11章 霊媒能力の特殊性と危険性

本章では霊媒としての能力が十二分に発揮される段階に至ってからの問題点や危険性について述べておきたい。

自動書記を例に取れば、用紙にきちんとした書体で通信文が書かれるようになったとする。が、ここでいい気になって油断すると危険である。鳥が一人前に飛べるようになって巣立った後、場所もわきまえずに飛び回っていると、ワナにかかったり鳥モチで捕らえられたりするのと同じで、邪霊が鵜の目鷹の目で見張っていることを忘れてはならない。

ラクに書けるようになったということは霊が身体機能をうまく操れるようになったという、言わば物的ハードルを乗り越えたという段階に過ぎず、霊的ならびに精神的修養はこれからなのである。

霊媒としての能力は、自由に発揮できるようになったからといって、無計画に、無節操に使用してはならない。本来は謹厳な使用目的を義務づけられて授かっているのであって、安直な好奇心の満足で終わることは許されてはいない。

本来は最良のコンディションのもとに行うべき実験会を、霊現象の面白さだけを求めて一日中行うような無分別なことをすると、高級霊は四六時中面倒を見てくれているわけではないので、下らぬ低級霊の餌食にされてしまう危険性がある。細かい点については次の一問一答から学んでいただきたい。


――そもそも霊媒的能力というのは病的なものでしょうか。それとも単に異常なものでしょうか。

「異常な状態のこともありますが、病的なものではありません。霊媒にも頑健そのものの人がいます。虚弱な霊媒は別の原因から来ています。」

――霊媒能力の使用によって疲労を来すことがありますか。

「いかなる能力でも長時間にわたって使用すれば疲労を来します。霊媒能力も、とくに物理現象の場合は流動エネルギーを多量に使用しますから、当然疲労します。が、休息すれば回復します。」

――悪用した場合は論外として、善用した場合でも霊媒能力が健康に害を及ぼすことがありますか。

「肉体的ないしは精神的な反応によって、慎重を期する必要がある場合、もしくは控えた方が好ましい場合、少なくともよほどの節制を要する場合などがあります。それは直感的に自分で判断できるものです。疲労が蓄積していると感じた時は控えるべきです。」

――人によっては霊媒能力が害を及ぼすことがあるわけですか。

「今も述べた通り、それは霊媒自身の肉体的および精神的状態に係わる問題です。体質的・気質的に過度の刺激を与えるものは避けるべき人がいます。霊媒現象もその部類に入ります。」

――霊媒能力が精神異常を来すことがありますか。

「脳障害の素因がある場合を除いては、その可能性はありません。先天的に素因がある場合は、常識的に考えて、いかなる精神的興奮も避けるべきです。」

――子供が霊能開発をするのはいかがでしょうか。

「感心しないだけでなく、危険ですらあります。子供のデリケートでひ弱な体質が過度の影響を受け、精神的にも幼い想像力が異常な刺激を受けます。子供にはスピリチュアリズムの道徳的な側面を教えるにとどめ、霊媒現象の話はしない方が賢明です。」

――しかし、生まれつき霊媒能力をもった子供がいます。物理現象だけでなく、自動書記能力や霊視能力をもった子供もいます。そういう子供は危険なのでしょうか。

「いえ、危険ではありません。そのように自然発生的であれば、そういう素質をもって生まれてきているのであり、体質的にそれに耐えられるようにでき上がっております。人為的に開発する場合とは根本的に異なり、神経組織が異常に興奮することはありません。

また、霊視能力でさまざまなものが見えても、そのような子供はそれをごく自然に受け止め、ほとんど意に介さないので、すぐに忘れてしまいます。成人してから思い出しても、それによって心を痛めることはありません。」

――では霊能開発は何歳から始めれば危険性がないでしょうか。

「何歳という定まった年齢というのはありません。身体上の発育によって違いますし、それよりもっと大切なものとして、精神的発達によっても違ってきます。十二歳でも大人より悪い影響を受けない子供がいます。もっとも、これは霊媒能力一般についての話です。物理現象になると身体そのものの消耗が大きくなります。では自動書記なら問題ないかというと、これにも無知から来る別の危険性があります。面白くて、一人でやりすぎて、それが健康に害を及ぼします。」

編者注――このあとの通信でますます明確になってくることだが、スピリチュアリズムの現象面に係わるに当たっては邪悪な低級霊に騙されないための才覚と用心を怠らないようにしなければならない。大人にしてそうなのであるから、若者や子供はなおのこと用心が肝要である。

それには精神統一と感情の冷静さによって善良で高級な霊の協力を得ることが必要となる。同じく霊の援助を祈り求めるにしても、ふざけ半分の態度で軽々しくやるのは一種の冒涜的行為であり、むしろ低級霊のつけ入るスキを与えることになる。

