17.あの世の食事と衣服
あの世に時間がないとすれば、当然、食事の時間もないということになる。では、あの世では本当に食事をすることはないのだろうか? 死後の世界から送られてくる通信に目を通してみると、食事に関しての内容に矛盾があることに気がつく。
「こちらでは、何かを食べたいとか、飲みたいなどと思う人はいません」という通信がある一方で、「彼らはお茶をふるまって私を歓迎してくれました。そのとき私は、それが本当のことだとは信じられませんでした」というように、明らかに矛盾することが述べられている。
アルフ・プリチェットのことを思い出していただきたい。彼がレセプションセンターに到着したとき、そこで何を見ただろうか? アルフ・プリチェットは言っている。
「ある者は話をし、ある者は食事をしていました。私はその光景に衝撃を受けました。彼(ガイド)が言うようにここが天国の一部であるなら、人間が食事をするはずがありません。そして私は彼に言いました。“見てください。向こうに食事をしている人がいます”」
次にビッグスのことを思い出していただきたい。彼がおばのメイの家を訪問したときのことである。メイは彼に「お茶を飲みますか?」と聞いた。
テッド・バットラーも「ではお茶を飲みましょう」と言われている。
テリー・スミスはガイドによって家に招待されたときに「飲み物はいかがですか?」と聞かれ、「レモネードをください」と答えている。
ジョージ・ウィルモットはフランス人の恋人の家族のもてなしを受けたとき、次のように述べている。
「彼らは私の目の前にスープの入った大きなボールを出してくれました。その光景はまるで再び地上に戻ったようでした。彼らはスープを飲んでいました。そして私も飲みました。また私はタバコも吸いました」
あの世へ行った人々が、思いがけない出来事として真っ先に述べる事柄がある。プリチェットのガイドは言った。
「こちらの世界では“思うことが何でもかなう”のです。そのことがあなたはまだ分かっていません。ここでは食べたり飲んだりしたいと思うなら、すぐにそれが実現します」
ビッグスのおばのメイは、彼に次のように説明している。
「地上からこちらへきたばかりの人は、すべてのものが地上とそっくりなので親しみを感じたり、幸福感に浸ったりするのです。また、もしその人が何か欲しいものがあるなら、すぐにそれを手に入れることができます。しかし、やがてそうしたものは不必要だということに気づくようになります」
テッド・バットラーのガイドは説明している。
「こちらへきて間もない人が“必要だ”と思うものがあるなら、直ちにそれは与えられます。しかしこれは一時的なことで、その人が“そうしたものはもはや必要ない”というこちらの世界の実情に気づくようになるまでのことなのです。私たちは普段、お茶やその他の飲み物は飲みません。しかし今回は(他界して間もない)、あなたが私の家にお客さんとしてきてくれたこと、そしてあなたがこちらの世界に慣れるのに役に立つと思って、わざわざしたことなのです」
ジョージ・ウィルモットのガイドも、ほとんど同じような説明をしている。
「それはただあなたが“欲しい”と思うからなのです。あなた同様、他の人々もこれらのものが自分には必要だと考えているのです。しかしあなたはすぐに、それは必要でないことが分かるようになるでしょう。そしてそのものに対する欲求がなくなったとき、それはあなたの前から消え去るのです」
ある者にとっては、その欲求がなくなるまでに長い期間を要するようである。
「私はお茶を飲むのが大好きな人間でした。そして今でもお茶が好きで飲み続けています」とローズは言っている。
「どのようにしてそれを手に入れるのですか?」とウッズが尋ねた。
「おかしなことですが、私は自分でもよく分からないのです。台所に行くわけでもなく、お湯を沸かすわけでもなく、お茶を入れるわけでもありません。お茶を飲みたいと思うだけで、それが現れるのです」
ローズは食べ物について、さらにはっきりと述べている。
「ここにはフルーツやナッツの木があります。地上にあるあらゆる食べ物が存在します。しかし、ここでは動物を殺してその肉を食べるということはしません。こちらでは地上のように肉を食べることはありません」
さらに次のように述べている。
「地上における動物の“弱肉強食”は、単なる物質的な次元での出来事で、飢えを満たすための本能にすぎません。物質的な本能が、動物たちを弱肉強食の世界へと追いやっていると言えます。しかし、それはこちらではもはや存在しません。なぜなら食欲は、こちらにくると直ちになくなってしまうからです。
ここへきたばかりの人間は最初、ある食べ物に対する嗜好性を持っています。すると、それを手に入れることができるのです。しかし、そうした嗜好性はやがてなくなります。または、それは不必要だと考えるようになります。そして食べることをやめてしまいます」
「マルチン」と名乗る声(彼は二十世紀にオーストラリアに移住してシドニーで死んでいる)が、あの世へ行った直後の同様の経験について述べている。
「こちらには“食べたい、飲みたい”と思うものは、すべて揃っています。しかし最初、私はそのことがよく分かりませんでした。私が食べ物のことを思うと自動的にそれが現れて食べることができるのです。しかし徐々に、食べたり飲んだりするようなことは単なる習慣にすぎないのだ、ということに気づき始めました。目の前に現れる食べ物や飲み物は、自分が地上時代につくり出した考え方・習慣の中で必要だと思い込んでいたにすぎなかったのです。
しばらくして、こうしたものはそれほど大切ではないことが分かり始めました。そして徐々に何かを食べたいといった欲求が失われ、やがて食べ物や飲み物が全く必要ではなくなりました」
ところで、この本をお読みの皆さん方の本当の姿はいかがですか?