7章 生者の幽霊現象と変貌現象

前章では他界した人間の霊がその姿を生身の人間の霊眼に見せる場合と、霊みずからがエクトプラズムという半物質体をまとって肉眼に見せる場合について、そのメカニズムを霊団の通信霊との一問一答によって紹介したが、本章では、今この世に生きている人間、つまり生者の霊が肉体から脱してその容姿を遠距離にいる縁のある人に見せる現象と、生者自身の顔が見る見るうちに変貌して、他界した人間とそっくりになるばかりか、発する声まで同じになるという現象を扱う。

一見すると両者とも奇っ怪な現象のように思えるが、よく調べてみると前章の物質化現象と同じくダブルの特性によるもので、生前と死後とでその反応は変わらないことが分かった。

霊は、肉体をまとっている時も、その肉体を脱ぎ捨てた後も、半物質体でできたダブルという媒体に包まれており、それが条件次第で一時的に可視性と触知性とをそなえることができる。ともかくも実例を挙げてみよう。

さる田舎町に住む女性が重い病気で床に伏していた。ある日の夜の十時頃のことである。寝室に一人の老紳士がいるのに気づいた。同じ町の住人で見覚えはあったが、知り合いではなかった。

その老人はベッドの近くのひじ掛けイスに腰かけ、時おりかぎタバコをつまんではいでいるが、その目つきはいかにも彼女を見張っているみたいである。

時刻が時刻なので怖くなってきた女性は、一体何しに来たのかと尋ねようとした。すると老人は「物を言ってはいけない」と言わんばかりの仕草をし、さらに「もう寝なさい」と言っているような仕草をする。何度か尋ねようとしたが、そのたびに同じ仕草をくり返す。そのうち彼女は寝入ってしまった。

その後何日かしてその女性がすっかり回復した頃、同じ老紳士が訪ねてきた。こんどは昼間である。衣服は同じで、同じかぎタバコ入れを手にし、態度も同じだった。

間違いないと確信した女性は、病床を見舞ってくれたことについて礼を述べると、老人は驚いた様子で自分は見舞いなんかに来ていないと言う。その夜のことをありありと覚えている女性は間違いないと確信したが、あまり語りたくなかったので「たぶん夢でも見ていたのでしょう」と言いつくろったという。

もう一つの例を紹介しよう。ある町に、なかなか結婚したがらない青年がいて、家族を始め親戚の者は隣の町に住むある女性がちょうど似合いの相手なのだが、と勧めていたが、本人は会ってみる気にもならなかった。

一八三五年のある祝祭日のことだったが、彼の寝室に突然一人の女性が白無垢の装束で現れた。頭には花の冠をのせていて、はっきりとした声で、

「私はあなたの婚約者です」

と言って手を差し出した。彼もとっさに手を差し出してその手を取ると、その指には婚約指輪がはめられていた。が、次の瞬間、その姿は消えていた。

驚いた青年は夢ではないことを確かめてから、家族の者に誰か訪ねてきた人はいないかと聞いてみたが、今日は誰も来客はないという返事だった。

それからちょうど一年後の同じ祝祭日のことである。その青年もついにみんなから盛んに勧められる隣町の女性を一目見てみたいという気持ちになった。

行ってみると折しもお祭り見物から帰ってくる人波の中に、一年前に彼の部屋で見たのとそっくりの女性を見つけて近づいた。装束も同じである。彼が唖然として見つめていると、その女性の方も彼に気がついた。そして真正面から見た瞬間、驚きの声を発すると同時にその場に卒倒してしまった。

意識が戻ってから女性は家族の者に「あの方は私が一年前のこの日に会った人よ」と述べ、かくして始まった二人の不思議な縁は結婚という目出たい結末となった。

一八三五年といえばハイズビル事件の十年余り前のことで、スピリチュアリズムはまだ話題になっておらず、二人ともごく平凡な、そして至って現実的な人間だったという。

次の話に移る前に、きっと出てきそうな疑問に答えておこう。「肉体から霊が脱け出てしまったのに肉体はなぜ死なないのか」という疑問である。

実は、同じく肉体から脱け出るといっても、生者の霊が一時的に肉体から離れる場合、つまり睡眠中とか上の例のような現象は、霊視すると銀色に輝く細い紐(たまの緒)で結ばれていて、それがいくらでも伸びる。そして、その間に肉体に何らかの刺激が与えられると、瞬時に肉体に戻る。

「死」というのは肉体が老衰・事故・病気などで使用不可能になった時にその銀色の紐(シルバーコード)が切断される現象で、いったん切断されたら二度と生き返れない。

次の例へ進もう。

ローマ・カトリック教会の聖アルフォンソ(一六九六~一七八七)は死後異例の早さで聖者の列に加えられているが、それは他でもない、生前、同時に二つの場所に姿を見せるという“奇跡”を演じて見せることができたからだった。

その聖アルフォンソがかつて無実の罪に沈みかけたことがあった。そしてイタリアのパドヴァで死刑が執行されようとしていた。

その時、スペインへ出張中の息子の聖アントニオが突如その刑場に出現して父親の無実を証言し、真犯人を名指しした。

その事実が明確となって聖アルフォンソは濡れ衣が晴れた。その後、聖アントニオがパドヴァの刑場に姿を現した時は間違いなくその身柄はスペインにあったことが確認されたという。

その聖アルフォンソに我々の交霊会に出ていただくことができた。以下はその時の一問一答である。


――あの生者の遊離現象について説明していただけますか。

「分かりました。霊性の進化の結果として、ある一定の段階の非物質化が可能となった者は、今いるところとは別の場所に自分の姿を見せることができるようになります。その方法は、睡眠状態に入りそうになった時に、ある特定の場所に移動させてくださいと神に祈るのです。その願いが許されると、肉体が睡眠状態に入るとすぐ霊がダブルの一部をともなって、死と境を接する状態にある肉体を離れます。

