21節

〔この時期の私の精神状態はいかなる種類の現象にも満足できなくなっていた。私を支配している影響力は強烈で、私が何をやろうとしても満足を与える結果をもたらしてくれなかった。そして私をしきりに、過去を吟味するよう、そしてそこからまとまった見解を得るように仕向けるのであった。私の背後で何が行なわれているのか、当時は皆目理解できなかったが、今にして思えばそれは私の霊的教化の一環であった。私は幾度も幾度も過去を徘徊させられた。そしてそれまでの通信の内容をあらゆる観点から吟味し、再びそれをばらばらに分解してしまうことを余儀なくされた。昼も夜も心の安まることがなかった。それほど、私を支配した力は強烈だったのである。私の心がこの通信以外のことを思うのは僅かに毎日の教師としての仕事に携わっている時だけで、これだけは一切邪魔されることはなかった。そこで私は自分で厳律を設けた。それは通信に係わる問題を考えるのは日課を終えてから、ということで、これはここ十年間守り続けている。日課を終えて、さて、と思うと、とたんに私の心は通信の問題に襲われるのだった。

さんざん考え抜いたあげくに、私はこれまでインペレーターが相手にしてくれなかった問題をこれ以上いくら蒸し返しても無駄であるとの結論に達した。インペレーターの頑な態度には何か特別の意味があると観たのである。私はインペレーターの要求を何一つ拒絶したことはなかったが、逆にインペレーターは意味がないと思われることは完全に無視する態度に出ていた。が、この目に見えない知的存在が一体何者であるかについて私なりの得心を得るための証拠を要求する権利が絶対にあると考えた。それによって自分が決して自分の空想や妄想、あるいは私を騙さんと企む一団によってもてあそばれているのではないとの確信が得られると思ったのである。そこで私は率直に私の苦しい心境を述べ、それが未だに相手にされていないこと、私から手を引くかも知れぬとの脅しは事態を悪化させるばかりであると述べた。さらに私はこれからも待つ用意があること、これまでの通信を吟味するつもりであること、そしてこれ以後に付け加えてくれるものがあれば、それも読んで吟味したいとも述べた。しかし同時に、身元についての得心が得られるまではこれ以上先へ進むわけにはいかないとも断言した。私の態度に対する非難に具体性がなく曖昧であること、そして私が置かれている精神状態はあのような表現では正しく表現されていないと指摘した。またイエス・キリストがしるしを見せろとの要求を全部拒絶し、自分の言葉だけで十分であると述べたのは確かに重要なポイントではあるが、これを引き合いに出すのは危険ではないかとも述べた。総引き上げの脅しの件については、そんなことをすればそれは私を、不信とは言わないまでも、半信半疑の状態のまま放置することであり、結果は事態を私の手に負えない混乱状態に陥れることになるのみであること、何とか収拾がつけば為になる要素もあるかも知れないが、そうでなければまずもって無用であり、無益であり、そんなことをしても無駄であると述べた。するとすぐに返事が来た――

友よ、そなたの言わんとするところはよく判った。その言い分にも妥当性を認めたく思う。われらがあのような厳しき言葉にてそなたを責めたのは、情報を得んとする欲求そのものではなく、われらに応じきれぬ条件を強要するそなたの心の姿勢である。またわれらはそなたのしつこき反抗的態度、少なくともその時のそなたの不安と不信の念がわれらに与える印象を是非とも知らしめたいと考えた。あのような乱れた精神状態はわれらの妨げとなるからである。われらには果たさねばならぬ使命がある。徒に無為に過ごし、貴重なる時と機会を無駄にするわけにはいかぬ。為さねばならぬ仕事がある。何としても果たさねばならぬ。そなたのサークルがだめであれば他のサークルを通じて果たさねばならぬ。われらが総引き上げの意図がある旨を述べたのは、要求を満たさねば先へ進めぬとのそなたの言い分を受け入れたからに他ならぬ。われらとしては、そなたの要求に応じるわけにはいかなかった。故に総引き上げの必要を感じたのである。われらも、せっかく築き上げた関係を打ち切り、辛苦の中に成就せる仕事を一からやり直すことは元より望むところではない。将来はより一層強く支配することになるかも知れぬ。休息と反省とがわれらとそなた自身にとりて良き薬となるかも知れぬ。今はひたすら瞑想し、交霊会は滅多に催さぬがよい。よくよく真剣なる要求のないかぎりは交霊会には応じぬ。これまで述べたこと以上のことを付け加える意図も全くもたぬ。そなたの要求する条件も感心せぬ。そのような条件が一つ増えるごとに環境が変化を来し、それが余計な心配と手間の原因となる。好都合をもたらす見通しでもあれば文句は言わぬが、この際はその見通しもなく、それ故にそなたの提案に同意するわけにはいかぬ。

