10章 生命の四つの形態

〈鉱物と植物〉

――自然界の生命を鉱物と植物と動物、それに人類の四つに分ける説と、有機的生命と無機的生命の二つに分類する説とがありますが、どちらがよろしいでしょうか。

「どちらでも結構です。どちらにするかは観点の違いでしょう。物質に観点を置けば有機物と無機物の二つだけになります。生命に観点を置けば四つになることは明らかです」

――植物にも存在の意識があるのでしょうか。

「ありません。思考作用はありません。有機的生命活動のみです」

――感覚はあるのでしょうか。むしり取られたら痛みを感じるのでしょうか。

「植物は物的に反応する感覚はありますが、知覚はありません。従って痛みは感じません」

――オジギソウのように素早く反応する草や食虫植物のようにワナを仕掛ける植物には思考力があるのではないでしょうか。この種のものは植物と動物の中間に位置していて、次の段階へ変移しかかっているのではないでしょうか。

「自然界の全てのものが変移しています。しゅが全て異なり、それでいて全てがつながっているという事実がそれを物語っています。植物には思考力はありません。従って意志もありません。カキやイソギンチャクのような海中動物も意志があるかのような反応を示しますが、思考力はありません。自然の本能だけです」

――植物には自分に役立つものを摂取し害になるものは避けるという本能があるのではないでしょうか。

「それを本能と呼びたければそう呼ばれて結構です。本能という用語をどこまで拡大解釈するかによって違ってきますが、あれは純粋に機械的なものです。ご存じのように化学物質の中には簡単に結合するものがあります。親和性があるからですが、それを本能とお呼びになりますか」

――上層界へ行けば植物も完全に近づくのでしょうか。

「上層界では何もかもが完全に近づくことは事実です。が、動物があくまでも動物であり、人間があくまでも人間であるように、植物はあくまでも植物です」

〈動物と人間〉

――動物は本能だけで行動していると言えるでしょうか。

「大半の動物において本能が圧倒的に支配していることは事実です。ですが、動物が頑とした意志で行動するのを見かけませんか。あれは知性が働いている証拠です。しかし極めて限られています」

――動物にも言語があるのでしょうか。

「“言語”の意味が単語や音節でできたものということでしたら、そういうものはありません。が、仲間どうしでのコミュニケーションという意味でしたら、それはあります。あなた方が想像する以上に言語を発しています。が、その内容は身体上の欲求に限られています」

――動物にはその行為に関して自由意志がありますか。

「あなた方が想像するほど機械的ではなく自由意志の要素もありますが、それは身体的な欲求に限られており、人間の自由意志と比較することはできません」

――ある程度の行動の自由があるということは知性があるということになりますが、そうなると物質から独立した生命素があるのでしょうか。

「その通りです。それが死後に残るわけです」

――その生命素は人間の魂と同じものですか。

「“魂”をどう定義づけるかによって違ってきますが、そう呼ばれても結構です。ただし人間の魂よりは下等です。人間の魂と動物の魂の違いは、人間の魂と神との差ほどの大きな違いがあります」

――動物の魂は死後にも個性と自我意識を維持していますか。

「個性は維持していますが、自我意識はありません。知的生命は潜在の状態にあります」

――動物の魂が死後にも存在するとなると、人間の魂と同じようにさすらいの状態があるのでしょうか。

「身体につながっていないために一種のさすらいの状態にあると言えますが、“さすらいの霊”とは意味が違います。さすらいの霊は自由意志で考え行動します。動物にはその能力はありません。霊の基本的属性は“自我意識”だからです。動物には自我意識はなく、死後その魂はその道の担当の霊によって種ごとに分類され、すぐさま活用されます」

訳注――最後の“活用され”るのは何の目的に活用されるのかが言及されていない。そこが知りたいところであるが、他の霊界通信によると、種ごとの類魂に吸収され、類魂全体としての進化に寄与するという。

――動物にもある程度の知性があるとおっしゃいましたが、それはどこから摂り入れるのでしょうか。

「宇宙の普遍的要素からです」

――すると、人間の知性も動物の知性も同じ始源から発しているのでしょうか。

「もちろんです。ただ違うのは、人間の知性はそれに磨きがかけられて進化しているということです」

――そうなると魂は下等な段階の創造物の知的要素だった時期もあることになりそうですが……

「自然界は全てがつながっていて一体化へ向かっていると申し上げたことがあったはずですが……あなた方には全てを知ることは不可能ですが、その下等な段階の創造物の知的要素に磨きがかけられ、少しずつ個別化され、発芽現象に似た一種の準備段階をへて形質変換が行われ、ようやく“霊”となったのです。各霊が未来時制の感覚と善悪の判断力、そして自己の行為に対する責任意識をもって生きることを始めたのはその時からです。人間が、誕生後、幼児期から青年期、成人期、そして老成期へと変化するのと同じです」

――人間の身体に宿ったことのある霊が動物の身体に宿ることがありますか。

「ありません。そのような再生は退化を意味します。霊は決して退化しません。川の水が水源に逆戻りすることはありません」(第二部・一章〈霊の進化〉の項参照)

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