14章 霊の身元と霊格の問題

一、生前の身元の証明はどこまで可能か

スピリチュアリズムの難問の中でも霊の地上時代の身元ほど異論の多い問題はない。その原因は、問題の性質上、確実な証拠とすべきものが霊側から提供できないということ、そしてまた、時として適当な氏名を名乗る霊がいるということである。

そうした理由から、霊の身元の確認は憑依現象に次いで、スピリチュアリズムの現象面における難題の一つである。もっとも、身元が絶対に間違いないか否かは二次的な意味しかなく、実質的な価値はほとんど無いということを念頭に置いておく必要がある。とくに高級霊になると尚さらである。なぜか。

霊は、霊性が純化されてそれ相応の界層へと進化向上して行くにつれて、本来の個性は変わらないが、言うなれば霊的資質の完成度の均一性において、互いに融合していく。我々が“高級霊”と呼んでいる段階がそうであるが、さらに進化した“純白霊”になると尚さらで、その段階にまで至った霊について、それまでに数知れず体験したであろう物的生活(地球以外の天体上の生活も含めて)の一つに過ぎない地上時代の姓名などを詮索しても意味はないであろう。

さらに留意すべきことは、霊はその霊性の親和性によって互いに引き合い引かれ合って一つの大きな霊的集団ないしは霊的家族(類魂団)を構成する。そうなると、我々人間との交信において、我々が知っていると思われる名前をその同族の中の誰かから借用して間に合わせることをする。

と言うのも、無数にいる同族霊の中には人類の歴史にその名を残している者よりも、まったく知られていない者の方が遥かに多い。その“無名”の高級霊が人間と交信をして高等なメッセージを送る時に氏名を述べる必要が生じたとしよう。その時まったく知られていない氏名を名乗っても意味がない。そこでそのメッセージの内容に相応しい名前を選んで使用するのである。

従って、かりに誰かの守護霊が“聖ペテロ”と名乗っても、それは必ずしもキリストの使徒だったあのペテロであるとは限らないのである。もしかしたら人類には全く知られていない人物で、今はあのペテロが属している霊団の一人なのかも知れないのである。

その場合、こちらから何という名で呼び出してもその霊が出てくるであろう。と言うのは、霊との交信はあくまでも“思念”で行われるので、ペテロと呼ばれようがパウロと呼ばれようが、その霊が出てくる。すでに交信状態ができ上がっているからである。それゆえ高等な通信に関するかぎり、その通信霊が地上時代に誰であったかは意味がないのである。

それが地上を去ってあまり年月が経っていない霊、つまり地上感覚から脱け切っていなくて記憶も習性もあまり変化していない霊となると、警戒すべきことが二つある。

一つは、そういう霊が歴史上の大人物や神話・伝説上の神仏の名をかたる場合、もう一つは、肉親や友人・知人の声色や話振りを真似て、人間を喜ばせたり感激させたりして面白がるケースである。

そうしたケースでその霊の身元を確認する方法の一つは、「神に誓ってそのお名前に偽りはございませんね?」と尋ねてみることである。中には平然と振る舞う曲者もいるが、大抵はすぐに怒り出すか、自動書記であれば用紙を破ったりエンピツを放り投げたりする。また平然とした態度を装う者に対しては、その述べるところに矛盾撞着がないかを見極めて、その点を突っ込んでいくことである。たとえば――

ある自動書記でいきなり「私はゴッドである」と名乗ってきたことがあった。霊媒は嬉しくて、一も二もなく信じた。そこでその霊を霊言霊媒を使って招霊して、さきほど述べたように