そなたが霊媒となりて行なう全ての物理的実験をこれ以後絶対に禁ずる。それによる肉体的消耗にそなたは絶対に耐えられぬ。昨今は余りに物理的現象に重きを置きすぎている。現象はせいぜい副次的な意味しか持たぬ。しかもそなたは他のサークル活動にも顔を出すという危険を冒している。すべて差し控えてもらいたい。徒に進歩を遅らせ、ついには危害と落胆を蒙るのみである。そのような手段では益になるものは得られぬ。これまでは敢えて出席を阻止するまでのことはしなかったが、これ以後は阻止せねばならぬことを承知されたい。われらとの仕事を継続するかぎりは、他のサークルの影響は排除してもらわねばならぬ。これは肝心なことである。排除してくれなければ、われらの仕事は一層困難となり、他の霊に憑依される危険性もある。その霊たるや、そなたがもしも本性を知ればそなたのほうから逃げ出したくなる類のものであり、およそわれらと仕事を共に出来るしろものではない。そなたの霊能が他のサークルの他の霊に役立つと思うのは誤りである。われらは敢えて阻止する。そのような方法では証拠は得られぬし、他の霊媒の為にもならぬ。むしろ逆効果である。さようなことにそなたが使用されるのを見過ごすわけにはいかぬ。

そなたが持ち出せる問題につきて今はこれ以上深入りはせぬ。もしもわれらがそなた本来の実直さと忠節を認めていなければ、うの昔にこれほど実りなき苦労は中止していたであろう。今少し賢明であれば行なわずに済んだであろうことをそなたは無知なるが故に行なってきた。そなたの同志たちもわれらが期待したほどには援助になっていないが、彼らにも、そしてそなたにも、出来るかぎりの利益をもたらしてきたつもりである。しかし、こうした問題においては、われらの力にも意志にも限界がある。しかも全体的にみてそなたに相応しからぬものを押しつけることになれば、われらに配慮が足らなかったことになる。これより後も援助することになろうが、差し当たりこの時点ではこれ以上のことは出来ぬ。新たな試みをするつもりもない。これ以上無益なる時間と労力とを費すことは出来ぬ。無益であることはそなたの状態を見て悟ったのである。そなたの言説を聞けば少なくともそなたの知力はわれらの仕事の本質を理解しておらぬことが判る。大前提として要求する例の実験(1)には応じられぬし、応ずる気にもなれぬ。そのようなことで確信が得られるものでもなく、神の使徒であることの保証が得られるものでもない。そのような要求に応じてもそなたはまた新たな要求を突きつけてくるであろう。確信というものはそのような物理的手段によって確立されるものではないのである。

それよりも、これまで為されてきたことをよく吟味するがよい。そなたは目の前に提出されたものを脇へ押しやっている。得心のいかぬものを率直に拒絶すること自体、少しも非難はせぬ。が、一旦拒絶されれば最早やわれらとしては他に取るべき手段を知らぬ。故にそなたの選択は永遠なる重要性を秘めている。そしてそなたはすでに選択を行なっているやに察せられる。それが果たして賢明なる選択であるか否かは時が証明してくれるであろう。そしてその時に、その選択の誤りを幾分かは修正することが出来るかも知れぬ。が、願わくば今、細心の反省を行なうことによって、その選択を撤回してくれることを祈るものである。

(†インペレーター)