“死と境を接する状態”と表現したのは、魂が脱けた状態は“死”と同じでも、その肉体にはいわく言い難い絆(シルバーコード)が残されていて、ダブルと魂とのつながりを保っているからです。そのダブルが魂とともに意図した場所に姿を現すのです。」

――今のお答えでは、なぜ見えるのか、なぜ感触があるかについての説明になっておりませんが……

「霊が物質による束縛から解き放たれると、物質への特殊な働きかけによって、その霊性の程度に応じて姿を大なり小なり五感に訴えるようにすることができます。」

――それには肉体が睡眠状態に入ることが不可欠なのでしょうか。

「魂は、肉体が置かれている位置とは別の複数の場所に行きたいと思えば、自らを分割してそれぞれの場所に姿を見せることができます。

その時、肉体は必ずしも睡眠状態にならなくてもいいのですが、それは滅多にないことです。仮にごく通常の状態にあるかに見えても、大なり小なりトランス状態にあるものです。」

編者注――魂が自らを分割すると言っても、我々の概念でいう“分割”とは異なる。魂はあくまでも一つなのであるが、鏡を幾つも置けばその数だけ姿があるように映るごとく、複数の方向に映像を放射することができるのである。


次に変貌現象というのを考察してみよう。これは生者の顔が死者とそっくりの顔に変貌する現象である。一八五八年と五九年に起きた、信ずべき証言のある実例から紹介しよう。

話題の主はまだ一五歳の少女で、見る見るうちに顔かたちが変化して、まったく別人の顔になる。女性とは限らない。男性の場合もある。変貌してしまうと完全にその女の子ではなくなり、顔だけでなく声もしゃべり方も、そして背丈も体重もすっかり変わってしまう。

同じ町の医師が何度も目撃して、それが目の錯覚でないことを確認するためにいろいろと実験し、それを全て記録に残している。さらにその子の父親と他の数人の目撃証言も残っている。

いちばん多く出現したのは二十歳で他界したその子の兄で、身長も体重もかなり違っていた。医師は現象が始まる前にその子の体重を計り、兄に変貌した時にも体重計に乗ってもらったところ、ほぼ倍の重さがあったという。

実験は決定的ともいうべき条件が整っており、目の錯覚とする説は完全に退けられている。では一体いかなるメカニズムによって生じているのであろうか。

変貌現象と言われているものの中には明らかに顔の筋肉の収縮にすぎないと思えるものがある。我々の会でも何度となく観察されているが、その場合は“劇的”といえるほどの変貌は見られていない。若い容貌がけて見えたり、老けた容貌が若くみえたり、美貌が平凡な顔になったり、平凡な顔がハンサムになったりする程度で、男性は男性に、女性は女性にというのが普通で、体重が増えたり減ったりすることは、まずなかった。

ところが上の女の子の場合は、そうしたものとは別の次元の要素が加わっている。どうやら物質化現象やアポーツの原理と同じく流動エネルギーにカギがありそうである。

前章までの解説で我々は、霊は自分の流動体に働きかけて、その原子構造を変化させることによって、一時的にではあるが、可視性と触知性を持たせることができる――言いかえれば、透明で存在が認知できないものを人間の目に見え手で触れられるものにすることができるという基本的原理を学んだ。

さらにもう一つの基本的原理として、生者の流動体も肉体から遊離させてエネルギー化できることも分かっている。

そこで、変貌現象について次のように考えてみてはどうだろうか。

変貌する人間の流動体を肉体から遊離させるのではなく、そのままの状態で蒸気のように気化し、さらに半物質の合成体にして肉体を覆わせる。そして、霊が自らのダブルに合わせる。一種の物質化現象で、その背後では目に見えないオペレーターが何人も働いているはずである。

体重の増減の問題であるが、これは実験会での物理現象の原理で説明がつくであろう。つまり本来の体重は変化していないが、見えざる世界からの働きかけによって、少なくともその間だけ、重くなったり軽くなったりしているものと考えられる。

訳注――霊力の凄さはこれまで本書でもいろいろな形で見せつけられているので改めて付言する必要はないと思うが、『ジャック・ウェバーの霊現象』の中に、上の体重の増減の現象の理解に参考になるものがあるので紹介しておきたい。

「霊媒の浮揚現象」という見出しの章の後半に“思いがけない現象”として次のような叙述がある。

《写真No.25には思いがけない現象が写っている。浮揚現象を撮影しようとしていたところ、その“持ち上げる力”が逆の方向に利用されて、椅子が床に降りると同時に、バリバリという何かを破壊するような大きな音がした。ライトをつけてみると、霊媒は無残に砕けた椅子に縛りつけられていた。

霊媒が腰かけていたウィンザー型の椅子は実にどっしりとした造りだった。座の部分は厚さが1.3インチ(三センチ余り)もあったが、それが真ん中で真二つに割れ、四本の脚が支柱もろとも四方に引き裂かれ、肘かけが背もたれからもぎ取られていた。

写真は砕かれかけた一瞬をよく捉えている。霊媒の身体にいささかの緊張感も見られないところに注目していただきたい。

一個の椅子を一瞬のうちにこれほど徹底的に破壊するのに一体どれほどのエネルギーが要るかということも一考の価値がある。力持ちが椅子を持ち上げて思い切り床に叩きつけて、はたして上に述べたような状態に破壊できるか――これは大いに疑問である。》

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