にとってのふさわしい道だと思います。私は今のままで幸せなのに、なぜ別の世界へ行かなければならないのですか? 彼らはいつも“あなたは移動すべきだ、生活を変えることを考え始めるべきだ”と言うのです。しかし私はそのようなことはできません。

【少し中断】

最初にこちらへきていったん落ち着いたとき、ここでの生活がどのくらい続くのか、と考えました。長い間ここにいるようになるのかしら、また昔のような生命を得て再び死ぬことになるのかしら、などと考えました。私はすでに新しい生活を始めていましたが、ここ以外にも別の世界があるのかしら、などと考えたりしました。しかし、こちらの世界には“死”はないのです。

本当に不思議なことですが、人間はいつまでも同じ状態にとどまり続けることはできないようです。いずれ今までの生活に退屈して嫌気がさすようになったり、自分がいる世界のすべてを知り尽くしたと考えるようになります。すると一種の眠りのような状態に陥り、別の世界へ行くのです。

……私はそれが怖いのです。私は別の所へ行きたくありません。多くの友人が“あなたはここを早く出るべきだ”と言います。しかし私にはそれが理解できません。なぜ人がせっかく手に入れたものを手放さなければならないのですか? その中で幸せだというのに。それなのにわざわざ自分の知らないものを手に入れよ、と言うのですか? 私はそんなものはいりません。私は今のままで十分に幸せなのです」

このすぐ後で、彼女は別の世界へ行くつもりなどない、と言っている。

高い世界へ行ったローズ

それから三年後の一九六五年、ローズは再び現れた。そのときウッズは、彼女の様子が以前とは違っていることに気がついた。彼女の言葉から以前のロンドン訛りが消えていた。そして彼女の話には威厳のようなものさえ感じられるようになっていた。

「ローズさん、あなたはもう別の世界へ移られたのですか?」

「面白い質問をされますね」

「あなたは先回、別の世界へは行きたくない、とおっしゃいました」

「確かにあのときは、そう思いました。しかし私はすでに別の世界へ移りました」

「新しい世界へ行ったのですか!」グリーンは驚いて大声をあげた。

「ええ、でも“すでに移ったのですか”などというような言い方をされると、とても奇妙に聞こえます。皆さん方がそちらの世界で“移動”について考えるときは、きっとトラックとか荷造りとか、積み荷降ろしのことなど思い浮かべているのではないでしょうか。しかしこちらの世界での移動には、そうしたものは必要ありません。そういうことは全くしなくてもいいのです。

別の世界への移動は地上に比べ簡単にできます。しかし、それは考え方によっては逆にかなり難しいことだとも言えます。というのは、こちらではその人が自分自身で移動できる状態にならないかぎり、不可能なことだからです。地上ではお金さえあれば好きなときに移動することができます。しかし、こちらではお金は何の意味も持ちません。その人自身の本性ならびに人格が、より高い界層世界へ行くにふさわしいものになったときのみ、初めて移動できるのです。ですから自分が移動したいからといって、すぐにできるというものではないのです」

「現実には、どのようにして移動するのですか? それはどのような体験なのですか? それは特別な体験なのですか?」とグリーンが尋ねた。

「それは本当に重要な問題です。私よりはるかに多くの経験を積んでいる他の人に聞いた方がいいかもしれません。それは、はっきりと知っておくべき問題なのです。そうすれば死後、人間が落ち着く環境は、一応はその時点でのその人にふさわしい世界であるけれども、いつまでもそこに満足していてはならない、ということがはっきりと分かるようになるでしょう」

「今、あなたのいる新しい世界はどのような所ですか?」ウッズが聞いた。

「もちろんとても美しい世界です。以前、私がいた世界よりはるかに素晴らしい所であるとしか言いようがありません。言葉では説明のしようがないのです。私は前よりずっと幸せです。それは今、ここで私は仕事をしているからなのです。私は前の世界にいたときには実際、何もせずに時を過ごしていました。もちろん子供たちにはいくぶん興味があって、彼らのために少しばかりの奉仕をしてきました。が、それは積極的な行為と言えるものではありませんでした。しかし今の私は当時とは違います」

「どんな仕事をなさっているのですか? ローズさん」とグリーンが質問した。

「皆さんには奇妙に聞こえるでしょうが、私は大学、あるいは学校のような所に通っています。そこで、人間についてとか、われわれの内に存在する潜在能力や創造力などについて多くのことを学んでいます。