「神に誓って神様であることに偽りはございませんね?」と尋ねたところ、少し動揺した様子を見せ、

「神様であるとは言っておらぬ。神の子である」と言い出した。そこで、

「では、イエス様でいらっしゃるわけですか。神に誓ってイエス・キリストであることに偽りはございませんね?」と聞き返すと、さすがに畏れ多いと思ったのか、

「イエスであるとは言っておらぬ。神の息子だと言っているまでである。なんとなれば神に創造されたものだからである」と、わけの分からぬことを言ってきた。

低級霊の集団には、世界各地の交霊会に出没しては、出席者と縁故のある霊の声色を使ったり話し方を真似て、感激的な再会の場面を演出することを得意とする者がいる。その場合、名前や住所、家族名などを確かめても何にもならない。その程度の情報なら低級霊にも簡単に入手できるからである。

また証拠などが得られない高級霊の場合の身元の判断の材料は、名乗って出てくる名前や歴史上の史実ではなく、“言っていること”そのものの内容である。

二、霊格の程度と正邪の見分け方

霊の身元の証明は多くの場合、とくに高級霊の場合は二次的な問題でほとんど意味がないとしても、その霊が善霊か邪霊か、高級か低級かの判断はきわめて重大な問題である。というのは、その述べるところが一体何という名の霊からのものであるかは、事情によってはどうでもよいことであるが、その内容つまり何を述べているかということは、それを送ってくる霊の信頼度を計る唯一の手掛かりとなるからである。

今も述べたように、通信霊がいかなる霊格の持ち主であるかは、人間の人格を推し量る時と同じように、その言っていることによって判断しなくてはならない。かりに見知らぬ人々から二十通の手紙が届いたとしよう。その一通一通について文体と内容その他、こまごまとした特徴から、どの程度の人物からのものであるかは大よその見当がつくはずである。

霊からの通信についても同じことが言える。一度も会ったことのない霊からメッセージを受け取ったら、その文体と内容から大よそどの程度の霊格の持ち主であるかの見当をつけるべきで、立派そうな名前のサインがしてあるからというだけで有頂天になってはいけない。霊格はその言葉に表れる――これは間違いない尺度であって、まず例外は有り得ないと思ってよい。

高級霊からのメッセージはただ内容が素晴らしいというだけではない。その文体が、素朴でありながら威厳に満ちている。低級霊になると、やたらに立派そうな派手な用語を用いながら、訴える力がこもっていない。

用心しなければならないのは、知性である。ふんだんに知識をひけらかしているからといって高級霊と思ってはならない。知性は必ずしも徳性ないし霊性の証明ではないのである。非常に霊性の高い霊でも哲学的には深いことを語らないことがあるし、博覧強記で、知らないものはないかに知識を披露しても、霊格の低いことがある。

そうしたことから推察できる事実として、通信霊が地上時代に著名な科学者だったからといって、その後もその分野でますます高度の知識を蓄えているとは限らないことである。霊性の発達が遅れているために相変わらず地上的波動から脱け切れず、地上時代に名声を博した理論をいつまでも後生大事にして、それが進歩の足枷となっていることに気がつかない。

もちろん全ての科学者がそうだと言うつもりはない。ただ、これまでにそうした霊を数多く招霊しており、地上時代の名声は必ずしも霊性の高さの証明とはならないことを指摘しておくまでである。

繰り返すが、霊的通信を受け取った時は、内容的に見て理性と常識に反するものはないか、文章や言葉に品位があるか、偉ぶったところや尊大な態度は見られないか、といった点を徹底的に検証しないといけない。そうした態度に出られて、もしも機嫌を損ねるようであったら、それは低級霊・未熟霊・邪霊の類いと思って差し支えない。高級霊ないし善霊は絶対に機嫌を損ねないどころか、むしろそうした態度を歓迎する。何一つ恐れる必要がないからである。

一問一答

――通信霊の優劣は何を手掛かりに判断すればよいのでしょうか。

「文章(自動書記の場合)ないし言葉づかい(霊言の場合)です。人間の場合と同じです。すでに述べたように、高級霊の述べることには矛盾撞着がなく、全体が善性で貫かれております。善への志向しか持ち合わせないからです。それが高級霊の思念と行為の目的なのです。

