9章 霊の仕事と使命

〈霊にとっての仕事〉

――霊は向上・進化のための体験以外に何か仕事があるのでしょうか。

「神の意思を成就させることによって宇宙に調和をもたらすべく協力し合っております。つまりは神の使徒というわけです。霊の生活は絶え間ない仕事の連続ですが、仕事といっても地上における辛い労務とはまったく異なります。身体的疲労もありませんし、身体の欲求(飲食等)を耐え忍ぶということもありません」

――低級霊や未熟霊にも宇宙における役割があるのでしょうか。

「全ての霊に何らかの仕事があります。偉大な設計者による壮大な殿堂も、名もない大勢の石工いしくがいてこそ建てられるのです」

――各霊に特有の属性があるのでしょうか。

「霊は宇宙のすみずみまで統括することによって最終的には全ての地域に住み、全ての事についての知識を獲得しなければなりません。しかし『伝道の書』にもあるように“天が下の全ての事には季節があり”ます。かくして、ある霊は今は地上にあって自分の運命を成就しつつあるのであり、またある霊は別の時節に地球上で、水中で、あるいは空中で、それぞれの運命を成就するであろうし、すでに成就し終えた者もいるわけです」

訳注――『伝道の書』は旧約聖書にある十一章から成る比較的短い書で、エルサレムの王だった伝道者の言葉といわれる。ちなみに右の引用文の続きをもう少し紹介すると――

“天が下の全ての事には季節があり、全ての業には時がある。生まるるに時があり、死するに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり” 云々……

――霊は絶え間なく仕事に従事しているのでしょうか。

「絶え間なく、ですか? 霊は思念で生活しており、思念は活動を止めることがないことを理解していただけば、そうですと申し上げます。ただし、人間の職業と同じものを想像してもらっては困ります。自分が役に立っているとの意識を通して、活動そのものに喜びを覚えるのです」

――それは善霊に関しては容易に理解できますが、低級霊についても同じなのでしょうか。

「低級霊は低級霊で、その霊性に似合った仕事があります」

〈霊にとっての使命〉

――霊がある使命を言いつけられた場合、それはさすらいの期間中に果たすべきものなのでしょうか、それとも再生して成就することもあるのでしょうか。

「両方のケースがあります。さすらいの状態にある霊でも使命を託されて忙しく活動している場合があります」

――どのような使命でしょうか。

「いろいろとあって一概には言えません。それに、人間に理解できない仕事もあります。霊は神の意思を代行するのであり、人間にはその神の意図の全てに通暁することは不可能です」

――霊は託された神の意図をきちんと理解できているのでしょうか。

「そうとは限りません。わけも分からずに携わっている者もいます。が、その意図されていることをしっかりと理解している者もいます」

――それは強制的に課せられるのでしょうか、それとも自由意志で引き受けるのでしょうか。

「自ら求めます。そして、それが許されれば喜びます」

――同じ使命に何人もの霊が志願することもあるのではないでしょうか。

「あります。一つの使命に数名の志願者がいる場合もあります。が、志願者の全てに同じものが与えられることはありません」

――使命をもって再生する場合の使命とはどのようなものでしょうか。

「人間を教育し、向上・進化を促し、また間違った慣習を改めることに直接携わります。もっとも、こうした使命は高尚で重大なものですが、その配下でコツコツと働く陰の功労者がいることも忘れてはなりません。世の中の全てがどこかでつながっているものです。霊は再生して人間的形体に宿って霊性を磨く一方で、神の計画の推進にも寄与しているのです。一人一人に使命があり、何らかの形で役立つものを秘めているからです」

――怠惰な人生を送っている者がいますが、そういう人間にも使命は授けてあるのでしょうか。

「人間の中には、一生涯、自分のためにだけ生きて、何一つ世の中のために貢献しない者がいることは事実です。実に哀れむべき人間で、その無為の生涯への償いとして大変な苦しい目に遭うことでしょう。しばしば今生こんじょうにあるうちにそれが始まります。厭世観と嫌悪感にさいなまれます」

――人間が何か有意義な仕事を成し遂げた場合、それは再生前から使命として決まっていたことなのでしょうか。前もって決まったことを再生後に使命として授かることもあるのでしょうか。

「人間のすることが全てあらかじめ使命として命じられていたこととは限りません。人間界のために何か有意義なことをしたいと思っている霊が、適当な人物を利用して成し遂げることがよくあります。

例を挙げますと、あるテーマについて一冊の本を書きたいと思っている霊がいるとします。その霊は適当な人物を物色してそのテーマを吹き込み、構想を授け、そして書かせます。この場合、その書物の出版は使命だったわけではありません。

同じようなことが科学の発明・発見や芸術の分野でもよくあることです。肉体の睡眠中に、再生中の霊とさすらいの状態の霊とが直接会って、そうした構想について語り合うこともあります」

――人類に多くの真理をもたらした天才的霊能者が人間的に大きな過ちを犯したり、貴重な真理と同時にとんでもない間違った思想を説いている人がいます。こういう人たちの場合、使命とは何だったのでしょうか。

「自分で自分を裏切ったということです。引き受けた仕事に耐え切れなかったということです。ただし、そうした先輩を批判する時に考慮しなければならないのは、彼らが置かれた時代的背景です。天才的霊能力はあっても、その時代のレベルに合わせて語らねばならなかったということです。後世の者の目から見れば間違っており幼稚に思えても、その時代としてはそれで十分だったのです」

――親となることも使命であることがありますか。

「ありますとも。しかも重要この上ない義務でもあります。その義務の遂行は人間が想像するより遥かに大きく将来に重大な影響を及ぼします。

そもそも神が両親に子を授けるのは、後見人としてその子がまっとうな人生を送るように指導と監督をさせるためです。子供がか弱くデリケートにできているのは親の関与を多く必要とさせるためで、それだけ子供は親を通して新しいものを得るわけです。ところが現実には多くの親は“我が家”中心に考えて、一人間として立派な性格の子に育てるよりも、かねのなる木になってくれるように腐心します。

その結果としてもしもその子が親のエゴの通りの人間になったとしたら、それは親としての信義に背くものとして罰を受けると同時に、いびつに育ったその子がこうむる苦しみの数々の責任も問われます。親としての本来の義務を遂行しなかったからです」

訳注――このあと細かい質問が幾つか続くが、いずれもこれまでの返答に出たものばかりで、通信霊も「神は公正です」という一言でぶっきら棒に片づけているのもある。霊格の高い親があえて邪悪な霊を我が子に迎えることもあれば、その逆もある。前世あるいは前々世と絡んだ問題であるから、いちいち具体例を挙げていったらキリがない。

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