もちろん私は地上にいたときには創造力を用いるようなことはなく、そうした背景もありませんでした。そのための必要な教育も受けてきませんでした。ここで私は、すべての人間は誰でも大きな可能性を内部に秘めていることを知りました。また人間は自分で新しいものを創り出す能力ばかりでなく、他人に自分の経験を教える能力を持っていることも分かるようになりました。

今、私は別の世界へ行くことができます。そして以前より、もっと自分自身をよく表現することができるようになりました。いろいろなことを他の人に説明してあげることもできます。これまでの私は自分を上手に表現することができませんでしたが、今の私にはそれができるのです。それは私にとって素晴らしいことです。

今、私は低い世界に赴いて、そこの人たちに少しでも真理を知ってもらおうと働きかけています。“自分たちがいる状況は大部分が自分たち自身の過失なのだ”という事実を悟ってもらうために語っています」

所有欲の無意味さ

グリーンが言った。

「ローズさん、私があなたにお聞きしたかったのは、いつあなたは前の世界から今の世界へ行ったのか、ということです。あなたは眠りに入って目が覚めたとき、すでに別の世界にいたのですか? それとも少しずつ新しい世界へ移動して行ったのですか?」

ローズはその質問には直接答えず、次のように言った。

「私は荷物をまとめたり、トラックの手筈を整えたりするようなことはしませんでした。なぜなら、ここではそうしたことは全く不必要だからです。ご存じのように、こちらの世界で大切なことは、自分のすべての所有物は――それらは地上の存在物と同様、実際に存在するのですが――その人がそれを必要だと思わなくなるまで存在するということなのです」

「人はそれらがなくなっても、やっていくことができるのですか?」

「そうしたものはすべて必要ないのだということが分かるようになります。それがその人の進歩の始まりです。あなたが人間に対してであれ、モノに対してであれ所有欲を持つということは――それはいかにも人間的なことではありますが――本当は善いことではないのです。あなたは何の所有欲も持たずに“誰かを愛する”ということを身に付けなければなりません。それはとても大切なことなのです。

あなたが愛する人々やモノそれ自体にも、今のあなた自身が持っているのと同様の“存在意義と尊厳性”があることを知らなければなりません。特に一人の人間を深く愛すれば愛するほど、あなたの愛から所有欲がどんどん減っていくのです。あなたは、ただ相手の幸せだけに関心を持っていればいいのです。本当の愛があるときには、本当の理解があるものです。そのとき、あなたは一人の尊厳性を持った人間――“神の子”としての義務を果たしているのであり、単なる一個人の利益のために働きかけているのではありません。

あなたが地上の自意識を拭い去るとき、それは他の人のモノを奪おうとする所有欲を捨て去ることであり、自分自身をより宇宙の摂理と調和させることになるのです。またそれは、相手とより密接な触れ合いをすることなのです。

他人を助けたり他人を思いやることは、間接的にあなた自身のためになるのです。ただしあなたは、それ(自分に利益がもたらされるということ)を目的にして愛の行為をしようと思ってはなりません。

今の地上では、大部分の人間は他の人のことを考えるとき、また他の人を助けようとするとき、しばしば自分に利益が返ってくることを期待します。例えば一人のある妻を例にあげるなら、“もし自分が夫に一生懸命に尽くしたら、夫の仕事は好転するようになり、それによって素敵な家や新しい車まで買えるようになるかもしれない”と考えるのです。

しかしこちらの世界では、他人のことを思うとき、そうした打算的・利己的な考え方はしません。常に自分が相手のために何ができるのか、ということだけを考えます。どうしたら他の人々を低い所から引き上げてあげられるのか、どうしたら彼らに新しい視野・知識を持ってもらえるのか、ということだけを考えるのです。そして彼らがこれまでと違った考え方ができるように手助けをします。

それによって彼らは、自分たちが以前には持てなかった平和を手にすることができるようになるばかりでなく、今度は代わりに他の人々の手助けをすることができるようになるのです」


「ローズさん、今のあなたの家は前とは違っていますか?」とグリーンは話題を変えるため質問した。

「その質問に対する直接的な答えではないかもしれませんが、人間は、もし自分が進歩すればもっと暮らし向きがよくなるとか、物質的に恵まれるようになると考えがちです。

しかし霊的に目覚めると、家とか家具とかいったものに対する関心がなくなっていきます。人間が進歩するということは、多くのものを手に入れるようになるということではありません。ある意味では、所有欲の観点から見れば、むしろそうしたものは少なくなっていくのです。反対に心の進歩にともない、多くの愛と心の平安・平静さ・幸福感を手に入れることができるようになるのです。

