13章 低級霊に憑依されるまでの三つの段階
スピリチュアリズムの現象面につきものの問題の中でも第一位にランクされるものは、憑依現象、つまり霊が地上の人間を完全に支配してしまう現象であろう。ただしこの場合の霊は決まって低級霊で、諒解なしに良からぬ意図をもって操っている。
高級霊が憑依する時は、本書で紹介している通信霊のように、人類の啓発という目的をもって、霊媒の諒解を得て書いたり語ったりしている。終われば憑依状態を解き、霊媒は普段の精神状態に戻る。また霊媒自身あるいは立会人に理解力がないとみたら、二度と出なくなる。
これと違って低級霊が悪意をもって取り憑く場合は、いったん目をつけたらしつこく付きまとい、子供を扱うように手玉に取る。そして当人だけでなく、その親族にまで迷惑を及ぼす。
“憑依”というのは概括的な用語で、そのメカニズムと、憑依された人間に表れる霊障によって、三つのタイプに分けられる。まず“付きまとわれる”だけの場合。次が“幻惑される”場合。そして“取り憑かれる”場合である。詳しく解説しよう。
――霊に付きまとわれて困っている霊能者が自分でそれを排除できなかったり、高級霊に援助を求めても何もしてくれず、直接のコミュニケーションが持てないことがあるのはなぜでしょうか。
「高級霊に力が足りないわけではありません。そうした場合、力が足りないのは霊能者自身の方で、高級霊が援助する条件を整えてくれないことが原因です。
もともと霊能者というのは特殊な体質をしていて、霊との関係が容易にでき上がります。その流動エネルギーが使いやすい霊は必ずいます。霊性やモラルの感覚が低いと、当然低級霊が付きまとって、そのエネルギーを大いに利用しようとします。」
――ですが、一点非のうちどころのない人格をそなえた立派な霊媒が高級霊からの通信を阻害されているケースがよくあるようですが……。
「そういうケースは、罪滅ぼしというよりは一種の試練として、あえて邪霊にそうさせていることがあります。と言うのも、一点非のうちどころがないとおっしゃいますが、そういう人にも心の奥に隠れた不純さが絶対にないと誰が断言できるでしょうか。見かけの立派さの裏に高慢さが潜んでいないと誰が断言できますか。そういう試練には、霊媒のそうした弱点をさらけ出して謙虚さを身につけさせようという意図があります。
完全な人間だなどと言える人間は地上には一人もいません。
たとえば不正なことは一切せず、人間関係でも真っ正直で尊敬に値する名士として知られている人でも、その実、魂の奥にはそうした表向きの徳性を台なしにしてしまうような高慢さや利己心の
邪霊に付け込まれないようにする最も確実な方法は高級霊の資質を可能なかぎり見習うことです。」
――低級霊に邪魔をされて高級霊からの通信が受け取れなくなった場合、それはその霊媒が霊媒として不適格であることの証拠なのでしょうか。
「一概にそうは言い切れませんが、その霊媒に道徳的ないしその他の面で通信にとって障害となる何かがあることを示していることは確かです。その障害は常に魂の中に存在するわけですから、その霊媒はそれを取り除くべく努力しないといけません。願望や祈りを表明するだけでは何にもなりません。病気の人が医者に向かって“健康をください。私は健康になりたいのです”と言っても意味がないのと同じです。健康になるための処方に素直に従ってもらう以外に医者には為すすべがないでしょう。」
――では通信の途絶は一種の罰ということでしょうか。
「場合によりけりですが、まさしく天罰である場合があります。通信の再開という形で報われるように努力すべきです。」
――邪魔をしている低級霊を向上の道へ導くという方法もあるのではないでしょうか。
「おっしゃる通りです。そこまで考える霊能者は滅多にいないのですが、実はそれこそが大切な責務でもあるのです。優しい心と宗教心でもって低級霊を諭すのも霊能者の役目です。後悔の念が芽生え、向上への道が開けます。」
――その場合、人間は高級霊のような影響力がありませんが、どうしたらいいのでしょうか。
「人間を悩ませ邪魔をする低級霊は、波動的には高級霊より人間の方に近いのです。高級霊とはあまりに波動が違いすぎるために、敬遠して係わり合わないようにするものです。
そうした低級霊が人間界への悪さを画策していることが明らかになると、それを思い止どまらせることを仕事とする一団が差し向けられます。影響力が程よく向いている霊の集団です。しかし、諭されてあっさりと手を引くような連中ではありません。まず一笑に付して耳を貸そうとしないものです。
そんな時に重要なのが霊能者自身の判断力です。付きまとわれて、これは低級霊の仕業だと覚って無視する態度に出ると、そのうち霊の方も諦めます。
高級霊ではあまりに格差が大きすぎて、光線のあまりの強烈さに低級霊は目が眩み、恐れをなして退散します。(が、高級霊が去るとまたやってくるために、そこに理解と向上は望めないということ――訳注)
