14.あの世の作家たち
ローズは幸せな生活を送っていた。しかし、そうした生活は無学な花売り娘には満足するものであっても、俳優や作家や政治家にとっては、きっと退屈なものに違いない。あまりにも広大なあの世のことを述べるには、ローズの体験や力量では限界がある。お茶を飲むことを楽しんだり、時々散歩したり、隣人とおしゃべりしたり、また美術館に絵を見に行くというような生活からは、それ以上の深い内容を知ることはできない。
一方、われわれの期待に応じてこうした質問に答えを与えてくれる通信も確かに存在する。しかし地上時代に教育を受けたスピリット(霊)は、残念なことにわれわれの知りたい内容を詳細には述べてくれないことが多いのである。知性的な通信霊には、いっぷう変わった、われわれをイライラさせるようなところがある。彼らは地上では名を知られ、才能に恵まれ、多くの成功を収め、時にはよい家柄の生まれであることが多い。
しかし彼らは、あまりにも地上の道徳や地上の事柄に依然として意識がとらわれ過ぎているため、あの世でどのように生活しているのかを正確に述べることができないのである。
そうした中にあって次に紹介する二人の通信は、前述したような知識人にありがちな偏りが少ないのである。彼らは、死後においてわれわれを待ち受ける生活が夢の中に出てくるような家とか庭に座っておしゃべりするといったことばかりでなく、それ以外にも、もっと素晴らしい生活があることを教えてくれるのである。
(ライオネル・バリモア霊)
一九五七年二月九日、聞き覚えのあるアメリカ人の鼻音で交霊会の沈黙が破られた。
「皆さん方にお話しするチャンスが与えられるとは思ってもいませんでした」
「あなたは『ライオネル・バリモア』さんですね」
「そうです。どうして私だと分かりましたか?」
その二年前、一九五四年十一月に「ライオネル・バリモア」(彼は映画界の気難しい哲学者と呼ばれていた)は、ハリウッドの自宅でテレビを見ている最中に心臓発作に襲われた。彼は病院に運ばれたが、昏睡状態に陥り死んだのである。三十にも及ぶ不滅の傑作演劇の大立者は、こうしてこの世から消え去ったのである。ベッティー・グリーンは、今、目の前で聞こえる声はまさしくバリモアのものに間違いないと確信した。ウッズはいつもの質問をした。
「あなたが最初にそちらの世界に行ったとき、どのような様子でしたか? こちらの世界と同じでしたか?」
バリモアは答えた。
「全く同じだとは言えません。自然に関することなら、ある点では同じだと言えます。しかし、こちらでは電車やオートバイなどは見かけません。とは言っても、地球により近い低い世界には、そうした乗り物があります。こちらの世界のすべての存在物は、そこに住む人間の心の状態によって決められるのです。
私がこちらにきて最初、美しい庭のような所で目覚めました。そこは私が若かった頃、とても好きだった庭に似ていました。そこに私の父と母がいました。母親は、私の記憶にあるずいぶん若いときの姿をしていました。それは本当に素晴らしい出来事でした。それから他の人たちがきました。彼らは私が若い頃に知っていた人たちでした。
昔の知人たちに会うというこの最初の経験から私は、自分が若かったときのことも意識のどこかでずっと覚えているものだということを知りました。ご存じのように年をとり始めた頃、私は足が曲がって歩行が不自由になりました。そしてよく若い時代の白昼夢に浸っていました。私がそちらの世界を去ってこちらにくるとき、地上で最後に考えていたのは“若い頃に戻りたい”ということでした。
私はこちらで、地上時代にとてもかわいがっていた犬と一緒にいます。私がまだ地上にいた頃、もし誰かが私に“動物は死後も存在するのですよ”と言ったとしても、私は全くそれを受け入れなかったでしょう。事実、私は犬やネコや馬に魂があるはずがないと考えていました。
今、私は、人間は動物たちに対してとても大きな責任があることを知っています。動物たちは、私たち人間が想像する以上に、人間から大きな影響を受けています。……皆さん方に私の声がうまく届いているかどうか分かりませんが」