低級霊はいまだに地上的感覚に支配されています。その語るところに無知と不完全さがさらけ出されます。知識の崇高さと冷静な判断力、これが高級霊のみの属性です。」

――優れた科学的知識は霊格の高さの指標でしょうか。

「そうとは言い切れません。その霊が今も地上的波動の中で生きているとすれば、人間的な煩悩と偏見を留めているはずです。地上を去ってすぐにそうした煩悩を捨て去ることができると思いますか。とんでもありません。こちらへ来ても相変わらず高慢で嫉妬ぶかく、その波動が地上時代と同じように魂を覆っています。

低級霊というのは、ただ単に無知である者よりも、なまじ知性が発達した者の方が始末に負えないものです。その生半可な知性にずる賢さと高慢とが結合するからです。彼らは大威張りで、怪しむことを知らない人間や無知な人間を標的にして働きかけます。また働きかけを受けた人間もそれを躊躇することなく受け入れます。

無論そうした誤った論説は最終的には真理には勝てませんが、一時的には混乱を引き起こし、スピリチュアリズムの発展を阻害します。霊能者は無論のこと、スピリチュアリズムの普及に携わる人々は、その点をしっかりと認識して、真理と虚偽とを明確に選り分けるように努力すべきです。」

――通信霊の中には歴史上に名を留めている聖人や有名人の名を名乗る者が多いのですが、どう対処すべきでしょうか。

「歴史に名を残している聖人や大人物がいったい何人いるというのでしょう? 通信を送る高級霊の中で地上の人間にその名を知られている者の数はたかが知れています。知られていない霊の方が遥かに多いのです。地上時代の氏名を聞かれても名乗りたがらない者が多いのは、そのためです。ところが、人間はそれでは承知せず、しつこくせがみます。そこでやむを得ず適当な人物の名を使用することにもなるのです。」

――それは一種の“詐称”と見なされるのではありませんか。

「邪霊が騙す目的でそういうことをすれば詐称と言えるでしょう。ですが、高級霊がそういうことをすることは、同じ霊格を持つ霊団の中では許されていることなのです。思想上の同一性と責任の連帯意識があるからです。」

――そうなると、霊団の一人がたとえば“聖パウロ”だと名乗っても、あのキリストの使徒のパウロだとは限らないということですか。

「その通りです。自分の守護霊は聖パウロだと言われた人が何千何万といる事実を見れば分かるはずです。が、霊格がパウロと同じ程度であれば名前はどうでもいいではありませんか。ですが、あなた方はすぐに地上時代の名前を知りたがります。そこで霊の方では適当な名前を選んで、それを自分の“呼び名”にするのです。それはちょうど地上の家族が同じ姓のもとで呼び名をつけて区別にするのと同じです。時にはラファエルとかミカエルといった大天使の名をつけて、問題が生じない範囲で用いることもあります。

さらに言えば、霊格が高まれば高まるほど、その影響力の及ぶ範囲も広がります。そこで、一人の高級霊が地上の何百何千という人間の面倒を見ることもあります。地上には弁護士というのがいて何十人何百人という人の世俗的問題の処理に当たりますが、それと同じと思えばよろしい。霊的な側面から面倒を見るわけです。」

訳注――マイヤースの“類魂説”でいうと、類魂団の親に当たる“中心霊”がいて、それが幾つでも分霊を出して地上その他の天体に生みつけ、その一人一人を類魂の中の誰かに面倒を見させるという。中心霊が全体を統括しながら個々の人間にも守護霊を付けているようである。「一人の高級霊が地上の何百何千という人間の面倒を見る」というのは“統括している”という意味に取るべきであろう。

――通信霊が聖人の名を使うことが多いのはなぜでしょうか。

「通信を受け取る側の人間の信仰上の慣習に合わせて、最も感銘を与えやすい名を選びます。」

ブラックウェル脚注――聖人に列せられている名を使うのはカトリック系の国に多く、プロテスタントの国では歴史上に名を残した人物や科学界の著名人の名を用いる傾向がある。

