(4)霊性教育の進め方

――摂理にそった正しい子供の導き方

子供を霊的視野から見る

親は、常に「霊的真理」を通して子供を見ていなければなりません。まず、我が子といえども自分と等しい人格を持っていること、自分の所有物ではないことを、しっかりと知らなければなりません。子供は霊的成長のために、親を選んで生まれてきました。親は、そうした我が子の霊的成長の手助けをすることが役目なのです。

一方、子供にも「守護霊」がいて、絶えず必要な導きをしてくれています。したがって何もかも親が責任を持たなければならないということではありません。全力を尽くしても自分の手の届かないところは、この守護霊の導きに委ねるという姿勢が必要となります。

自己の感情に流されない

育児・教育に熱心な親は、とかく我が子を自分の所有物のように考え、手のかけ過ぎや過剰な干渉をしがちです。それが子供の自立心の発達を遅らせ、魂の成長を阻害してしまうことになります。子供のためと考えていても、結局そうした親は自分の思いどおりにならないと気が済まなくなり、子供を束縛するようになります。そして子供が自分に従わなければイライラし、疲れ果ててしまうことになります。

これでは子供は、まるでロボットか親のペットのようなものです。子供に対するこうした接し方は、一見すると子供を愛しているように映りますが、それは自分の好みの押しつけであり、親の“エゴ(利己愛)”にすぎません。

また、子供かわいさのあまり、子供の言うことなら何でも聞いてしまう親もいます。子供のひどいわがままに対しても注意するどころか、子供の言いなりになってしまいます。そうした親の中には、“強く注意すれば子供の心がゆがんでしまう”といった間違った教育観を持っている人がいます。この甘やかし過ぎも、親の“所有欲”から発しています。子供の自立心の発達を遅らせ、依存心のみを大きくし、いつまでも子供を幼い精神状態のままにとどまらせてしまいます。これでは到底、正しい親とは言えません。

我が子といえども「神の子供」であり、神から与えられた人格を持っていることを忘れてはなりません。親は、神から子供の霊的成長の援助を託されているという事実を、心に刻み込んでおかなければならないのです。

子供の自然な欲求を尊重する

子育てのすべてを自分でしよう、と考えるべきではありません。子供は、生まれつき神から与えられている“霊的本能”によって自然な形で成長の道を歩んでいくようになっています。したがって基本的には、子供の自由な意志に任せておけばよい、ということになります。自分から先に手を貸すのではなく、子供の欲求に合わせて「霊的成長にプラスとなるもの」を与えればよいのです。

子供の霊的成長にとって必要なものは、子供自身が要求するようになっています。例えば霊的成長にとって多くの愛を受けることが必要なときには、自然と愛を求めるようになります。それは肉体の成長にとって必要なものが、そのつど欲求となって現れるのと同じことです。子供が愛を求めてきたときには、しっかりと受け止め、心が満足するまで愛を与えることによって自然な形で霊的成長が促されるようになります。

それに対して「甘えることはよくない。甘えは罪のあらわれであり、そのまま受け入れれば、わがままな子供になる。自立心の弱い子供になる」というような間違った考え方によって、無理やり親から引き離したり、欲求を拒絶することがあります。そうした霊的本性に反する不自然な対し方は、子供の心にキズを残し、異常さを生み出すことになります。従来の欧米の育児・教育には、このような傾向が見られます。

子供の“霊的自立”

――霊性教育の終了

正しい内容を持った親に育てられた子供は、順調に霊的成長の道を歩み、やがて霊的に自立する時を迎えることになります。子供自身が真理を求め、自らの判断で善と悪を見極め、自発的に霊的コントロールの努力を始めるようになります。また寂しいときには、自分から神に愛を求めるようになります。

子供がこうした段階に至れば、親は「肉体を持った神」の立場を離れ、神のもとにあって「同じ霊的兄弟(姉妹)」の立場に立つようになります。その時点で霊性教育は終了することになるのです。

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