「はい、はっきり聞こえています。テープレコーダーであなたの声を録音しています」
「そうですか。テープレコーダーを持ってきていますか。皆さんは私にジョンという兄弟がいたことをご存じだと思います。私たちは地上ではいつもケンカばかりしていました。しかしこちらではとても仲良くやっています」
「どのようにそちらでの生活をしているのですか?」ウッズは尋ねた。
彼は答えた。
「私はまだ演劇に興味があります。こちらにも地上で言うような娯楽があります。ただし全く同じというわけではありませんが。私たちがこちらでしていることには、どんなことであれ目的があります。こちらでつくられる演劇にしても、また他のどんなことにしても、必ず目的があります。それは、ただ人々に喜びや楽しみを与えるためだけのものではありません。
例えば、こちらでは地上で道徳劇と言われているものを低い世界(界層)の人々のためにつくります。また、ある人間の人生を――それは観客の中の一人の人間の人生であることもありますが――演出することもあります。
その演劇は、彼らにありのままの自分の姿を理解させるきっかけとなり、それによって彼らは、以前より物事を深く考えるようになります。そして彼らに自分を客観視させ、もっと善い人間になろうとする意欲を持たせることになります。
こちらでは本当の意味で各自の天性を発揮することができます。こちらの世界にくると人間は、自分の持っている偉大な才能に気がつくようになります。そして、どんな人も自分の能力に合った興味の持てる仕事を見つけることができるようになります。ある人は美しい衣装をつくる仕事に携わります。ある人は美しい絵を描いたり、われわれのための舞台道具を設計したりします。またある人は素晴らしい音楽を作曲します。
私はこちらで、地上には全くないような音楽を聴いたことがあります。それは何百人という人たちによるオーケストラでした。しかも、そのメンバーの一人ひとりが音楽の専門家なのです。またこちらには偉大な作曲家がいて新しい作品をつくっています。そのオーケストラはあまりにも素晴らし過ぎて、皆さん方に何と説明したらいいのか分かりません。彼らが演奏するうちに、辺りの光と色彩が変化します。それはとても見事な光景です。もう少しこのことについて皆さん方にお話ししましょう」
「とても興味深いことです」とウッズは身を乗り出して言った。
「そちらに劇場のような所はありますか? それは地上のものと似ていますか?」
「ええ、あるものは地上の劇場ととても似ています。あるものは全く違っています。こちらの劇場には地上の劇場と同様、美しい天井、カーペット、よく整備されたホールなどがあります。またとても大きな野外の円形劇場もあります。そしてありとあらゆる演劇が上演されています。地上の昔の有名な演劇もありますし、こちらの世界の劇作家によってつくられたものもあります。
シェークスピアのすべての作品も上演されています。それらは今見ても、とても面白いです。シェークスピアの新しい作品は、彼の地上時代の作品より、ずっと素晴らしい出来栄えです。そして今でも彼は作品を書き続けたり、演出をしたりしています。また彼自身が演技をすることもあります。スペンサーや他の有名な演劇作家も、みんなこちらにいます」
「彼らは今でも地上時代と同様のスタイルで演劇を書いているのですか?」とウッズは聞いた。
「いいえ、彼らはこちらにきて多くの経験を積むにつれ、必然的に作品スタイルも変化しました。もしシェークスピアが今日地上に生きていたら、彼は傑作をつくり続けるでしょう。もちろんその作品は現代の言葉で書かれるはずです。彼は現代の地上のどんな作家よりも優れた作品を書いています。私は時々、地上に戻って、地上の劇場を訪ねてみます。しかしわずかな例外を除いて、地上の演劇は本当にひどいものばかりです」
「あなたは、そちらでシェークスピアに会ったことがありますか?」とウッズは尋ねた。