なぜならあなたが他人に働きかけ、与え、愛し、他の人々と一つになっているときこそ、あなたの心は平安なのです。別の言葉で言えば、あなたが本当の自分を発見するのは、あなたが自分自身の所有欲を捨てたときである、ということなのです。

誰も長い間、同じ満足感を持ち続けることはできません。こちらでは欲しいと思うもの、必要だと思うものは何でも与えられます。しかししばらくすると、それらに飽きるようになり他のものが欲しくなります。そのうち今あるものが、自分たちが本当に願っていたものではないことに気がつくようになるのです。

私は以前、自分が持っていたものに満足していました。私は少しは他人のために尽くしていましたが、完全に与え尽くしていたわけではないことに気がつきました。私の持っていたものは、以前ほど自分にとって大切ではないということが分かり始めました。そして自分が努力しなければならないことは他にあると分かるようになったのです。私はそれが何かを見つけ出さなければなりませんでした。

こうしたことは、あなた方の世界でも同様です。人間は地上で人生を送るについては、いろいろなものを所有します。また自分たちのために新しくものをつくったり環境を整えたりします。小さな素敵な家や家具も手に入れます。そしてしばらくは、それを幸せだと考えます。

しかし大切なことは、もしあなたが何百年もそうした生活を続けるなら、それに飽き飽きしてしまうということです。本当になくてはならないものは、心や霊に係わることなのです」


ローズは、まだ誰も述べたことがない高い世界へと旅立って行った。そこは地上からはあまりにも隔たっているため、われわれ地上人の理解の及ばない世界なのである。

テリー・スミスの話

テリー・スミスはあの世へ行って、直ちにその様子を伝えてきた。彼のガイドは、居間にいたネコは六十歳だと言った。

「六十歳ですって! 私には信じられません。ネコが九度生まれ変わるという話は聞いたことがありますが……

「人間は死後も生き続ける存在なのです。今、あなたは地上人生に引き続いて、こちらでも生きています。そのうちあなたは、ご自分の生命がこれからもずっと続くことに気がつかれるでしょう。いわゆる“死んだ”というだけで人生が終わるわけではないことが分かるようになるでしょう。死ぬことによって、また別の人生が始まるのです。当面は、それについてはあまり心配しないでください。別の言葉で言えば“あなたは永遠に生き続ける”ということです。

あなたには、今の世界や境遇にうんざりするときがやってきます。そのとき結果的に、あなたは“ここで学ぶべきものはもう何もない”と思うようになります。そしてもっと別の経験をしたい、と考えるようになるのです。それからより高い世界へ行くようになります。そこでこれまでの世界では経験することのできなかったさまざまな新しい体験をし、多くのことを学ぶようになるのです」

「しかし私には、それはまだかなり先のことかもしれません」


彼が高い世界へ行けるようになるのは、どのくらい先のことなのだろうか?

ジョン・ブラウン(彼はテリー・スミスよりずっと前に死んでいる)は、高い世界へ行くことは、まだずっと遠い将来のことと考えているようである。

「人は、進化の程度の異なるいろいろな世界での生活を体験します。私はそこを“界層世界”と呼ぶことにしますが、さまざまな界層世界での生活を体験すれば誰でも、今の自分にも、かつての自分にも何も価値はないなどと言わなくなるでしょう」(これまでの各界層世界におけるすべての体験が、自分の成長に役立っているということに気がつくようになるということ――訳注

自分の成長レベルに合った世界が一番安らぐ所

ドレイトン・トーマス牧師(彼はウッズに心霊研究所を紹介した。一九五三年に死んでいる)が、あの世から通信を送ってきた。

「あなたは高い界層世界を訪問したことがありますか?」とウッズが聞いた。

「こちらには誰もが従わなければならない法則があります。大切なことは、その人が高い世界へ行くだけの魂の成長内容を持っているかどうか、ということです。高い世界に入るにふさわしい準備ができるまでは、そこへ行くことはできません。もちろんそれ以下の世界へは行くことができます。しかし人は自分の成長レベルよりも高い世界へ入ることはできないのです。その世界にふさわしい内容がないかぎり行けないのです。

私は自分にふさわしくない、まだ自分に準備のできていない高い世界へ行こうとは思いません。が、低い世界へはよく行きます。なぜならそこの人々に与えるものがあるからです。……私は自分より未熟な人々を助けることができます。しかし自分のレベル以上の世界へ行くことはできません。

その一つの理由は、今もし私がそこへ行ったとしても、決して幸せではないからです。おそらく皆さん方は、高い世界へ行けば素晴らしい体験もできるし、もっと幸せになれると考えるでしょう。しかしそうではないのです。