こうしたことを子供に忠告しても意味がないから、霊媒的素質のある子供を指導するに際しては、絶対に一人で行わないように厳重に警告しておく必要があろう。


続いて、霊媒現象の実際に関する一問一答。


――霊媒がその能力を使用している時は完全に正常な状態にあると言えますか。

「多かれ少なかれ危険な状態にある場合があります。疲労するのはそのためです。だから休息が必要となるわけです。しかし大体において正常な状態にあるとみてよろしい。とくに自動書記の場合は完全に正常です。」

――自動書記にせよ霊言にせよ、伝達される通信は霊媒自身の霊を通して届けられるのでしょうか。

「霊媒の霊にも、他の霊と同じように伝達能力があります。肉体から解放されると霊としての能力を回復するのです。このことは生者が幽体離脱して、書くなり話すなりして意志を伝達することがある事実が証明しています。

出現する霊の中にはすでにこの地上か、どこか他の天体に再生している者もいます。そういう場合でも霊として語っているのであって、人間としてではありません。霊媒の場合も同じではないでしょうか。」

――その説明ですと、霊界通信というのは全て霊媒の潜在意識が語っているにすぎないという意見を認めることになりませんか。

「その意見が全てであると断定するところに誤りがあるだけです。霊媒の霊がみずから行動することができるのは間違いない事実です。しかしそのことは他の霊が他の手段で働きかけることがある事実を否定することにはなりません。」

――では通信が霊媒自身のものか他の霊からのものかの判断はどうすればよいのでしょうか。

「通信の内容です。通信が得られた時の状況、述べられた、ないしは書かれた言葉や用語などをよく検討することです。霊媒自身が表面に出やすいのは、主にトランス状態の時です。肉体による束縛が少ないからです。通常意識の時には、通常の人間的性格とは別の、本来の自我は出にくいものです。

また、質問に対する答えが霊媒自身のものであり得るかどうかも判断の材料になります。私が、よく観察し疑ってかかるように、と申し上げるのはそのためです。」

訳注――ここで言う“疑ってかかる”というのは“批判的態度で臨む”ということであって“うたぐる”のとは違う。

スピリチュアリズムの思想面の発達に大きく寄与した人々の中には、気の進まないまま、あるいはトリックをあばいてやろうといった気持ちで交霊会に出席して、霊言で自分しか知るはずのない事実、つまり霊媒を始めその場にいる人々が絶対に知るはずのないプライベートなことを聞かされて「何かある」と直観して、その日を境に人生観が百八十度転換した人が多い。

米国の次期大統領候補とまで目されていたニューヨーク州最高裁判事のジョン・ワース・エドマンズ、英国ジャーナリズム界の大御所的存在だったハンネン・スワッファーなどがその代表的人物で、エドマンズ判事が米国の知識人に、スワッファーが英国の知識人に与えた衝撃は大きかった。とくにスワッファーの場合はシルバーバーチ霊の霊言霊媒だったモーリス・バーバネルを説得して「霊言集」として一般に公表させた功績は百万言を費やしてもなお足りないほど大きい。

いずれの人物も“煮ても焼いても食えぬ”偏屈者で知られていたが、真実を真実として直観し、確信したら真一文字に突き進んだところに霊格の高さがあった。

――現在の肉体に宿っての生活のあいだ消えている前世での知識が霊的自我によって思い起こされ、それが霊媒の通常の理解力を超えている場合も考えられるのではないでしょうか。

「トランス状態においてしばしばそういうことが起きることがあります。が、改めて断言しますが、そういう場合と、我々霊団の者が出た場合とでは、よくよく検討すれば疑う余地のない違いというものが見つかります。時間を掛けて検討し、じっくり熟考なさることです。確信に至ります。」

――霊媒自身の霊的自我から出たものは他の霊からのものに比べて見劣りがするということでしょうか。

「必ずしもそうではありません。他の霊の方が霊媒より霊格が低い場合だってあるわけですから、その場合は他の霊からの通信の方が劣るでしょう。そうした現象はセミ・トランス状態でよく見られます。なかなか立派なことを述べていることもあります。」

訳注――ここで“セミ・トランス”と訳したのは英文ではsomnambulismソムナンビュリズムとなっている。これはもともと心理学の用語で、日本語では“夢遊病”などと訳されている。心理学がこれを病気として扱うのはやむを得ないが、スピリチュアリズムの観点からすれば病的なものではなく、トランス状態の初期の段階なので“半入神”という意味でセミ・トランスとした。