「会ったことがあります。そして一度だけ話をしたことがあります。彼は自分の演劇作品を書いていました。彼は時々、古い作品から引用して、それを新しく書き直して作品をつくることもあります」
「あなたは、そちらで有名な歌手に会ったことがありますか?」
「もちろんあります。多くの有名な歌手に会いました」
「キャサリン・ファロンと会ったことがありますか?」
「キャサリン・フェリアのことですか? 数年前に死んだ若い英国の女性歌手のことですか? それなら会いました。彼女は優れた魂の持ち主です。そして素晴らしい声の持ち主です。彼女の魅力は、その美しい声ばかりでなく、彼女の優れた人柄・人格にあります。それが彼女の声の中に現れているようです。
私は地上の有名な歌手の歌を聞いたことがあります。しかし私には彼らの歌は、まるで舞台裏の野良猫の鳴き声のように聞こえました。彼らに対する地上の評価は実情とあまりにも違っています。しかし今、あなたが話題にしている人間(キャサリン・ファロン)は、これには当てはまりません」
今、バリモアは、キャサリン・ファロンについて“美しい声の持ち主”という言い方をしたが、それはどういう意味なのだろうか? あの世では、人は何も話さずに自分の考えを(テレパシーで)伝えることができるはずだったのではないのか? それなのに、どうして歌を歌う必要があるのだろうか? それについて彼に質問した。
彼はしばらく黙っていた。それから、
「急に黙ってすみません。長い時間、皆さんと話をするのは、たいへんなことなのです。私はいつかまたきて話をすることにします。私は地上に戻ってくるのは、あまり気が進みません。その一つの理由は、世俗的なことばかり聞きたがる人間にうんざりしているからです。地上の人間が、まず初めに霊の身元の証明・証拠を求めるのは当然だと理解しています。しかし多くの人々が、ただ“死者と話をする”という興味だけに走っているのです」
「それを私たちは“お遊び交霊会”と呼んでいます」とグリーン女史が言った。
「それはごめんこうむります」
「私たちは興味半分ではなく、そちらの世界からの声を録音したいのです。そうすればそれを他人に聞かせ、あの世のことを多くの人々に伝えることができるのです」とウッズが述べた。
バリモアは言った。
「皆さん方は、これらの録音テープを、友人やテープに関心を抱いた人たちに聞かせることができます。私は心から確信を持って言うことができます。もし、このテープを聞く人間が本当に道を探し求めているなら、間違いなく真実を見い出すことができるであろう、と。またお会いしましょう。さようなら」
バリモアのあの世からのメッセージは、ローズのものよりずっと内容があり、興味をそそられるものである。とは言っても両者には多くの類似点もある。違う点があるとすれば、それは両者の性格と興味の対象である。あの世に行ったといっても、彼らの持っている大半の内容は依然として地上にいたときと同じである。ただ死後、あの世で学んだものによってのみ、彼らのうえに違いが生じたのである。人間はあの世でも進歩する。しかし人によっては進歩のための変化が生じるまでには長い時間がかかるようである。
(オスカー・ワイルド霊)
衝撃的な思いがけないメッセージが、五年後の一九六二年八月二十日に届けられた。豊かで円熟味のある男性の声が語り始めた。
「私はここにくることができて嬉しいです」
「私たちも嬉しいです」とウッズが言った。
「私の声がそちらに届いているかどうかあまり自信がありませんが」と続いて言った。
「どうぞお話しください。あなたの声ははっきり聞こえています」とグリーン女史が促した。
「でも今、私は本当に何もしていません。私がしていることを皆さんがどのように考えているか分かりませんが」と少し気取ったような口調で語った。
「あなたは今、話をしていらっしゃいます。あなたは、私たちにあなたの声が聞こえないと思っていらっしゃるようですが」とグリーンが説明した。
「私は今、何をしゃべったらいいのでしょうね」
「お名前を教えてください」
「もし私が何か価値のあることを言うことができないなら、むしろ何も言わない方がいいでしょう」とその声は言った。