〔翌十月四日も引き続いて通信が来た。その中には余りに私的な内容のものが含まれているので、その部分の公表は控えさせていただく。が、全体として極めて威厳に満ちた言葉で綴られ、しかも最初は祈りの言葉で始まっている。内容的には結局これまでの主張の繰り返しであるが、部分的には私の要求の幾つかに譲歩を示している。とくに総引き上げの件についての譲歩は印象的で、純粋な人間的理性がにじみ、これまでの通信に終始一貫して見られる理路整然とした論理の典型を思わせるので、幾分私的な色彩があってもそのまま紹介する。極めて読み易い文字で、しかも猛スピードで書かれ、書き終るまで私にもその内容が判らなかったほどであった。〕

神のしもべとして、使者として、そなたの指導霊として、また守護霊として、余はそなたに神の御恵みの多からんことを祈る。至聖にして慈悲深き天なる父の祝福のあらんことを。目にこそ見えざれども、そなたを包む力強き神の御力が、何とぞそなたを良きに計らい給わんことを。

われらは今、これ以後の計画を全て放棄する前に是非とも暫くのを置くようにとの要請を受けている。特に○○氏〔他界したばかりの私の友人で、死後すぐに通信して来た〕より強き要請があった。彼は信仰問題で今そなたが置かれている苦しき事態につきて、われらより生々しく、かつ強烈なる印象を有しているのであろう。われらの仕事はそなたが駄目であれば別の者を通じて成就することになろうが、それはそれとして、とにかく暫くの間を考慮してやってほしい――そなたほどの証を手にする者が最後まで完全なる確信に抵抗し得るはずはない、というのが彼の言い分である。そなたの視点、いかに公明正大なる精神も免れ得ぬ偏見、それに交霊につきまとう様々な困難――こうしたことも考慮せねばならぬ。そなたには疑わしく思えても、われらにはその真相を知り尽くしているが故に、そなたのその頑な態度がいかにも合点がいかぬが、それでも尚われらはその疑念に率直さと現実性を認め、それをこれよりのちの確信の可能性の尺度であるとの希望を抱いている。

これまでわれらは、そなたの心が近づき難き雰囲気に包まれておらぬ限り、そなたの悩みに答えてきた。が、あれほどの辛苦の末に結成せるサークルも用を為さぬほどに分裂し、殆どの交霊会において、われらの手に負えぬほどに調和を欠くに至った以上、もはやわれらの計画も挫折し、これ以上の努力の意味なしと判断せざるを得なかった。物理実験のしつこき要請はわれらの望むところと余りに掛け離れていた。われらはこのような目的でそなたを選んだのではない。仮にそうであったとしても、そなたの身体をあのような現象で消耗させるわけには参らぬ。さなきだに激しき消耗を強いられる生命力と絶え間なく動揺する身体的特質を考慮した時、とてもあのような実験を許すわけにはいかぬ。あの種の実験にはそれなりの体質を必要とする。それには逆に精神的現象の不得手な、より動物的体質の者が相応しい。そなたを通じてわれらはこの手段(2)によりて言いたきことを実に効果的に伝えることを得て来た。が、振り返ってみるに、その大部分はそなたの抗議への対応に終始し、サークル活動もその所期の大目的は未だ達成されぬままである。

そうした中において、更にそなたはわれらが不可能かつ不必要とみる実験を要請してきた。その折われらは、これを更に要求してくる先がけに過ぎぬと受けとめた。そしてそなたがわれらのこれまでの言説を十分に吟味していないとみた。その上われらは、証拠を出そうと思えばそなたが要求しているもの以上のものを、折を見て出すことも出来た。そこでわれらは、いっそのことこの仕事を止めてしまえば、言い換えれば、われらがこの通信の仕事から暫し引き上げてしまえば、多分そなたの心はおのずと過去へと向い、そこより正しき教訓を学んでくれると判断したのである。が、別な観方も出来る。つまり、たとえわれらが引き上げたところで、そなたの霊的能力まで消すことは出来ぬ。われらが使用を中止するということに過ぎぬ。するとその霊力が他の霊によりて牛耳られ、悪だくみと虚偽の侵入を許し、遂にはわれらの仕事が完全に挫折してしまうことになりかねぬ。その危険を無視するわけにはいかぬ。今もしそなたをそのような状態に放置すれば、そなたが懐疑より不信へと陥るであろうことも十分承知している。直感的判断力より遙かに幅を利かせているそなたの論理的判断の習性のために、そなたは恐らく、出なくなったものは信じなくなるものと思われる。印象が薄れ、やがて消滅していくことであろう。