確かに人間は高級霊ほどの霊力を持ち合わせません。波動的にはどちらかというと低級霊に近いのですが、だからこそ低級霊への影響力を行使しやすいということが言えるのです。人間の努力で邪霊が目を覚まし、向上の道を歩み始めるのを見て、高級霊は天界と地上界の間の連帯関係を一段と明確に認識して喜ぶものです。
人間が霊に対して優位に立つか否かは霊性の発達程度で決まります。その意味で、高級霊に影響を行使することはできません。まだ霊界の高い界層まで至っていないが高潔で愛に満ちた霊に対しても、やはり行使できません。が、霊性の発達程度が劣る霊に対しては、その影響力でもって向上の道へ
――肉体的に憑依された場合、それが精神異常に発展することがありますか。
「あります。原因が世間一般に知られていないもので、(脳の機能障害からくる)いわゆる精神病とは異なる異常を来します。精神病と呼ばれているものの中には低級霊のとりこになっているに過ぎないものがあり、これはその霊を諭して向上の道へ導いてやる以外には治療法はありません。それを薬の投与といった物理的な治療法しか講じないために、本当の精神病になってしまうのです。
地上の医師がスピリチュアリズムの思想を正しく理解すれば、その二種類の異常の違いが区別できるようになるでしょう。すると当然これまでよりも多くの患者を治すことができるはずです。」
――スピリチュアリズムには危険性があると勝手に思い込み、それを防ぐには霊界との交信を止めさせるしかないと信じている者がいますが、どう理解すればよいでしょうか。
「霊界との交信を求めている者を止めさせることはできるでしょうが、突発的に生じる現象を起きなくすることは不可能でしょう。霊が出られないようにすることはできませんし、霊力の行使を阻止することもできないのですから。そういうことを言う人間は、まるで子供が手で自分の目を覆って、誰からも見られないと思っているようなものです。
これほど重大な情報をもたらしてくれるものを、一部の不届きな霊能者の行状だけで止めにすることほど愚かなことはありません。スピリチュアリズムを正しく理解しない者によって生じるそうした迷惑を阻止する方法は、止めにするのではなくて、反対に世間一般に知らしめて正しく理解してもらうことです。」
訳注――仕事柄、私は霊能者・チャネラー・心霊治療家を自称する人々から面会を求められることが多い。中には謙虚そのものの方もいないわけではないが、大抵の人の口から“地球浄化・人類救済”の大任を担わされているとの“大言壮語”を聞かされる。その一端を担わされている人なら大勢いるに違いないが、自分一人が救世主であるかに思い込んでいる人が多い。そういう人は一種の憑依状態にあることが、本章を訳しながら理解がいった。
スピリチュアリズムというのは地球浄化の大事業そのものであるが、その計画は神界で立てられ、霊界で準備され、幽界の浄化に始まって十九世紀半ばになって地球圏にまで波及してきたもので、やっと緒についたばかりである。幽界の浄化の様子はオーエンの『ベールの彼方の生活』に生々しく描写されているが、幾百幾千とも知れぬ地縛霊(の状態から脱しかけたばかりの未浄化霊)を引き連れて地球圏から引き上げてくる集団に出会った話などを訳しながら私は、「地上の人間一人のすることなんかたかが知れてる!」と叱るような口調でおっしゃった恩師の間部詮敦氏の言葉を思い出したものだった。霊界では地上より遥かに大きな規模で救済運動が進行していることをご存じだったのである。だからこそ偉ぶった言動がみじんもなかったのである。
この“憑依”についてカルデックが三つのカテゴリーにまとめたものを訳しながら、年来のおぼろげな理解が鮮明になる思いがした。とくに印象的なのは、邪霊集団が人間に悪さを画策していると、それを思い止どまらせることを任務とする霊団が差し向けられるということで、それが不首尾に終わると、後は霊媒や霊能者のモラルの感覚に全てが掛かってくるという。私のもとへ大言壮語をしに来る者は、すでに“幻惑”される状態にまで進行しているのであろう。
ところで憑依の問題を扱ったもので忘れてならないのはカール・ウィックランドの『迷える霊との対話』であろう。その中でウィックランドは、遊び半分でプランセットなどで受信しているうちに憑依され、発狂状態になった例や、幸せそのものの家庭を羨んだ霊に憑依されて母親が発作的に首つり自殺した話などを挙げて注意を喚起している。本章の一問一答を訳しながらそのことを思い出したが、本章で触れられていないタイプの憑依現象として、迷い歩いているうちに人間のオーラに引っ掛かり、それが進行して、その霊の欲求や思念が脳に反応するようになり、いわゆる二重人格・多重人格になってしまうというケースがある。憑依されやすいタイプの場合には十人、十五人と、信じられないほどの数の霊がオーラに入り込んでいることがある。そういうタイプの憑依もあることを知っておく必要があろう。