「いったい誰が話しているのかしら?」とグリーンはわざと無視したような言い方をした。
「こうしたことは本当に特殊なケースです。地上人は自分では生きていると思っていますが、どう見ても、どんよりとした薄暗い世界にしか住んでいません。そうした地上の人間にとって死ぬことは特別な出来事ですが、このような交霊会で、いったん死んだ人間が地上人に向けて語るというようなことは、さらに特別な出来事です。これ(交霊会)は本当に特殊な出来事です」
ウッズは戸惑いながら、「その通りです」と答えた。
「最近、自分の仕事にとても興味が湧いてきました」とその声は続けた。
【少しの間中断】
「あなたのお名前を教えていただけませんか?」とグリーンはもう一度聞いた。
「私の名前は……、私は地上にいたとき、たいへんなトラブルを引き起こしました」
「私たちがこのテープを他の人たちに聞かせるとき、その声の持ち主は誰か、と聞かれますが」
「その人たちに、声はボギー大佐のものだと言ったらいいでしょう」
「みんな、そういう冗談は好まないと思います。とにかくあなたがここにきてくださっただけでも、とても喜んでおります」とウッズが言った。
「ここにこれたことを私は喜んでいますが、それ以上に、あなた方が喜んでいてくれることが分かります。私はここにくることができて本当に幸せと言うべきでしょう。私は自分の考えを、この特別なコミュニケーションの方法(霊媒とボイスボックス)を通じて皆さん方に伝えることで、いっそう身近になれると思っています。これは、あなた方の世界にいる俳優を用いるのと同じことです」
「あなたは演劇を書いていらっしゃいましたね」とグリーン女史が言った。
「名前を申し上げた方がよさそうです。私の名前はワイルドです」
「おお! 私はあなたの本を読んだことがあります」とウッズが言った。
「皆さんは何と運がいいんでしょう。私はこれでも皆さん方に遠慮しているんですよ。ですから皆さんからロイヤリティーをもらおうなどとは思っていません」
そのときグリーン女史は、彼女の定番の質問の一つを思いつき、きっぱりと言った。
「ワイルドさん、そちらの世界でのあなたの生活について教えてください。あなたは今、何をしていらっしゃいますか?」
彼は答えた。
「地上よりずっと素晴らしいこちらでの生活について質問してくださることは、私にとって救いです。なぜなら私は地上時代には、いつも低俗でおしゃべりな人間に知られていただけだったからです。もし私が、こちらでの生活は地上の生活に似ている、と言おうものなら、あなた方はおそらく納得できないでしょう。しかしそれは事実なのです。
私はこちらで本当に幸福に、完全に満足して過ごしております。とても素晴らし過ぎる贅沢な罪ある生活をしています。もちろんそれは“地上の人間から見たときの罪”というだけのことですが。
こちらでは、ありのままの人間として自然の欲求に従って生きることは、もはや罪ではありません。しかし地上では、自然の欲求に従って生きることは罪深いと言われてきました。もしそれが事実なら、こちらの人間は全員が罪深いことになってしまいます。なぜならこちらの人々はみんな、ありのままの生活をしているからです。地上世界には奇妙な罪の思想(考え)がはびこっています。私はこちらで自然のままに生活しています。そして完全に幸せなのです」(ここではキリスト教における無意味な“禁欲主義”を非難している。キリスト教では、罪人である人間は禁欲的努力をしないかぎり自然に罪を犯すようになる、と考えている――訳注)
「あなたは今、何をしていますか?」ウッズは先ほどの質問をもう一度続けた。
「どうして皆さん方に私がしていることを話さなければならないのですか?」
「われわれは関心を持っているのです」とグリーン女史が言った。
「私はまだ演劇を書いています。そして、それはこちらで実際に上演されています。また私はよく低い世界を訪問して上演の手助けをしたりします。皆さん方はおかしいと思われるでしょうが、低い世界の手助けをするために呼ばれるのです」