――高級霊は招霊されると自ら出てくるのでしょうか、それとも代理の者を差し向けることもあるのでしょうか。

「出られる場合は自ら出ます。出られない場合は代理の者を送ります。」

――その代理の霊は高級霊の代理として申し分ないだけの資格を身につけているのでしょうか。

「高級霊が自分の代理として選ぶのですから、十分にその資格をそなえた者にきまっています。さらに言えば、霊格が高まるほど霊団内の思想に緊密度が増しますから、その中の誰が出ても大して変わりはないのです。

お聞きしていると、地上の歴史に名を残している人物でないとその通信に価値がないかに思っておられる節がありますね。どうやらあなた方は、自分たち地上の人間だけがこの宇宙の住民であるかのように思い込み、そこから先が見えないようですが、そんなことでは、まるで孤島で暮らしている原始人と同じで、その島が全世界であると思い込んでいるようなものです。」

――重大な内容の通信の場合であれば異論はありませんが、低級霊が道を誤らせるような内容の通信を送ってくる時に聖人の名を騙るのをなぜ高級霊は許すのでしょうか。

「別に許しているわけではありません。地上と同じで、そういう騙しの行為をした霊は罰せられます。それは確かです。そしてまた、その騙しの悪辣さに応じて罰が酷しくなることも確かです。

しかし一方、もしもあなた方が完全な人間であれば常に善霊に取り囲まれていることでしょうが、万が一騙された時は、それはあなた方がまだまだ不完全であることの証左であると受け取るべきでして、その場合の責任は人間側にもあることになります。

そういう事態が生じるのは、一つには天の配剤としての試練であり、また一つには真実と虚偽との見分けが必要であることを教えることによって啓発するためでもあります。それでも啓発されなかったら、それはあなた方の霊性が十分に進化していない証拠であり、まだまだ失敗による教訓を必要としていることを物語っています。」

――霊格はあまり高くなくても真理の普及と向上心に燃える霊を、通信法の練習の機会を与える目的で、本来の高級霊に代わって出させることはありますか。

「スピリチュアリズムの大計画に基づく交霊会では絶対にそのようなことはさせません。もともとそうした重大な交霊会に出現する高級霊は自らその難しい仕事を買って出るものだからです。中には霊格は高くても、たとえば自動書記であれば“書く”という練習も兼ねることがあり、霊媒の知識の不足もあって、最初のうちは通信内容が粗悪である場合が少なくありません。が、プライベートな内容の通信の場合を除いて、代理の者に書かせることはしません。」

訳注――本書の二十年後に出たモーゼスの『霊訓』では、レクターその他の複数の霊が最高指揮霊インペレーターの“書記”をつとめている。また、さらに五十年後に出現したシルバーバーチはインディアンをマウスピースとして使用している。時代とともに変遷しているようである。

――お粗末きわまる通信の中に時としてびっくりするような名文が出てくることがありますが、この不合理をどう理解すべきでしょうか。霊格の異なる複数の霊が入れ替わり立ち替わり書いたように見受けられるのですが……

「低級霊ないしは無知な霊が大した内容もない文章を綴ることがあります。地上でもそうではないでしょうか。文筆家がみな立派な人ばかりとは限らないのと同じです。が、その程度の霊と高級霊とが共同で書くようなことはしません。高級霊からの通信には一貫して崇高さが窺われます。」

――霊が間違ったアドバイスをして、それがもとで人間が誤りを犯した場合、そこには必ず意図的な作為があるのでしょうか。

「そんなことはありません。善意に満ちた霊でも真理に無知なことがあり、真実と思い込んで間違ったアドバイスをすることがあります。ただし自分の誤りに気づくと、それからは用心して間違いない範囲に限るようにします。」