そこで困難を避ける唯一の道は辛抱づよく待つことであるように思われる。将来を予言することは出来ぬが、そなたの前に二本の道が横たわっていること、そのいずれを選ぶかはそなたの理性が決めることであること、その二点に間違いはない。われらにも選択を迫りたい希望はあるが、それを強要する資格は持たぬ。責任はすべてそなたにある。選択に誤りがなければそなたの魂は進歩と啓発の道を歩むことになろう。その道を拒絶すれば当然暗黒と退歩の道を進むことになろう。それもこれもそなたの判断次第で決まることである。われらとしては、これまでの主張を一語たりとも削るつもりはない。むしろ更に強調したいほどである。その実相についてはこののち更に一層明確に理解することになろう。が、今は神の使徒としてのわれらの存在とこれまでの教説について真摯に、祈りの心を込めて細かく吟味するがよい。過去を振り返ることである。教説を吟味することである。記録を分析し、その中よりそなたの結論を引き出すのである。その間の進歩の跡に注目せよ。神より出でたる教義がいかに入念なる配慮によって仕上げられてきたか、その過程に注目せよ。そしてその過去を踏まえて将来への展望を広げてみよ。今そなたはまさに重大なる境界線上に立てること――魂の進歩の前に取り除かねばならぬことが数多くあること――建物を構築するに先立ちて地ならしの工事が必要であること――永遠がそなたを待ち受けていること――われらが扉を開くカギを授けんとしていることをよく認識されたい。

どうか、二度と訪れぬこの機を拒絶する前に、暫し間を置いてみられることを切望する。拒絶したが最期、それは暗き影となりて永遠にそなたの魂につきまとい続けることであろう。受け入れれば、それは魂の宝となりて永遠にその輝きを増し続けることであろう。

祈れ。父なる神に祈れ。そなたを守り、われらをして引き続きそなたを導くことを得さしめ給わんことを祈れ。冷ややかにして陰気なる地上の雰囲気より脱し、そなたを導かんとして待機せる明るき霊との交わりを求めて祈れ。そなたほど厚き看護を受けし者はおらぬぞ。その看護をそなたほど無益にした者はおらぬということになっても良いというのか。そうならぬよう、また身体的にも霊的にもよこしまなる影響力より護られるよう、そしてまたより高き知識の海原へ、さらにより確固として揺るぎなき信頼へと導かれるよう、そなたと共にわれらも祈ろう。

父よ! 永遠にして無限、全知全能なる神よ! 子なるわれらに、御前に近づき願いごとを述べさせ給え。きっとお聞き届け下さると信ずる故に他なりませぬ。永遠なる神よ、何とぞわれらを妨げんとする者たちと障害物を取り除き給え。疑う心に一条の光を照らされ、暗き心の片隅を明るく照らし、潜み隠れる敵対者を払いのけ給え。われらの労苦に慰めの愛を授け給え。労苦が大なれば、それだけその愛も大なるを要します。仕事が大なれば、それだけ愛の力も大なるを要します。全能なる神よ、何とぞ御力を授け給え。われらの讃仰の御しるしと致させ給え。御前に感謝と崇敬の念を表明し、心からの敬慕の念を捧げさせ給え。われら天使より、御力の御しるしたる宇宙を通じて、御身に栄光と祝福と名誉と讃美の祈念を捧げ奉ります。

(†インペレーター)

〔この通信が事実上これまでの一連の議論の締め括りとなった。むろん私がこれであっさりと確信したわけではない。暫しの議論の小休止、とくに霊界との係わりを全面的にストップしたことが、私にこれまでの通信の経過を自由な気持で振り返らせることになった。それまでの霊的影響力を直接的に受けなくなってからは、以前よりも冷静に判断できるようになり、通信の実直さと誠意と真実性に対する確信が徐々に芽生えてきた。と言うよりは、信仰心が実感を伴って深まり、知らない間に懐疑心が薄れていったと言った方がよいであろう。〕

〔注〕

  • (1)

    他の霊媒を通じてインペレーターがしゃべり、モーゼスを通じて働きかけている霊と同一であることを証明し、そうすることで、その存在が客観的存在であり、モーゼスの第二人格でないことを証明するということ。

  • (2)

    自動書記通信。

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