「私は別におかしいとは思いませんが」とウッズは言った。
「たぶんあなた方は、私があまり進歩していないために低い世界の人々の手助けをするのがふさわしいと考えられたことでしょう。しかし現実的に私は、あらゆる人間とうまく合わせられるのです。たとえ地上の人々が私のことを悪く言おうが、自分のことは自分の心がよく知っています。私は地上の人々の評判は気にしません。
しかし地上世界の大勢のうっとうしい人々には気が滅入ります。私の死後、地上時代の名声によって多額のお金が入るようになりました。それは生前、演劇を通して得たお金よりも多くなりました。そのため“不道徳な人間は成功するものだ”というようなことも言われました」
「あなたは霊的世界に対して、いつも心を開いていましたね」とグリーンが言った。
「私はいつでもインスピレーションを受ける用意ができていました。前に言ったかもしれませんが、私の仕事の成功の大部分は、私が霊的世界に対して心を開いていたお蔭なのです。開かれた心を通して多くのインスピレーションが私の中に注がれました。そしてそれが私を成功へと導いてくれたのです。もしそうした高い心境によるものでないなら、いくつかの仕事は、おそらく成功しなかったと思っています。
しかしこんなことを言うと、多くの人々の中に議論を引き起こすことになるでしょう。ある人間にとっての毒は、別の人間にとっての食べ物であることもあるからです」
「私はどんな作家でも、ある程度はみんなインスピレーションを受けていると思うのですが」とグリーン女史が言った。
「われわれ自身の個性とか本性といったものを忘れてはなりません。私の場合はインスピレーションを受け入れる準備ができていた、ということなのです。私は常にインスピレーションを受けられる人間でした。私は今いっそう
「ワイルドさん」とグリーンが言いかけたとき、ワイルドは、
「皆さん方は私に軽々しい人間であることを望みますか? それとも真面目な人間であることを望みますか? 真面目な人間は、しばしばつまらない者であることが多いですが」
「あなたはそうではありません。そういう言い方はしないでください」
「多くの地上人は、あまりにも真面目すぎるため、つまらない人間になってしまっています。私はそうした人間の集まりに参加するのはお断りです。私がそういう人たちを嫌がるのは、彼らの中に必ず、“どうしてこの声がオスカー・ワイルドだと分かるのですか”と言うような人間がいるからです。彼らは私が以前と全く同じ様子で現れ、そして私だと分かるもの(証拠)を携えていることを期待しているのです。
今回、私は皆さん方のために自分の身元を明らかにしました。それは皆さん方が、あまりにも一生懸命に私の身元を確認しようとされたからです。そしてもし私が、皆さん方の身元証明の手助けをすることができるなら、そのとき私も、よい仕事をすることになるからです。それによって、私自身のこれまでの汚点のいくつかが拭われるかもしれないからです」
「ワイルドさん、あなたはそちらの世界へ行って以来、何かを学びましたか?」とグリーン女史が尋ねた。
「もし私がこちらに長年いて何も学ばなかったとしたら変人としか言いようがありません。ここでは誰もが、好むと好まざるとにかかわらず何かを学ぶのです。頭のよい生徒であれ頭の悪い生徒であれ、またたとえ先生がよかろうが悪かろうが、誰もが何かを学ぶのです」
「あなたがそちらの世界へ行ってご自分に気がついたとき、驚きませんでしたか?」
「何も驚きませんでした。特に神については驚きませんでした。なぜなら私は常に、イエスは奇跡を起こした人間にすぎないと思っていたからです。もし聖書に書かれていることを信じる人なら、そのように思うはずです」
「そちらの世界へ行ったとき、どのようにしてご自分を自覚しましたか? あなたが他界したときの様子を教えてください」
「私は他の人たちと同じように死にました」
「しかし、どこかであなたはご自分に気がつかれたと思いますが。庭だとか部屋だとか……」