――間違った内容の通信を送ってくる場合、良からぬ意図に発しているのでしょうか。

「これもそうとは言い切れません。霊でもよく軽はずみなことを述べてしまうことがあるものです。誤解しているわけでもなく、これといった意図があるわけでもないのですが、明確に理解していないことをいかにも分かっているかのごとき態度でまくし立て、けむに巻くことがあります。」

――霊が声色を使ったり話し方を真似たりすることができるとなると、姿を偽装することによって霊視能力者をごまかすこともできるのでしょうか。

「そういうことが時おりあります。しかし霊言や自動書記でごまかすよりも難しく、しかも高級霊による配慮で、その霊能者を戒める目的で特別に雇われた霊だけに許されることです。その場合、霊自身は高級霊に雇われていることには気づきません。また霊視能力者もそうした軽薄な低級霊が見えてもごまかされていることには気づきません。霊聴能力で話を聞き取り自動書記で綴るのと同じことです。いたずら霊はそうした霊媒能力を逆手に取って偽装した姿を見せるのですが、それが可能かどうかは霊能者自身の霊性の程度に掛かっています。」

――騙されないようにするには真面目な心掛けが肝心なのでしょうか、それとも、どんなに真面目な真理探求者でも騙されるものなのでしょうか。

「真面目であればあるほど騙されることが少ないということは言えます。しかし、いかなる人間にもどこかに弱点があり、それが邪霊につけ入らせることになります。本当は弱いくせに自分では強いと思っている人がいます。自惚れや偏見はないと思っている人でも、自分で気づいていないだけの人がいます。霊能者はそうした点を十分に反省せずに霊的な仕事に携わるために、そこがいたずら霊のつけ入るスキとなります。自惚れや偏見を煽ればいい気になって、思うツボにはまることを彼らは知っているのです。」

――なぜ神はそういうよこしまな下心をもつ霊が人間に通信を送ることを許すのでしょうか。

「いかに邪悪な霊からの通信にも教訓を垂れるという目的がもくろまれているのです。そこから教訓を引き出し、それを有益な体験としていくことです。正邪を区別し、それを鏡として自分を映して反省するために、ありとあらゆる程度と種類の通信に当たってみる必要があるのではないでしょうか。」

――霊は通信の中に邪な猜疑心を煽るようなことを含ませて、サークルを仲違いさせるようなこともできるのでしょうか。

「根性のひねくれた妬み深い霊は、地上の悪人がするのと同じあらゆる悪事を企むことができます。常に油断を怠らないようにする必要があります。

高級霊が人間に仕置きをする時は、慎重さと節度を弁えた上で行います。決して非難のつぶてを投げるようなことはしません。警告はしますが、そこに優しさがあります。仮に二人のメンバーが今は会わない方がいいと判断した時は、会えなくなるような事情を生じさせて会わないようにします。トラブルや不信を生じさせるような通信は、どんな立派な署名がしてあっても、邪霊の仕業と思って間違いありません。ですから、メンバーの中の誰かを揶揄やゆするようなことを述べている時は用心しないといけません。そして自分自身を厳しく反省し、偏見のないように心掛けることを忘れてはなりません。

霊界通信に関するかぎり、知性と良心にもとることのない、上品で寛大で合理的な内容のものだけを受け取ることです。」

――それほどまでに邪霊・悪霊がつけ入りやすいとなると、霊界通信はどれ一つとして安心して受け取れないことになりそうですが……

「その通りです。だからこそ理性という判断力が与えられているのです。仮に一通の手紙を読んだ時、それが悪逆非道の人物からのものか、育ちの良い人物からのものか、教養があるかないかは、一読しただけで分かるはずです。霊からの通信も同じです。

遠く離れた古い友人から久しぶりに便りが届いたとしましょう。それが間違いなくその友人からものであることをどうやって確認しますか。筆跡と内容で、とおっしゃるかも知れません。が、筆跡を真似たりプライベートなことを覗き見する者はいくらでもいます。が、直観的判断で間違いなくあの友人だと確信させる何ものかがその文面にはあるはずです。霊界通信も同じです。」