この訳に落ち着くまでに私は同じカルデックのもう一冊の『霊の書』『The Spirits' Book』、マイヤ-スの『Human Personality』、それにナンドー・フォドーの『Encyclopedia of Psychic Science』の該当項目を丹念に読んだ。いずれも多くの紙面を割いていることからも、複雑なものであることが窺えた。

カルデックの通信霊はトランスとソムナンビュリズムの相違点を質されて「トランスとはソムナンビュリズムの状態が一段と垢抜けて、魂がより多くの自由を得た状態」と述べ、マイヤースはトランスを次の三段階に分けている。

第一段階では潜在意識(自我)が肉体をコントロールするようになる。第二段階ではそのコントロールを維持しながら自我は霊界へ赴くかテレパシー的に交信状態を得る。そして第三段階で身体が別の霊にコントロールされる。心理学がソムナンビュリズムと呼んでいるのは第一段階に相当する。

フォドーも多くのページを割いてトランス状態とソムナンビュリズムの例を挙げているが、結論としては上のマイヤースの分類法を引用している。

どうやら仰々しい人物を名乗った霊言や自動書記通信はその第一段階、つまり浅いトランス状態で霊媒自身が述べているようである。

――霊が霊媒を通して通信を送ったという場合、それは霊が直接的に思想を伝達したということでしょうか、それとも霊媒の霊が媒介して伝達したということでしょうか。

「霊媒の霊は通信霊の通訳のような役目をしています。(“通訳”の語意についてはこの後の問答であきらかとなる――訳注霊媒の霊は肉体とつながっており、言わばスピーカーのような役もしています。また、今のあなたと私のような送信する側と受け取る側との間の伝導体の役もしています。皆さんが電信でメッセージを送る場合を想像してみてください。まず電波を伝える電線が必要ですが、それと同時にメッセージを送る者と受け取る者とがいなければなりません。つまり送信する知的存在と受信する知的存在、そして電気という流動体によって伝達されるメッセージ、それだけ揃わないと電信は届かないわけです。」

――霊から送られてきたメッセージに対して霊媒の霊が何らかの影響を及ぼすことがありますか。

「あります。親和性がない場合にそのメッセージの内容を変えて、自分の考えや好みに合わせて脚色します。ただし通信霊その者に影響を行使することはありません。つまりは“正確さを欠く通訳”ということです。」

――通信霊が霊媒を選り好みすることがあるのはそのためですか。

「そうです。親和性があって正確に伝えてくれる通訳を求めます。親和性が全く欠如している場合は、霊媒の霊が敵対者となって抵抗を示すことさえあります。こうなったら文句ばかり言う通訳のようなもので、“不誠実な通訳”ということになります。

人間どうしでもそんなことがありませんか。連絡を頼んだのにその者が不注意だったり敵対心を抱いたりして、正しく伝えてくれないことがあるではありませんか。」

訳注――この部分を訳していて、シルバーバーチがバーバネルを霊媒として使用するために、母胎に宿った瞬間から霊言通信のための準備をしたわけがよく理解できた。

ご承知の方も多いと思うが、シルバーバーチというのは肖像画として描かれているインディアンではなく、“光り輝く存在”の域にまで達した高級霊の一柱で、三千年前に地上で生活したことがあるということ以外、地上時代の名前も国籍も地位も最後まで明かさなかった。すでに意義を失っているからだという。

そのシルバーバーチから発せられたメッセージが、トランス状態のバーバネルに憑依しているインディアンに届けられ、そのインディアンがバーバネルの言語中枢を通して英語で語った。この言語の問題についてはこの後の問答でも出てくるが、シルバーバーチが「英語の勉強に十数年を費やした」と言っているのは、霊界の霊媒であるインディアンのことである。本源のシルバーバーチは思想をそのまま伝達していたはずである。

この三者と司会のハンネン・スワッファー、それに速記録を取り続けたフランシス・ムーア女史などは同じ類魂に属していたはずで、出生前から綿密な打ち合わせができていて、親和性は完璧だったことであろう。シルバーバーチが「私の言いたいことが百パーセント伝えることができます」と言っているのもうなずける。

――霊には“思念の言語”しかない――言葉で述べる言語はない――と言うことは、伝達手段は一つ、思念しかないということを前提としてお尋ねしますが、霊は地上時代にしゃべったことのない言語で霊媒を通してしゃべることができるのでしょうか。もしできるとした場合、その単語をどこから仕入れるのでしょうか。

「今“一つの言語しかない、つまり思念の言語しかない”とおっしゃいました。それがその質問に対する回答になっているではありませんか。思念の言語はあらゆる知的存在――霊だけでなく人間にも理解できるのですから。出現した霊がトランス状態の霊媒の霊に語りかける時、それはフランス語でもなく、英語でもなく、普遍的言語すなわち思念で語りかけます。が、それを特定の言語に翻訳し、その言語であなた方に語りかける時は、霊媒の記憶の層から必要な単語を取り出します。」

