(4)類魂(グループ・ソウル)としての歩み

霊的家族の形成

霊界入りした霊は、同じ成長レベルの他の霊たち(同じ界層にいる霊たち)と、共同社会をつくるようになります。霊界に入ると“類は類をもって集まる”の譬えのごとく、自動的に惹き合って一体となり、霊的グループを形成するようになるのです。

霊界でこのようにしてつくられたグループは、まさに「霊的家族」というべきもので、きわめて親近性の高い関係を保つようになります。メンバーの霊格(霊的成長度)は言うまでもなく、情緒や嗜好に至るまで類似性・共通性を持っています。これほどの親密さは、地上には決して存在しません。お互いの親密度は、地上時代の親友関係などの比ではなく、どのような夫婦や家族の結びつきも遥かに及びません。まさしくここには、完璧な親和性を持った理想的な人間関係が存在します。

もちろんメンバーの間に、ウソや裏切り、本音とタテマエの区別というようなものは、ひとかけらもありません。地上のような言葉の壁は一切存在せず、お互いが心の中で考えている内容が手に取るように理解できます。自分の思うことは言葉を介さなくても完全に相手に伝わります。初めて霊的家族の仲間入りをした新しい霊は――「これほどまでに自分と似通った者たちがいるのか!」と驚きます。「これほどまでに自分と一心同体の世界があるのか、これほどまでに心が通じ合う者たちがいるのか!」と感嘆するのです。

霊的家族は、さまざまな人種・民族から成り立っています。メンバーの中には地上時代に黄色人種だった者もいれば白人だった者、黒人だった者もいます。また地上生活を過ごした時期も一人ひとり異なり、地上時代の職業もさまざまです。ある者はインド人の僧侶であったり、ある者はアメリカ人の技師であったり、イタリア人の画家であったり、中国人の農民であったりします。

霊的家族においては、そうした違いは全く問題にはなりません。「魂の兄弟」という意識以外、何も存在しません。ここには、地上ではいまだに成し遂げられていない完璧な平等社会が実在しています。地上ではなかなか純粋な平等意識を持つことができないため、完全な平等と公平は、常に理想として残されたままになっていました。しかし霊界では、その理想が完璧な形で実現しているのです。

「類魂」という共有意識・共通意識の発生

この霊的グループでは、さらに驚くようなことが起こります。そこにいるメンバーの心が文字どおり一つとなってしまうのです。こうしたことは地上時代には想像することさえできませんでした。地上では、自分は自分、自分の考えは自分のもの、自分の心は自分のもの、というのが常識でした。自分は自分、他人は他人という区別は、地上では当たり前のことでした。時には仲のよい夫婦や男女が“あなたと私は一心同体”と言うことがあっても、それは単なる比喩であって、言葉どおりそれが実現するとは考えられていませんでした。

ところが霊界の霊的家族の中に入ると、その地上の大常識が覆されることになります。霊的家族の中では、「あなたと私は同一の人間」というような奇跡が発生するようになります。「自分の心」が「他人の心」と一つになり、相手そのものになってしまうのです。「心の融合化・心の一体化」という、地上では絶対に考えられなかったような出来事が現実のものとなるのです。

霊界の霊的家族の中では、それぞれの心が融合化・一体化して「大きな意識体(心)」をつくり上げることになります。メンバー全員の意識(心)が一つに融合して「大きな共有意識体・大きな共通意識体」を形成するようになるのです。これを「類魂(グループ・ソウル)」と言います。地上では、自分の意識が他人の意識と融合して一つになるというようなことは決してありませんが、霊界ではそうした奇跡のようなことが実際に起きるのです。霊界の低い界層では二十人くらいの霊が集まって類魂を形成し、高い界層ではその数がずっと多くなって、何百、何千という霊たちが一つの類魂(共有意識体)を形成するようになります。広大な霊界には、こうした類魂が何億、何十億と存在しているのです。

類魂の中では、「他人の心」が私の心と一つになって「私の心」となります。何十人ものメンバーの心が「私の心」となります。「私の心は皆の心、皆の心は私の心」というような状態になるのです。その結果、「私の心」はそれ以前では考えられなかったような「大きな心」となり、「大きな意識体の一部」となるのです。

他の霊の地上体験を共有

全員の心が融合して一つとなる「類魂」の中にあっては、“自分と他人の区別はどうでもいい”といった状態にまで至ります。また実際に、自分と他人の区別さえつかなくなるようなこともあります。こうした場合、類魂仲間の他の霊を指して“私”と言ってもよいことになります。反対に他の霊が、私の名前を用いて“自分”と言っても、間違いではないことになります。

一方、類魂の中では、他の霊の地上人生はその霊のものであると同時に“私”の地上人生にもなります。肉体的には“私”はそれを体験しなかったけれども、「私は間違いなくその地上人生を歩んだ」と言うことができるようになります。地上時代の“私”は東洋人であっても、「私は西洋人でもある」と言うことができるようになるのです。

類魂という共有意識体の中では、他の霊の体験と知識はすべて“私”のものとなります。他の霊の感情も“私”のものとなります。こうなると自分の経験・知識・意識は一気にふくらみ、突如「大きな私」になるのです。自分自身でも驚くような「大きな意識(心)」を持つようになるのです。霊たちは類魂の一員になって初めて、全体としての内面的協調の生活が、いかに素晴らしく、いかに美しいか、しみじみと実感することになります。ここにおいて地上生活では免れえなかった“自己中心性”という地上的傾向から完全に解放されるようになるのです。

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