第5章 霊的真理による楽天的な人生を目指して

――スピリチュアリズムは最高のポジティブ・シンキング的生き方

人間は誰もが、厳しさを嫌い、安気に人生を過ごしたいと思っています。しかし霊的成長の道には、多くの困難や厳しさがともないます。「努力なくして価値あるものを獲得することはできない」というのが、神の造られた摂理だからです。

確かに霊的人生は厳しい道ですが、同時に最高に楽天的な人生でもあるのです。霊的真理にそった考え方を身につけることによって、人生の視点がこれまでの地上(肉体)から霊界(霊)へと百八十度、転換するようになります。地上にいながら霊界人が地上世界を見下ろすのと同じ立場に立つことになり、日常生活のすべての判断が根底から変化するようになります。私たちは霊的真理を学ぶことで霊的視野を持った“楽天的人間”になり、“楽天的人生”を歩めるようになるのです。

ここでは霊的真理によってもたらされる「霊的視野」について確認するとともに、スピリチュアリズムの思想が最高の“ポジティブ・シンキング”であることを学びます。霊的真理によってもたらされる霊的楽天性は、次の七つに整理されます。

霊的真理を知ることによって、地上で誰もが体験しなければならない“苦しみ”に対して、大きな視野に立って臨めるようになります。第一部「人間の運命」の箇所でも述べましたが、地上人生において遭遇する苦しみや困難は決して悪いものではありません。それどころか、私たちの霊的成長にとって不可欠なものなのです。苦しみはしばらくは続くでしょうが、後になって霊界に行ってからのこともありますが)必ず何十倍もの喜びや感謝に変わるようになります。

永遠の霊界での生活を思えば、地上での苦しみは、ほんの一瞬の出来事にすぎません。霊的視点に立てば、地上で遭遇する苦しみを一段高いところから眺め下ろし、広い視野から位置づけすることができるようになります。それによって地上の苦しみは、実に小さなものになるのです。まずこの点で「霊的真理」を知っている者と知らない者とでは、天と地ほどの違いが生じます。

霊的真理を知れば、大半の地上人がとらわれている金銭欲・物欲から、完全に解放されるようになります。地上は一時いっときの仮の世界であり、お金やモノは、霊の道具である肉体を維持するだけあれば十分なのです。言い換えれば、「何とか生活できればそれでよし。必要以上のお金やモノはいらない」ということです。それが分かれば余分なお金を稼ぐために、貴重な時間とエネルギーを無駄づかいすることはなくなります。

お金やモノといったこの世の富を欲しがらない人間は、本当は一番の富者なのです。モノに対する執着心がないということは、何と気楽で幸せなことでしょうか。また人類のために人生を捧げて歩もうとする者には、霊界の高級霊によって最低限の衣食住は確保されるようになっています。したがって金銭のことで心配をする必要はなくなるのです。

地上の大半の人々は“死”を恐れていますが、霊的真理を知った者は、この問題に対しても実に大らかになれます。霊界の事実を知れば、死は怖いものでも悲しいものでもなくなります。それどころか、心から待ち望む出来事にさえなるのです。

もし自分が不治のやまいにかかって“死の宣告”を受けたとしても、どうということはありません。素晴らしい世界が待っているだけなのですから……。その時には、「残された地上人生を精いっぱい人類のために捧げよう」と決心すればよいのです。そして「あの世に行ったら引き続き、自分より未熟な者たちのために働こう」と期待に胸をふくらませればよいのです。“死”は、楽しい旅行に出かけるのと同じことなのです。

霊的真理を知れば、過去の失敗にいつまでもとらわれることがなくなります。失敗の内容によっては「因果律」による償いの道は避けられませんが、それも取り立てて深刻な問題ではありません。人々を真実の愛で愛することこそが、最上の償いの道となるからです。今、自分の心の中に「他人のために働きたい。人生を懸けて人々のために尽くしたい!」という思いがあるなら、人間として最善の道を歩んでいることになります。

