8章 見えざる世界の実験室

霊は、流れるような優美な衣をまとっていることもあれば、ありふれた人間的な服装をしていることもあることはすでに述べた。どうやら前者が一定レベル以上の高級霊の普段の衣装であるように思われる。

いずれにせよ、ではそうした衣装をどこから手に入れるのであろうか。とくに地上時代と同じ衣服をまとって出てくる霊は、それをどこから手に入れるのであろうか。衣服のアクセサリーまでまったく同じなのはなぜなのであろうか。あの世まで持って行ったはずはない。そのことだけは間違いない。なのに、実験会に出現してそれを見せ、時には触らせてくれることもある。一体どうなっているのであろうか。

このテーマは、霊姿を見た者にとって、これまでずっと不可解きわまる謎だった。もちろん単なる好奇心の対象でしかない人も少なくないであろう。

が、これは実はきわめて重大な意義を含んでいて、我々の探求によって、霊界と現界とに等しく当てはまる法則の発見の手掛かりをつかむことができた。それなしにはこの複雑な現象の解明は不可能である。

すでに他界している人間の霊が出現した時に生前そっくりの衣服を着ていても、驚くには当たらない。記憶と想念の作用、つまり霊の創造力の産物とみてよいであろう。が、それをアクセサリーにも当てはめるのには抵抗がある。まして、前章の生者の幽霊現象に出てくる“かぎタバコ入れ”のように、その後ふだんの肉体で訪れた時に持っていたものとそっくりだったという事実は、普通では理解できない。

あの時、すなわち老紳士が病臥の女性の寝室を訪れたのは幽体であったことは理解できるが、かぎタバコ入れはどこから持ってきたのだろうか。杖やパイプ、ランタン、書物などを手にしていることもある。

初めのころ我々はこう考えた――不活性の物体にもエーテル的な流動体があるから、それが凝結して、肉眼には映じない型をこしらえることができる、と。この仮説もまったく真実性が無いわけではないが、これだけでは説明しきれない現象があることが分かってきた。

それまで我々が観察していたのはイメージや容姿ばかりだった。そして流動エネルギーが物質性をそなえることができることも知っていたが、それはあくまでも一時的なものであって、用が済めば消滅してしまうのである。その現象も確かに驚異的であるが、その後それよりさらに驚異的な現象に出会うことになった。いろいろあるが、その中の一つを挙げると“直接書記現象”がある。

これについては改めて章を設けて解説する予定であるが、ここで指摘しておきたい点と深く係わっているので、少しばかり言及しておきたい。

直接書記というのは霊媒の手も鉛筆も使わずに自動的に文章または暗号・符号・図などが書かれる現象である。ということは、用意するのは一枚の用紙だけということで、しかもそれを折り畳んでもいいし、引き出しに入れてもいいし、もちろんテーブルの上に置くだけでもよい。そのあと、ホンのわずかな間を置くだけで、その紙面にメッセージや暗号などが書かれているのである。

そのメッセージなどは鉛筆で書かれていたり、クレヨンで書かれていたり、赤鉛筆だったり普通のインクだったり、時には印刷用のインクだったりする。

用紙といっしょに鉛筆を置いておいたのであれば、霊はその鉛筆で書いたという想像が成り立つが、書くための用具は何一つ置いていないのである。となると霊は霊界でこしらえた何らかの道具で書いたことになる。一体どうやってこしらえるのであろうか。

その点の疑問が、例のかぎタバコ入れの現象に関する聖ルイの回答によって解明された。次がその一問一答である。


――生者の幽霊現象の話の中にかぎタバコが出てきます。そして、あの老紳士は実際にそれをかぐ仕草をしているのですが、あの時、我々がふだん香りをかぐのと同じように嗅覚を使っているのでしょうか。

「香りはありません。」

――あのかぎタバコ入れは老紳士がふだん使っているものとそっくりだったようですが、実物は家に置かれているはずです。手にしていたのは何なのでしょうか。

「外観だけの見せかけです。かぎタバコを見せたのは老紳士であることの状況証拠として印象づけるためと、あの現象が少女の病気による幻覚ではないことを証拠づけるためです。老紳士は自分の存在を少女に確信させたいと思い、リアルに見せるために外観を整えたのです。」

――“見せかけ”とおっしゃいましたが、見せかけには中味がなく、一種の目の錯覚です。我々が知りたいのは、あのかぎタバコ入れは中味のない、ただのイメージだったのかということ、つまり物質性は少しもなかったのかということです。

「もちろん物質性は幾分かはあります。霊が地上時代の衣服と同じものを身につけて霊姿を見せることができるのは、流動エネルギーを使用してダブルに物質性をもたせるからです。」

――ということは、不活性の物体にもダブルがあるということでしょうか。つまり、見えない世界に物質界の物体に形体をもたせる根元的要素があるということですか。言いかえれば、地上の物体にも、我々人間に霊が宿っているように、エーテル質の同じものがあるのでしょうか。

「そうではありません。霊は、宇宙空間および地上界に存在する物的原素に向けて、あなた方には想像もできない性質のエネルギーを放射し、その原素を意念で凝結して、目的に応じて適当な形体をこしらえます。」