ある意味で、それは地上世界と同じです。どんな人にとっても自分に合った環境にいるときが一番幸せなのです。自分より高い世界へ行くことは、いかにも素晴らしい体験ができるように思われるでしょうが、人は本能的に自分にふさわしい所が一番いいということを知っているのです。自分より高い世界では心が落ち着かなくなり、平安も安らぎも得られません。結局、人は自分の成長レベルに見合った所へとどまるようになるのです」

さらなる高い世界

高い世界にいる進化した霊たちは、そこがあまりにも地上から遠く隔たっているため、ストレートにその世界の様子をわれわれに伝えることができないようである。われわれに届けられる情報は、他の霊から聞いた話とか、あの世の部分的な内容にすぎないことが多いのである。

あの世にはジョージ・ホプキンス(スセックスの農夫)のように、まだ馬や牛の番をしている人たちもいる。そのホプキンスが語った。

「私はこちらにきて、さまざまな世界・状態の違う世界(界層世界)があるということが分かるようになりました。人間は一歩前進するにつれて視野が広がり、理解力が増し、以前は大切に思っていたことが大切ではなくなります。高い世界に至った人間(霊)のある面はかなり変化しているので、それ以前の視点からでは同一人物であるとは、ほとんど認めがたいほどです。

これは人から聞いたことで私はよく知らないのですが、高度に進化した霊は――それは必ずしもというわけではないのですが――身体を持つ必要性を感じないらしいのです。人は、はるかに進化すると身体を持つ必要がなくなり、形態を持って存在することがなくなるということです。私はそれについてはよく分かりませんが」(高次な界層世界では、霊は霊体という形態はなくなり、一種の光源のような存在となる。もちろん個性・個体意識がなくなるわけではない。霊界通信では、時々“光の存在”として表現される――訳注


他の通信霊もホプキンスと同様、「われわれ地上人が高次元界層とコミュニケートすることは期待できない」と語っている。エレン・テリーは、次のように述べている。「霊たちにとっても、さらに進んだ世界について述べることは不可能なのです。地上に近い世界のことなら述べ伝えることはできるでしょう。しかし地上から遠く隔たった世界にいる霊たちが、自分たちの住む世界のことを地上人の言葉で伝えることは不可能なのです」

ホルマン・ハントと名乗る声が一九六二年に現れた。

「実際こちらには、さまざまな界層世界が存在します。……しかし再度申し上げれば、それを皆さん方に説明することはできません。なぜなら率直に言って、私たちにはそれを説明する手だてがないからです。言葉を用いてそれを説明することはできないのです」

ドレイトン・トーマスは言っている。

「私はいつも、イエスが長血を患っていた女性に向かって言った言葉を思い出します。彼女は自分の病気を治してもらおうと思ってイエスの着物に触ったのです。そのときイエスは、彼女に向かって次のように言っています。

“あなたの信仰があなたの病気を治したのです”――イエスは、われわれ一人ひとりの内に力が存在することを知っていたのです。われわれの内にあるその力を理解することが、われわれ自身に救いをもたらすことを知っていたのです。

他の誰かがわれわれを救ってくれるわけではありません。われわれはより高次のパワーに対する信仰を持つことができるし、またそうすべきなのです。そうした信仰(高次のパワーが、われわれに正しい道を示すことを可能にさせるとの信念)を持てるまでは、正しい道を歩むことはできないのです」


信仰ということになれば、次は当然、宗教はどうかということになる。果たして宗教は天国への道と言えるのだろうか? あの世での宗教はどのようなものなのであろうか? 次にそれについて見てみよう。

訳注――スピリチュアリズムでは、死後の世界は多くの“界層世界”から成り立っていることを明らかにしている。死の直後の世界を「幽界」(アストラル界とか精霊世界と言われることもある)と言う。幽界では、まだ地上時代のバイブレーションを多く残している。幽界での生活を通して地上臭が取り除かれてバイブレーションが高まるにつれ、次の世界である「霊界」へ入って行く。本書で言う“次なる高い世界”とは霊界のことを指しているのである。

この本では界層世界と訳したが、死後の世界はバイブレーションの異なるさまざまな世界が一つの場に重複して存在している。各界層世界はバイブレーションが違うため、そこの住人には自分の属する世界だけが存在するように映るのである。異なる世界へ行くということは、バイブレーションを変えることによってなされるのであって、三次元的空間移動ではない。“界層”という表現は、あくまでも地上人の理解のためにそのように言っているにすぎない。

――本書で取り上げられている話の大部分は、次頁の図の「幽界」での出来事である。

霊界の階層世界

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