序文

スピリチュアリズムの実践面(交霊実験会・霊能開発等)において遭遇する困難や失望が霊的基本原理についての無知に起因していることは、何よりも日頃の経験が雄弁に物語っている。

これまで我々はそのことを警告する努力を重ねてきたが、その努力の甲斐あって、本書にまとめたようなことを精読することで危険を回避することができた人が少なくないことを知って、喜びに堪えない。

スピリチュアリズムに関心を抱くようになった人は、霊と交信してみたいと思うようになる。それは極めて自然なことで、本書を上梓する目的も、これまでの長くそして労の多かった調査研究の成果を披露することによって、健全な形でその願望を叶えさせてあげることにある。

本書をしっかりお読みいただけば、テーブル現象はテーブルに手を置くだけでよい、通信を受け取るにはエンピツを握りさえすればよいかに想像している人は、スピリチュアリズムの全体像を大きく見誤っていることに気づかれるであろう。

とは言うものの、本書の中に霊能養成のための絶対普遍の秘策が見出せるかに期待するのも、同じく間違いである。と言うのは、全ての人間に霊的能力が潜在していることは事実であるが、その素質にはおのずと程度の差があり、それがどこまで発達するかは、自分の意志や願望ではどうすることもできない、さまざまな要因があるのである。

それは、たとえば詩や絵画や音楽の理論をいくら勉強しても、先天的に優れた才能を持って生まれていないかぎりは、形だけは詩であり、絵画であり、音楽といえるものはつくれても、詩人・画家・音楽家といえるほどの者になれるとは限らないのと同じである。


本書についても同じことが言える。その目的とするところは、各自の受容力が許す範囲での霊的能力の発達を促す手段をお教えすることであり、とりわけその能力の有用性を引き出す形で行うことである。

ただし、それだけが本書の目的の全てではないことをお断りしておく。本格的な霊能者といえる人以外にも、霊的現象を体験したいと思っている人が大勢いる。そういう人たちのさまざまな試みのためにガイドラインを用意してあげ、その試みの中で遭遇するかも知れない――というよりは、必ず遭遇するに決まっている障害を指摘し、霊との交信の手ほどきをしてあげ、すぐれた通信を入手するにはどうすべきかを教えてあげること、それが、十分とは言えないかも知れないが、本書が目的としているところである。

であるから、読者によってはなぜそんなことを述べるのか理解に苦しむことにも言及しているが、それは経験を積んでいくうちに「なるほど」と納得がいくであろう。前もってしっかりと勉強しておけば、目撃する現象についてより正しい理解が得られるであろうし、霊の述べることを奇異に思うことも少なくなるであろう。そのことは、霊媒や霊感者としてすでに活躍している人だけでなく、スピリチュアリズムの現象面を勉強したいと望んでいる人すべてに言えることである。

そうした指導書マニュアルをこんな分厚い書物でなしに、ごく短い文章で述べた簡便なものにしてほしいという要望を寄せた人がいた。そういう人たちは、小冊子の方が価格が安くて広く読まれるであろうし、霊媒や霊感者の増加にともなって強力なスピリチュアリズムの宣伝の媒体となると考えたようである。しかし、少なくとも現時点でそういう形で出すことは、有用どころか、むしろ危険ですらあると考える。

スピリチュアリズムの実践面には常に困難がつきまとうもので、よくよく真剣な勉強をしておかないと危険ですらある。従ってそうした複雑な世界に簡便なマニュアルだけで安易に入り込むと、取り返しのつかない危害をこうむることがあるのである。

このようにスピリチュアリズムは軽々しく扱うべき性質のものではないし、危険性すらはらむものであるから、まるで暇つぶしに死者の霊を呼び出して語り合うだけの集会のように考える人間がこの道に手を染めてもらっては困るのである。本書が対象としているのは、スピリチュアリズムの本質の深刻さを認識し、その途轍もなく大きい意義を理解し、かりそめにも面白半分に霊界との交信を求めることのない人々である。

本書には、これまでの我々の長年にわたる実体験と慎重な研究の末に得た資料の全てが収められている。これをお読みいただくことによって、スピリチュアリズムが、人生を考える上で見過ごすことのできない重大な意義を秘めているとの認識が生まれ、軽薄な好奇心と娯楽的な趣味の対象でしかないかに受け取られる印象を拭い去ることになるものと期待している。

以上のことに加えてもう一つ、それに劣らず重大なことを指摘しておきたい。それは、心霊現象のメカニズムについての正しい知識もなしに軽率に行われた実験会は、出席した初心者、およびスピリチュアリズムに良からぬ先入観を抱いている者に、霊界というものに関して誤った概念を植えつけ、そのことがさらにスピリチュアリズムは茶番だと決めつける口実にされてしまうことである。

半信半疑で出席した者は当然その種の交霊会をいかがわしいものと結論づける。そしてスピリチュアリズムに深刻な側面があることを認めるまでには至らずに終わる。スピリチュアリズムの普及にとって、肝心の霊媒や霊感者みずからが、その無知と軽薄さによって、想像以上に大きい障害となっているのである。


一八四八年に勃興したスピリチュアリズムは、当初の現象中心から霊的思想へと重点が移行してきたここ数年(一八六一年の時点)で飛躍的な発達を遂げた。このことには、多くの学者や知識人がその真実性と重大性を認識したことが大きく貢献している。もはや、かつてのような見世物ショー的な段階から脱して、確固とした教説としての認識を得ている。

確信をもって断言するが、こうした霊的教説を基盤とするかぎりスピリチュアリズムはますます有能な同志を引き寄せるであろう。すぐに現象を見せようとして安直な交霊会を催すのは得策ではないし、危険でもある。この確信は、前著『The Spirits' Book』をひと通り目を通しただけで我々のもとへ駆せ参じた人の数の多さが雄弁に物語っている。

その思想的側面については前著で詳しく語ったので、本書では、自分の霊能で霊的現象を求めておられる人、および霊媒による交霊会で現象を正しく理解したいと思っておられる方のために、おもにその実際的側面を扱うことにした。これをしっかりとお読みいただけば、遭遇する障害についてあらかじめ理解し、かつそれを回避することにもなるであろう。


最後に付言すれば、本書の校正は、内容そのものに係わった霊、いわゆる通信霊みずからが行った。全体の構成についても、かなりの部分に彼らの思う通りの修正を加え、彼ら自身が述べた意見の一つ一つについても確認作業を行っている。

通信霊は自分の所見にはかならず署名サインをしているが、本書ではその全てを付記することは避け、通信者が誰であるかをはっきりさせた方がよいと思うものだけにとどめた。

が、本来、霊的なことに関するかぎり、通信霊が地上でどういう名前の人物であったかは、ほとんど意味をなさない。要はその通信の内容そのものだからである。

アラン・カルデック

一八六一年 パリにて。

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