――先ほどの聞き方が回りくどかったので、もう一度直截的にお聞きします。霊がまとっている衣服には実体がありますか。

「今の回答で十分その質問の答えになっていると思いますが……流動体そのものが実体のあるものであることはご存じでしょう?」

――霊はエーテル質の物体をどのようにでも変えることができ、かぎタバコの例で言えば、そういうものが霊界にあるのではなく欲しい時に意念の力で瞬間的にこしらえ、用事が終われば分解してしまう。同じことが霊が身につけているもの――衣服・宝石・その他あらゆるもの――について言える、ということでしょうか。

「まさにその通り。」

――問題のかぎタバコ入れは女性の目に見えています。本人は実物だと思ったほど明瞭に見えています。触っても実感があるようにでもできたのでしょうか。

「そのつもりになればできたでしょう。」

――そのタバコ入れを手に持ってみることもできたでしょうか。その場合でも本物と思えたでしょうか。

「そのはずです。」

――そのタバコ入れを彼女が開けたと仮定します。そこにかぎタバコが入っていたと思われますが、それを一つまみ吸ったらクシャミをしたでしょうか。

「したでしょう。」

――すると霊は形体をこしらえるだけでなく、その特殊な性質まで付与することも可能ということでしょうか。

「その気になれば可能です。これまでの質問に肯定的にお答えしたのはその原理に基づいてのことです。霊による物質への強烈な働きかけの証拠なら幾らでもあります。今のところはあなた方の想像力の及ばないようなものばかりですが……

――仮に霊が有害なものをこしらえて、それを人間が呑み込んだとします。その人間はその毒にやられますか。

「そうした毒物を合成しようと思えばできないことはありません。が、そんなことをする霊はいません。許し難いことだからです。」

――健康に良いもので病気を癒すものも合成できますか。合成したことがありますか。

「ありますとも。しばしば行っております。」

――そうなると身体を扶養するための飲食物も合成できることになりますが、仮に果物か何かをこしらえて、それを人間が食べた場合、空腹が満たされますか。

「当然です。満たされます。ですが、口はばったいようですが、こんな分かりきったことを延々としつこく聞き出そうとするのは、いい加減お止めなさい。

太陽光線一つを取り上げてみても、あなた方のその粗野な肉眼が宇宙空間に充満する物的粒子を捉えることができるのは、その太陽光線のお蔭ではありませんか。空気中に水分が含まれていることはご存じのはずですが、それが凝縮すると元の水に戻ります。ご覧なさい、触ってみることも見ることもできない粒子が液体になるではありませんか。他にももっと驚異的な現象を起こせる物質を、化学者は数多く知っているはずです。

ただ、我々にはそれより遥かに素晴らしい道具があるということです。すなわち意念の力と神のお許しです。」

――そうやって霊によってこしらえられ、意念の力によって感触性を付与された物が、さらに永続性と安定性を得て人間によって使用されることも可能ですか。

「可能かどうかと言えば可能です。が、そんなことは霊は絶対にしません。それは人間界における秩序の摂理を侵害することになるからです。」

――霊はみな等しく感触性のある物体をこしらえる力を持っているのでしょうか。

「霊性が高いほど容易にこしらえるようになります。が、それもその場の条件次第です。低級霊にもそうした力を持った者がいます。」

――出現した霊がまとっている衣装や、我々に差し出して見せる品物が、どうやってこしらえられたのか、その霊自身は知っているのでしょうか。

「そうとは限りません。霊的本能によってこしらえている場合が多いです。十分に霊性が啓発されないと理解できません。」

ブラックウェル脚注――我々の身体の細胞は絶え間なく変化しているが、我々は食したものがどのようなプロセスで血となり肉となり骨となっているのか知らないのと同じであろう。

――霊は、宇宙に遍在する普遍的要素から、あらゆる物体をこしらえる原料を抽出することができ、さらにその一つ一つに一時的な実在性と特殊な性質を持たせることができるという事実から推し量ると、文字や符号を書くための材料もその普遍的要素から抽出できることは明らかですから、直接書記現象のカギもどうやらその辺にある――そう考えてよいでしょうね?

「ああ! やっとその理解に到達しましたね。」

編者注――これまでの質問は全てこの結論に到達することを念頭に置きながら出してきたもので、「ああ!」という感嘆の言葉は、霊側も我々の考えを読み取っていたことを示唆している。

――霊がこしらえるものは一時的なもので永続性がないとおっしゃいましたが、そうなると、直接書記の文字がいつまでも消えずに残っているのはなぜでしょうか。

「あなたは用語にこだわり過ぎます。私は永続性は絶対にないとは言っておりません。私が述べているのは重量のある物体のことです。直接書記の産物は紙面に書かれた文や図形にすぎません。それが保存する必要があればそのような処置を取ります。霊的にこしらえたものは一般の使用には向かないと言っているのです。あなた方の身体のように本来の物質で出来上がったものではないからです。」