「どうして庭で自分に気がつかなければならないのですか? なぜ部屋でなければならないのですか? もしダイアナ婦人の寝室で目覚めたとするなら、何か困るとでも言うのですか?」
グリーンは言った。
「いいえ、あなたが死んだとき会いにきた人はいなかったのか、とお聞きしているのです。誰かがあなたに会いにきて、あなたの手助けをしたはずですが」
「本当のことを言えば、死んですぐ私は母に会いました」
「そのときの様子はどうでしたか?」とウッズが聞いた。
「当然のことですが、人は見知らぬ国に違和感なくして行くことはできません。しかし面白いことに人間は、みんな同じなのです。一人ひとりの状況は違っているかもしれません。国は違うかもしれません。そして習慣は違うかもしれません。また人生に対する姿勢・考え方も違うかもしれません。しかし神のお蔭で、人間はみんな平等に創られています。人間である以上、みんなどこまでも同じなのです。
こちらにくると誰もが、結果的にはくつろぎを感じるようになります。私はこちらで、地上時代に善い人だと思ったり、悪い人だと思ったりした人々に会ってきました。そして今では別の理由から、すべての人々を善く思うようになりました。(すべての人に善性のあることを認めること――訳注)
また私はよく旅行しました。多くの場所へ、そして皆さん方が言う世界(界層)を見てきました。こちらには何も障害はありません。唯一の障害は“自分自身の心”だけです。人間関係の障害は、人の心の中にあります。障害は人間の心によってつくられるのです。
こちらにきて人々は、その障害を捨て去ることを学びます。わずかな時間でもこちらで生活するようになると、全員がお互いの不可欠な部分であることを悟るようになります。“神の子供”であるわれわれは、最後には一つになり始めます。とは言っても、一人ひとりの個性や性格がなくなるわけではありません。われわれはみんな、霊的に一つになり、やがて調和し、結果的に平和・静寂・調和の中で生きるようになります。
そして、そこでは全員が各自に見合った恩恵を手にすることができるのです。ある者は、いろいろな仕事をしたいという衝動に駆られます。一方、そうは思わない者もいます。私は今でも、ものを書くことが好きです。なぜなら人生の大半をものを書くことに費やしてきたからです」
「あなたの作品は何度も上演されてきましたね」とグリーンが言った。
「はい、その通りです。それは私の地上人生の中で最も成功した部分でした」
「ワイルドさん、あなたは……」とグリーンが言いかけたとき、その質問をさえぎってワイルドは語り始めた。
「皆さん方と話をすることは、とても複雑でたいへんなことなのです。とても神経を使います。そしてなかなか思うようにいきません。常にいろいろな障害や妨害が付きまといます。しかし私は何とかそれを克服して話を続けます。私に何か質問したいことがありますか?」
グリーンが続けて質問した。
「そちらの世界へ行くと、誰もが後悔をするそうです。あなたにも後悔するようなことがあったのではと思いますが。地上でやり残したことで後悔していることがありますか?」
「私がこちらにきて最初に残念に思ったのは、早く地上を去ったことでした」
「そうですか」
「もちろん私はこちらにきてからも、ある種の願望を持ち続けていました。私はずっと演劇を書き続けたいと思っていました。奇妙に思われるでしょうが、私は地上時代に得ていた名声をこちらの世界でも取り戻したいと思ったのです。こちらにきて、まわりの人たちから見向きもされなかったというわけではありませんが……
しかし地上時代の地位や名声を取り戻そうと考えること自体が、実は空しいことなのです。それが分かったのは今からずいぶん前のことです。その愚かさに気がついて以来、私は変わりました」
「あなたはそちらで『バーナード・ショウ』に会ったことがありますか?」
「もちろん会ったことがあります。彼はとても変わった性格の持ち主です。彼はとても頭がいい――でもおそらく、こんな言い方はしない方がいいかもしれません。私は彼よりは、ある程度進歩していると思います……」
