22節
〔インペレーターが暫く不在だったので、次に出た時にその理由を尋ねると、地上とは別の用事があって留守にしたということだった。そして、別に私のそば――という言い方が適切かどうかは別として――にいなくても影響を行使することは出来るが、そのためにはいわば意念の操作を必要とするということであった。そうなると他に急務が生じた場合にそれも出来なくなる。今回も、そしてこれまでにも何回かあったが、霊界の上層部において、神への厳かな崇拝と讃仰の祈りを捧げるために数多くの霊が一堂に集結したという(1)。その他の質問に対して多くの返答があったが、次はその一部である。(十月十二日)〕
われらは神への礼拝と祈願のために暫し地上の使命につきまとう気遣いと苦心より離れ、讃仰の境涯の安らかなる調和の雰囲気に浸ってきた。使命に挫折と衰微を来し、悲しみの余り気弱となり、あるいは熱意に燃えて邁進する勢いを
ああ、そなたはこれまで混雑せる都会の細き裏通りを辛苦して歩み、慈悲の使命に燃えて悪徳の巣窟に踏み込み、むせ返る不純なる悪臭を
われらの視野はひとり物的悲劇にかぎらぬ。霊的誘惑もありありと目撃できる。物的視野に映ずる悲哀にかぎらず、人間が一向に知らずにいる隠れたる悲哀もありありと見える。われらが人間界の悲劇や犯罪を見ることも知ることも出来ぬと思ってはならぬ。更にまた、そなたたち人間と交わり地上の雰囲気に浸ることによりて、われらもまたその汚れに幾分か染まることは避けられぬことも知られたい。
比べてもみよ。雑然たる都会の裏小路の息も詰まらんばかりの悪徳の生活――悲劇と罪悪の温床へと足を踏み入れた時のそなたの気持と、高き霊界より低き地上界へと降りてくる時にわれらが味わう冷たく寒々とした気持とを。われらは光と無垢と美の世界より降りて来るのである。そこには不潔なるもの、不浄なるもの、不純なるものは一かけらもない。その視野には目障りなもの一つ見当たらぬ。暗闇も見当たらぬ。目に入るものは全て輝けるもの、至純なるもののみである。完成された霊の住む世界、平和の
かくして漸く降り来たれるわれらが見出すのは、大方、聞く耳を持たず何の反応も示さぬ人間ばかりである。中には己に都合よき言説、己の想像と一致する言説には一応耳を傾ける者がいる。が、彼らもその段階を超えて一段高き真理、より明るき光へ導かんとするとわれらに背を向ける。イエスと同じことをわれらも体験させられる。すなわち、人間は奇跡を演じてみせると感心する。そして己の個人的興味がそそられ好奇心が満たされるかぎりは付いて来る。が、その段階より引き上げ、自己中心的要素から超脱させ、永遠なる価値を有する本格的真理へ近づけんとすると背を向ける。高すぎるものは受け入れられぬのである。そこで神の計画が挫かれ、神より授かれる人間への恩恵がにべもなく打ち捨てられる。その時、われらの悲しみに加えて将来の見通しに寒々とせる挫折の懸念が
〔私がこれまでに得た通信でこれほど人間的
われらは、たとえ苦痛は訴えても挫けはせぬ。そなたおよびそなたの置かれたる環境との触れ合いによりて、やむなくそなたの人間的情念を摂取することになるまでである。あのような苦痛を述べたのは、われらにも
〔このあと私に対して、通信を求めることを控えて過去を振り返るようにとの忠告が繰り返し述べられた。物理的現象をやり過ぎることは、体力の消耗が激しいので危険であると述べた。とくに他の霊媒による交霊会に出て現象を観察するのは、よほどの必要性のある時以外はいけないとの警告を受けた。仕事においても、仕事以外のことにおいても節度を守ることが大切であり、反省と休息を取るようにとのことだった。われわれは交霊会を中止こそしなかったが以前ほど頻繁に催すことは止めた。その間私に身元の証拠を提供しようとする努力が為されていることが判った。とくに顕著なケースとして十月十四日に次のようなことが起きた。それまで長期間に亙ってよく出現していた霊を、列席者の一人が、その霊の在世中の事実が載っているある書物をもとに細かく詰問した。その書物は出版されたばかりで質問者のほかは誰も見ていない。が、質問者の頭の中でその書物に出ている他の氏名と日付が混乱していたらしく、質問された霊はその間違いの一つ一つを叩音(ラップ)で強く指摘し、黙認するわけには行かないと言って、氏名の読み方の間違いなどは綴りまで一つ一つ述べて訂正した。
その時に霊が出した叩音には困惑と
――昨夜のあなたの訂正ぶりには感嘆させられました。
あの本には誤りや不完全なところが多すぎます。私は○○氏とは、氏が私の弟子になる以前からの知り合いです。それに、私がパリで勉強したというのは本当です。
――別に疑っているわけではありません。あなたがひどく真剣で腹立たしく思っておられる様子がありありと窺えたものですから。
いい加減な情報で、しかもいい加減な記憶で間違ったことを質問されるのは腹の立つものです。随分きついことを述べましたが、自分では理性を
――実は私にとってはむしろ感謝しなければならないことなのです。死後存続の証拠としてこれまでにない最高のものを提供して下さったからです。
なるほど、でも、そうおっしゃりながら、スキあらば暴いてやろうとチャンスを窺っておられるのでしょう。
――とんでもない! 私はとにかく証拠がほしい一心なのですから。
証拠なら、あなたはもうこれ以上増やせないほどのものを手にしておられます。
〔こうした中にも、これまでに得られた通信、とくに今回のテストの結果に対する信頼心は何度も逆戻りした。言っていることはウソではなかろうか、通信は名のっている本人からのものではないのではなかろうか、要するに自分は謎めいた話、あるいは一種の寓話のようなもので騙されているのではなかろうか、それとも単に理解できないものに振り回されているに過ぎないのではなかろうかといった疑念に付きまとわれていた。それは漠然としたものではあったが、私にとっては真実味を帯びていた。こうした霊界との交信にとって最も好ましからぬ精神状態が禍して、ついにわれわれのサークルは解散するに至った。メンバー全員の意見もそのほうが賢明であるとの結論に固まっていたと思われるが、インペレーターも
私の全生涯に亙る霊的使命に関する長文の通信が送られて来たのはその時だった(2)。その内容に私は非常に驚いた。そしてそれまで私を扱ってきた霊の誠意と実在性を改めて確信するところとなった。本来なら公表せずにおきたいことも相当披露することになりそうであるが、純粋に個人的なことだけは公表する気になれない。霊的実在に関する教訓を証拠の全般的な流れに光を当てるものに限って公表しようと思う。〕