この思いがあれば、少しも過去のことを悩む必要はありません。過去のすべての歩みは、現在のためにあったのです。現在の自分が最善の道を歩んでいる以上、過去のすべては良いものとなります。“今が良ければそれでよし”と、すっきりと心を整理することができるようになります。

霊的真理を知れば、地上人生の目的が明らかになります。自分が地上で生きているのは「霊的成長を達成するためである」と、単純に割り切ることができるようになります。今この時、心の中に「ただ人々のために自分の一生を捧げたい。犠牲的な歩みをしたい!」という思いがあるなら、間違いなく霊的成長の道を歩んでいます。何ひとつ無駄のない、そして最高に価値ある生き方をしています。

多くの人々のように、あれもこれもと忙しく動き回る必要はありません。他人への奉仕に専念して、人生をゆったりと歩めばよいのです。

霊的真理を知れば、「真の応援者・理解者」がいて、常に自分に愛を注ぎ、最高の導きをしてくれていることが分かるようになります。言うまでもなく、それは守護霊であり背後の霊たちです。したがって自分の動機さえ正しければ、地上の人間から誤解されたり、非難されたり、悪口を言われても、たいして気にすることはなくなります。真実を知っている霊界の人々に認めてもらえるならそれでよしと、心を治めることができるようになるのです。

この本当の理解者たちは、地上のどのような人間よりも大きな力を持っています。つまり私たちには、最大の味方がついているということです。それを思えば地上の人間の評価や反応がどうであれ、常に超然とできるようになります。

霊的真理を知れば、「真の道具意識」を持つことができるようになります。自分の一生を高級霊の道具として捧げるなら、計り知れない多くの“霊的利益”がもたらされるようになり、自分自身の生き方に迷いがなくなります。そして高級霊の道具であるからには「人々に愛を与えることだけが自分の使命である」と、すっきりと心を整理できるようになります。周りの人間が自分を愛してくれようがくれまいが、ただ与えることだけに専念すればよいのです。相手の反応や程度の悪い反発・非難は、私たちの使命とは無関係な出来事であり、それにとらわれたり思い悩んではなりません。私たちは高級霊の道具として、精いっぱい与えることだけに徹すればよいのです。

高級霊の道具である以上、自分流に一人であれこれと考えたり、何とかしようと気をもむ必要はありません。人類救済計画のすべては、霊界の高級霊によって進められています。私たち地上の道具は、その計画に合わせて最大限に使ってもらうことだけを考えればよいのです。ひたすら良き霊界の道具を目指して努力する中で、それが実現していくのです。

したがって私たちのなすべきことは――「心を正し、生活を正し、犠牲をいとわず利他愛の実践に専念する」ということです。良き道具となれるよう、自己修養に励むことです。霊界の人々を信じて委ね、任せていれば、自分でする何十、何百倍もの貢献ができるようになります。道具である以上、自分なりに先のことを心配したり、無理をして活動する必要はありません。「自分をできるかぎり人々のために用いてください、使ってください」と、純粋に委ねる思いを持ち続ければよいのです。そうすることで最高の奉仕の道が開かれていくようになるのです。

このように「霊的真理」が私たちの心に根付けば、何ひとつ、この世の問題で思い悩むことはなくなります。実に大らかに、楽天的に、明るく生きられるようになります。もし楽天的になれない、取り越し苦労や心配を拭い去れないとするなら、それはまだ真理を十分に理解していないということなのです。

霊的真理を知った者は、悩んではいけません。楽天的でなければいけません。この世のことで思いわずらうのは間違っています。今、自分の心が楽天的であるかどうかチェックしてみましょう。何か取り越し苦労をしていないか、余分な心配をしていないかチェックしてみましょう。もし悩みにとらわれているなら、今すぐ「霊的真理」によってそれらを払拭してください。そして毎日を“霊的楽天性”を持って生きることを、今後の人生の目標としてください。

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