アラン・カルデックの生涯と業績
カルデックは本名をイポリット=レオン=ドゥニザール・リヴァイユといい、一八〇四年にフランスのリヨンで生まれている。アラン・カルデックというペンネームは、いくつかの前世での名前の中から背後霊団の一人が選んで合成して授けたものである。
家系は中世のいわゆるブルジョワ階級で、法官や弁護士が多く輩出している。初等教育はリヨンで修めたが、向学心に燃えてスイスの有名な教育改革家ペスタロッチのもとで科学と医学を学んだ。
帰国して二十八歳の時に女性教師と結婚、二人で新しい教育原理に基づいた私塾を開設する。が、偶発的な不祥事が重なって、塾を閉鎖せざるを得なくなり、リヨンを離れ、幾多の困難と経済的窮乏の中で辛酸をなめる。が、その間にあっても多くの教育書や道徳書をドイツ語に翻訳している。
その後名誉を回復して多くの学会の会員となり、一八三一年にはフランス北部の都市アラスの王立アカデミーから賞を授かっている。一八三五年から数年間、妻とともに自宅で私塾を開き、無料で物理学、天文学、解剖学などを教えている。
スピリチュアリズムとの係わり合いは、一八五四年に知人に誘われて交霊会に出席したことに始まる。そこでは催眠術によってトランス状態に入ったセリーナ・ジェイフェットという女性霊媒を通して複数の霊からの通信が届けられていた。
すでにその通信の中にも“進化のための転生”の教義が出ていて、一八五六年にはそれがThe Spirits'Bookのタイトルで書物にまとめられていた。が、その内容にはまだ一貫性ないし統一性がなかった。それが本格的な思想体系をもつに至るのは、カルデックがビクトーリャン・サルドゥーという霊能者が主催するサークルに紹介されて、そこで届けられた通信の中で、カルデックが本格的な編纂を委託されてからだった。それが同じタイトルで一八五七年に出版され、大反響を呼んだ。
このように、カルデックは霊界通信によってスピリチュアリズムに入り、当初は物理的心霊現象を軽視していた。さらに、スピリチュアリズム史上もっとも多彩な現象を見せたD・D・ホームと会った時に、ホームが個人的には再生(転生)説を信じないと言ったことで、ますます物理現象を嫌うようになった。
その後カルデックも物理現象の重要性に目覚める。「霊媒の書」がその証と言えるが、フランスでの心霊現象の研究は、カルデックの現象嫌いで二十年ばかり遅れたと言われている。
一八六九年に心臓病で死去。六十五歳。遺体はペール・ラシェーズ墓地にあり、今なお献花する人が絶えない。
業績は多方面にわたり、多くの学術論文を残しているが、著書としてはThe Spirits'Book(本書)、The Mediums'Book(「霊媒の書」)の他にHeaven and Hell(天国と地獄)、The Four Gospels(四つの福音書)など、スピリチュアリズム関係のものが多い。