訳注――英文訳者のブラックウェルが最後の脚注で、英国ウェールズ州の“断食少女”を紹介している。が、あまりに簡単で資料としての重みがない。それよりも明治時代に話題をまいた長南年恵(正式にはチョウナントシエであるが、オサナミと呼ばれることが多い)という女性の現象の方が世界的水準からいっても驚異的なので、それを簡潔にまとめて紹介しておきたい。

資料は浅野和三郎氏が実弟の長南雄吉氏に面接して取材したもの。その時には年恵はすでに他界しており、浅野氏は年恵の現象が最高潮だった頃に、自分が「涼しい顔をして英文学なんかをひねくっていた」ことを悔やんでいる。

それにしても、それほどの霊能者がなぜ一時代の不思議話で終わったのか。「御一新(明治維新)の世にそんなバケモノ話があってたまるか!」という言葉に感じられる当時の官憲の悲しいほどの幼稚さが原因なのか、それとも私がいつもモノサシにする高級霊団による計画的援助の無さが原因なのか。どうも私にはその両方だったような気がしてならない。

日本の役人や学者の感性の無さは今も昔も言わずもがなであるが、その後その現象による啓発がどこにも見当たらないことも見逃せない事実である。単なる人騒がせの現象には高級霊団は関与しないからである。が、物理現象としては第一級のものだったことは確かなようで、とくに本章の「霊的にこしらえたもので肉体が養えるか」という疑問に対する絶好の回答であると私は観ている。

年恵は一八五八年、山形県の生まれ。驚異的現象が起き始めたのは三十五歳の時で、その後十五年間続いている。ということは欧米でスピリチュアリズムが最も盛んだった一八九〇年代とほぼ一致することになる。

しかし現象が表面化する前から普通の女性でないことで親を悩ませていたようである。例えば煮たり焼いたりしたものは一切身体が受けつけず、生水とホンの少量の生のサツマイモだけで、トイレに行くことがないばかりか女性の生理も三十五歳になっても一切無く、その顔はまるで十二、三歳の少女のようで、大阪の弟の雄吉の家に同居していた頃は、雄吉の妾ではないかとのうわさが立ったほどである。

雄吉がひそかに湯を沸かして、それを冷ましてから「水だ」と言って飲ませることを何度か試したが、そのたびに吐き出し、ひどい時は血まで吐いたという。

さらに年恵が入神トランス状態に入ると家屋全体が振動したり、部屋の中で笛や琴、鈴などによる合奏が聞こえ、そんな時はうわさを耳にした人や警察官などが家を取り巻くように集まって、それに聴き入ったという。

また入神した時は態度も声も変わり、普段は無邪気で無学な少女がりんとした態度で教えを説き、書画を書き、予言をし、それがことごとく適中したという。

年恵は「人心を惑わす詐欺行為」のかどで二度留置場へ入れられている。が、拘留中も身辺に妙なる音楽が聞こえたり、真夏でも年恵だけは蚊一匹寄りつかず、化粧道具は何一つないのに蝶々まげはいつも結い立てのごとくつや々としていた。本人は「神様が結ってくださいます」と言っていたという。

圧巻は牢内での霊水の実験であろう。普段は自宅の祭壇に栓をした空ビンを十本、二十本、多い時は四十本も供えて、十分間ほど祈祷すると、パッと霊水で満たされる。赤・青・黄、色とりどりで、それぞれの病名に卓効があったという。

面白いのは、病気でもない者が試しに病名を適当に記した空ビンを置いておくと、それだけは何も入っていなかったという。

拘留されたのは二度であるが、法廷に立ったことが一度ある。結局無罪放免になったのであるが、その理由が霊水の実験だった。神戸裁判所でのことだったが、当時は新築中で、弁護士詰め所は電話室ができ上がったばかりで、電話そのものがまだ取り付けられていなくて空っぽだった。それを使って実験をしようということになり、年恵は素っ裸にされて検査をされた後、裁判長みずからが封印をした二合入りの空ビンを一本手にして電話室に入った。そして二分ほどするとコツコツというノックがしたので扉を開けると、茶褐色の水の入った二合ビンが密封されたままの状態で年恵の手に持たれていたのだった。

明治四十年十一月のある日、かかってきた霊が「近いうちにあの世へ連れて行く」と予言した通り、間もなくあっさりと他界した。五十歳だった。

訳注――直接書記現象については「改めて章を設けて解説する予定」とある。確かに「直接書記と霊聴」という見出しで扱われているが、意外に簡単に扱っていて「詳しくは第八章を参照」などと述べている。

確かに本章の説明で十分と思われるのでそこはカットすることにしているが、もう一つの「霊聴」を「直接書記」と並べて扱っているところに面白い視点が見られるので、その核心部分だけを紹介しておく。

私が「霊聴」と訳した用語は原典では“スピリット・サウンド”および“スピリット・ボイス”となっている。カルデックはその原因(声の出どころ)を“内的”と“外的”とに分け、内的なものはまるで“声”を聞いているように思えても聴覚で聞いているのではなく、外的なものは直接談話のようにエクトプラズムでこしらえたボイスボックス(声帯と同じもの)を使ってしゃべっているので聴覚に響く。つまり音声で聞いている。

ブラックウェルも「サークルでは出席者全員に聞こえる」と脚注で述べている。

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