「あなたのいる世界はどのようですか? そこについて何か教えてくださいませんか?」
「こちらの情景を知りたいのですか?」
「そうです。あなたの劇場はいかがですか? あなたは劇場を持っていらっしゃいますね? あなたは今でも演劇を書いていますか?」
「今でも書いています。ずっと書き続けています。すでに皆さんもお聞きのように、こちらの世界は、ある意味では地上にとても似ています。ここには、地上にあるもののすべてが存在します。ただし地上よりずっと美しいですが。皆さん方も知っているように、こちらにも自然があります。しかし気になるような不快なものはありません。例えば、ハエとかハサミムシなどのような不快でうっとうしい虫などは存在しません。これらのものは幸いなことに、こちらではなくなってしまうようです。こちらには自然界のありとあらゆる“美”が存在します。不快なものはひとかけらもありません」
「そちらの世界の建物はどのようですか?」とウッズが尋ねた。
「こちらにもさまざまな建築物があります。私が今住んでいる世界では、すべての建物はとても優雅で美しいです」
「町とか都市とかはあるのですか?」
「ええ、皆さんが地上で都市と呼ぶような所があります。そこには数えきれないほど多くの人々が生活しています。しかしある意味では、そこは地上の都市とは違っています」
「そちらには車などはありませんね?」
「ええ、ありません。そうした機械は不必要なのです。こちらには馬も他の動物もペットもいます。彼らは人類に利益をもたらします。その代わりに人類からもある程度の利益を得ているのです。ペットの犬や馬がそうなのです。動物はとても人間に近い存在です。しかし不幸なことに人間は、しばしば動物を虐待します。
私は時々、動物は人類より進化しているのではないか、と思うことがあります。動物たちは自然の本能に従って生きています。そして結果的に、本能からずれたことや他の悪いことをしようなどとは考えません。しかし人間は動物と違って、いつも困難を抱えています。
なぜなら人間はたえず努力して、自分自身の“真の自我”を発見しなければならないからです。人類は真の自我に従うべきなのです。なぜならそうしてこそ初めて“進化・進歩”することができるからです」
ウッズは彼に次のように質問して日常的な問題に引き戻した。
「あなたはそちらで、ものを書くときの家を持っていますか?」
「はい、持っています。とても美しい家です。私の思い通りの家です。しかしある意味では、それは自分で創り出した家とも言えるのです。ここへくる以前はそうしたことが分からないまま、自分自身の思いで家を創っていました」
「庭はありますか?」
「あります。あまり大きな庭ではありませんが、私には十分です。私は地上時代には戸外で庭仕事をするような人間ではありませんでした。自然は大切なものであるとは思っていましたが、私はギラギラ照りつける太陽の光の下にいるより、遠くから庭を見ている方が好きでした。人間は遠くからの方が物事をはっきりと見ることができるものです」
それから話は突然、終わりになった。
「私はもう行かなければなりません。もしよかったら、私はまたここにきて皆さん方にお話しいたします」と言った。
「本日はここにきてくださって本当にありがとうございました」とウッズが言った。
「ワイルドさん、ありがとうございました」グリーン女史が付け加えた。
「皆さん方にお話しできて本当によかったです」と彼は言った。
「時々、私は気難しいことを言ったと思いますが、それは他の人々にとって多少の助けになるだけでなく、皆さん方にとってもプラスになると思ってのことです。なぜなら、もし私に昔の地上時代の
私は、皆さん方が知りたがっていることについてお答えすることができます。いつかそれを話す時がくるでしょう。“主の祝福が皆様の上にありますように”――この言葉は、皆さんがスピリチュアリストの交霊会で別れの時に言うお決まりの文句ですね。“私の友に、主の祝福がありますように”――では、さようなら」
オスカー・ワイルドと名乗る声は聞こえなくなった。