――高級霊がその気になれば、邪霊が偽名を使うのを阻止できるのではないでしょうか。

「もちろんできます。が、邪悪性が強い者ほど、その執拗性も強く、しつこく抵抗して容易に止めようとしません。それに、こういうことも知っておいてください。高級霊はその判断力でもって、成り行きに任せる場合と全力をあげて守る場合とがあります。高級霊が全力で守護する場合はいかなる邪霊も無力です。」

――そういう差別をする動機は何でしょうか。

「差別ではありません。公正です。言うことを素直に聞いて向上を心掛ける霊能者にはそれに相応しいことをします。言わば高級霊のお気に入りであり、いろいろと援助します。口先だけ立派なことを言いながら実行の伴わない者には、高級霊はまず構いません。」

――高貴な人物の名を騙るという冒涜行為を神はなぜ許すのでしょうか。

「そういう質問をなさるのなら、なぜ地上にはウソつきや不敬を働く者がいるのかを質問なさるがよろしい。人間と同じく霊にも自由意志があるのです。そして神の公正は善行についても悪行についても、きちんと働きます。」

――そういう邪霊を(悪魔払いのような)儀式で追い払うことはできませんか。

「儀式はあくまでも形式的なものです。大霊を志向した真摯な思念の方が遥かに効果があります。」

――ある霊が、自分たちには誰にも真似のできない図形的な標章をこしらえることができると言い、それを用いることによって絶対的な確実性をもって高級であることを証明できると言うのですが、本当でしょうか。

「高級霊であることの標章は説くところの思想とその言葉の崇高性以外にはありません。図形的な標章ならどんな霊にでも似たものをつくることができます。低級霊が幾ら悪知恵を働かせても、その素性を隠すことはできません。幾らでもボロを見せているのですが、それでも騙される人間はよほど物を見分ける目がないとしか言いようがありません。」

――低級霊は高級霊の思想まで真似ることができるのではないでしょうか。

「できるといっても、それは映画のスクリーンに映る大自然の風景がまがいものであるのと同じ程度のものです。」

――注意して観察すれば化けの皮はすぐに剥がれるということでしょうか。

「そうですとも。騙される人間は自ら騙されることを許しているのです。低級霊が騙すのはそういう人間だけです。本物かニセ物かを見分けるには宝石商のような鑑識眼を持たないといけません。自分で見分けられない時は鑑定家のところへ持って行って見てもらうことです。」

――勿体ぶった言説に簡単に参ってしまう程度の人間、つまり思想よりも美辞麗句に弱い人間は、反対に崇高なものは陳腐で下らぬものと見誤りがちです。こうした人間は、霊どころか、人を見抜く目も持たないと思えるのですが、どうしたらよいでしょうか。

「その人が本当に謙虚であれば自分の無力さを自覚して、都合のいい判断は下さないはずです。高慢で、自分がいちばん賢いと思い込んでいる人間は、自らその自惚れを生み出す結果を招きます。

純心ではあるが教養に欠ける者と、知識と教養は豊富ではあるが自惚れの強い者とがいるものですが、案外前者の方が騙されることが少ないものです。邪霊は、その自惚れ屋の感情をくすぐることによって好きに操るのです。」

――霊能者の中には霊が接近してくる時の雰囲気で善霊か悪霊かの判断をする人が多いようですが、けいれんを伴った興奮状態やイライラといった不快な反応は、間違いなく、働きかけている霊の邪悪性の証拠とみてよろしいでしょうか。

「霊能者は働きかける霊の精神状態を敏感に察知します。霊が幸福感に満ちていれば霊能者も冷静で心も軽やかで穏やかです。不快感を抱いていれば霊能者もイライラしたり興奮したりします。そしてそのイライラは当然霊能者の神経組織にも悪影響を及ぼします。人間と同じです。心に何一つやましいところがなければ沈着冷静です。腹に一物ある人間は落ち着きがなく、とかく興奮しがちです。」

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