(3)霊的成長に対する焦りとマンネリ

霊的成長は常にゆっくりと……

「霊的真理に出会って十年以上も経つが、果たして自分は霊的成長をしているのだろうか?」「たまに読書会に参加したときや、瞑想・祈りをしたり霊訓を読んだときだけ心がすっきりするが、それ以外のほとんどの時間は日常の雑事に心を奪われている。霊的成長とは無関係な毎日を過ごしている」「自分は霊的真理を手にしたけれど、現実には真理から懸け離れた生活を送っている。こんな自分では霊的成長などおぼつかない」――このように悩んでいるのは、あなた一人だけではありません。スピリチュアリズムに導かれた大半の人々が、こうした焦るような思いを持っているはずです。霊的成長に対して焦りを感じるのは、皆さん方の魂が、まさに向上しようとしているからなのです。

霊的成長は非常に遅々としたスピードで達成されていくものであり、地上人には、なかなか実感できないのが実情です。しかし三年前、五年前と今とを比べてみれば、その当時にはできなかった考え方や心の持ち方が、少しずつではあっても自分のものになっていることが分かります。実はそれこそが、魂が成長していることのあかしなのです。

霊的成長は、外国語をマスターするよりもはるかに難しく、比較にならないほど時間のかかる大事業です。私たちの心は絶えず揺れ動いているため、いつまで経っても同じ失敗を繰り返しているかのように感じてしまいますが、長い目で見れば確実に成長しているのです。霊的成長の道を歩むに際しては、こうした広い見方をすることも必要なのです。

これまでの歩みを振り返ってみると、自分の心が飛躍したのは、大きな苦しみや困難・悩み・落ち込み・ショックを体験した後であったことに気がつきます。霊的成長の道を歩んでいるかどうかについて、あまり深刻に考える必要はありません。一番大切なことは今――「人々の幸せのために人生を捧げたい!」という思いを持っているかどうかということなのです。他人への奉仕の意欲を持ち続けているなら、霊的成長のレールに乗っていると考えて間違いありません。

“マンネリ”という大きな問題

それとは別に、霊的人生には心のマンネリという深刻な問題があります。霊的真理に出会った当初は、目が覚めるような感動とともに人生が一新したかのような感覚に包まれるのですが、二年、三年と経つうちに、その熱意が徐々に冷めていくようになります。肉体を持って物質世界で生活する以上、当初の高まりをずっと維持することは不可能です。大半の人々が「霊的真理」を繰り返し読む中で使命感と感動を喚起し、スピリチュアリストとしての歩みを続けています。

しかし人によっては最初の感動が冷めるにともない、スピリチュアリズムそのものに対する熱意や使命感を失ってしまうことがあります。そして肝心な霊的人生の目的や霊主肉従の努力といった“霊的生命”に関わることまで、どうでもいいと思うようになってしまいます。これが霊的な“マンネリ”で、こうなると霊的成長はそこでストップしてしまいます。再び何らかのショックや苦しみを受けるまで、霊的意識が取り戻されることはありません。

霊的真理の価値を十分に理解していない人には、しばしばこうしたマンネリという“霊的危機”が訪れます。霊的真理が単なる知識レベルにとどまり、信仰レベルにまで至っていない人の場合には、感動が薄れると同時にスピリチュアリズムの価値も分からなくなってしまうのです。そうした人は、いつまで経っても内面深化の歩みをすることができない人間と言えますが、これには本人の「霊的成長度(霊性)」が大きく関わっています。

霊的成長の道は、外面的な刺激を求める人間には、ある意味では単調で地味な面白みのない生き方であるかのように映ります。しかし「霊主肉従の努力」と「利他愛の実践」に励む者にとっては、毎日が刺激と喜びに満ちあふれた生活となります。“マンネリ”は、霊的真理の実践を心がけていないために“霊的刺激”が欠如して生じる霊的危機です。実践による内面的刺激を得られない人間が、霊的なマンネリ状態に陥ってしまうようになるのです。

霊的人生を最後まで生き生きと歩み通すためには、常に霊的真理によって心を整理する努力が必要です。そのように高い心境を保ち、積極的に利他愛の実践に励むことが大切なのです。

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