――そうなると霊は霊媒の言語でしか表現できないことになります。ですが、我々が入手した通信には霊媒自身の知らない言語で書かれたもの、ないしは語られたものがあります。矛盾しませんか。

「基本的な認識として理解していただきたいことが二つあります。一つは、霊の全てが等しくこの種の現象に向いているとは限らないこと。もう一つは、霊側としても、よほど望ましいとみた時にのみこの手段を選んでいるに過ぎないことです。普通の通信では霊は霊媒の言語を用いたがります。肉体機能を利用する上で面倒が少ないからです。」

――こういうことは考えられませんか。書くにせよ語るにせよ、その言語は前世で使っていたもので、その直覚が保存されていたと……

「そういう例もたまにはありますが、通例というわけではありません。と言うのは、霊には遭遇する物的抵抗を克服する力が備わっていますし、必要とあれば取っておきの能力を駆使することもできるからです。例えば霊媒自身の言語で書いていても、霊媒の知らない単語もあるわけですから、それを書かせるには取っておきの能力が通信霊に要求されます。」

――通常の状態では文字の書き方すら知らない者でも自動書記霊媒が務まりますか。

「務まります。ただし、その場合には通信霊に技術的な面で普段より大きな負担が掛かることは明らかです。霊媒の手そのものが文字を綴るのに必要な動きに慣れていないからです。絵の描き方を知らない霊媒に絵を描かせる場合にも同じことが言えます。」

――教養のない霊媒を高等な通信を受け取るのに使うことは可能ですか。

「可能です。教養のある霊媒でも時には理解できない単語を書いたり語ったりさせられるのと同じです。厳密な意味から言うと、霊媒という機能は、本来、知性とも徳性とも関係ないものです。ですから、差し当たって有能な霊媒が見つからない時は、取りあえず使える霊媒で我慢して、それを最高度に活用します。が、重大な内容の通信を送る時は、なるべく物理的な手間が少なくて済む霊媒を選ぶのは当然でしょう。

さらに、白痴と呼ばれている人の中には脳の機能障害が原因でそういう症状になっているだけで、内在する霊は見た目には想像もつかないほど霊性が発達している場合があります。その事実はこれまでにおやりになった生者と死者の招霊実験で確認ずみのはずです。」

編者注――我々のサークルで数回にわたって白痴の生者の霊を招霊したことがある。霊媒に乗り移った霊は自分の身元つまり白痴の身の上を明確に証言し、その上で我々の質問に対して極めて知的で高等な内容の返答をしている。

白痴というのは、そういう欠陥のある肉体に宿って再生しなければならないような罪に対する罰であることが多い。が、脳に欠陥があることが結果的には霊に脳の束縛を受けさせなくしていることになり、それだけに、物的生活によって間違った人生観を抱いている霊媒よりも純粋な霊的通信が得られることがある。

――作詩法を知らないはずの霊媒によってよく詩文が書かれることがありますが、これはどうしてでしょうか。

「詩も一種の言語です。霊媒の知らない言語で通信が書かれるのと同じ要領で詩が書かれるだけです。ただ、それ以外の可能性として、その霊媒が前世で詩人だったというケースも考えられます。霊は一度記憶したことは絶対に忘れません。ですから、我々が働きかけることによって、その霊媒の霊がそれまでに身につけたもので通常意識では表面に出ないものが、いろいろと便宜を与えてくれることがあります。」

――絵画や音楽の才能を見せる霊媒についても同じことが言えますか。

「言えます。絵画も音楽もつまるところは思想の表現形式ですから、やはり言語であると言えます。霊は、霊媒が有する才能の中から最も便利なものを利用します。」

――詩文であれ絵画であれ音楽であれ、そうした形式での思想の表現は、霊媒の才能によって決まるのでしょうか、それとも通信霊でしょうか。

「霊媒の場合もあれば通信霊の場合もあります。高級霊になるほど才能は豊かです。霊格が下がるほど知識と能力の範囲が狭くなります。」

――前世では驚異的な才能を見せた霊が、次の再生ではその才能を持ち合わせないというケースがあるのはどうしてでしょうか。

「その見方は間違いです。反対に、前世で芽生えた才能を次の再生時に完成させるケースの方が多いです。ただ、よくあるケースとして、前世での驚異的な才能を一時的に休眠状態にしておいて、別の才能を発揮させることがあります。休眠状態の才能は消滅したわけではなく、胚芽の状態で潜在していて、またいつか発現するチャンスが与えられます。もっとも、何かの拍子にそうした才能が直覚によっておぼろげに自覚されることはあります。」

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