(3)霊界の環境

――想像を絶する躍動的な極美の世界

自分の思いでただちに好みのモノや環境をつくり出すことができる、テレパシーでお互いの心が通じ合うことができる、行きたいと思うだけで瞬間的に移動することができる――こうした幽界での特質は、何ひとつ欠けることなくそのまま霊界へ持ち越されるようになります。それどころか、それらのすべてがより完璧に高められて実現することになります。

幽界とは比べものにならない美しさ

幽界で展開していた環境は、地上時代に各自が抱いてきた物質的欲求の反映でした。一人ひとりが思いのままに勝手につくり出した幻の環境でした。

しかし霊界には、もはやそうした地上的欲求を持ち続けている者はいません。霊界の同一界層では、霊的成長が同レベルの者が集まって生活しています。そのため界層の環境は、各自がバラバラにつくり出したものではなく、全体の心が反映した調和のとれた一つの世界となっています。霊界の環境は幽界と比べ、すべてにわたって遥かに美しく輝いています。もちろん霊格の高い霊たちが集まる上の界層に行けば行くほど、霊を取り巻く環境は、美しさと輝きを増していきます。

地上の言葉では表現できない美しさ

そうした霊界の様子を、地上の言語で説明しようとしてもできません。地上の言語はどこまでも物質的なものであり、霊的次元のものではないからです。“言葉”という粗雑な地上の手段では、精密・精妙な霊的なものを説明することはとうてい不可能なのです。地上の言語は、霊的なものを表現する道具としては役に立ちません。それと同時に霊界には、地上にはない美と色彩と音楽が満ちあふれています。地上には霊界のような美しさがないため、それを表現する言葉そのものが存在しないのです。

したがって地上の人間に、霊界の美しさを正しく伝えることは、どうしてもできないということになります。シルバーバーチは次のように述べています。

「私の苦労を察してください。たとえるものがあればどんなにか楽でしょうが、地上にはそれがなく、あなた方にはせいぜい、光と影、日向ひなたと日陰の比較くらいしかできません。地上界の虹の色は確かに美しいですが、それとて地上人の理解を超えている霊界の色彩と比べることはできません。」

シルバーバーチ霊の語る霊界の美しさ

しかし、そのシルバーバーチに敢えて霊界の様子を語ってもらうことにしましょう。シルバーバーチは霊界の美しさ・素晴らしさを、次のように感動的に述べています。

「あなた方はまだ、霊の世界の本当の素晴らしさを知りません。肉体の牢獄から解放され、望む所へは自由に行け、心で考えたことが形を取って眼前に現れ、好きなことにいくらでも専念でき、お金の心配がない……こうした霊界の生活と比べることができるものは、地上には存在しません。あなた方はまだ霊的世界の喜びを味わったことがないのです。

地上の人間は、美しさの本当の姿を理解することはできません。霊の世界の光、色彩、景色、樹木、小鳥、川、渓流、山、花、こうしたものがどれほど美しいか、あなた方はご存じありません。

地上の人間にとって「死」は、恐怖の最たるもののようです。が、人間は死んで初めて生きることになるのです。あなた方は自分では立派に生きているつもりでしょうが、実際にはほとんど死んでいるも同然です。霊的なことに対しては死人のごとく反応を示しません。小さな生命の灯火ともしびが粗末な肉体の中でチラチラと輝いてはいますが、霊的なことにはいっこうに反応を示しません。ただ、徐々にではあっても進歩しています。私たちの働きかけによって、霊的な勢力が物質界に増えつつあります。霊的真理の光が広まることによって、暗闇は後退しつつあります。

霊の世界は地上の言語では表現できません。譬えるものが地上界には見いだせないのです。あなた方が〝死人〟と言っている霊界の者たちの方が、あなた方よりも生命の実相について、はるかに多くのことを知っています。

こちらの世界に来て、芸術家は地上で求めていた夢をことごとく実現させることができるようになります。画家も詩人も大きな夢を達成することができます。与えられた才能を思う存分発揮することができるようになるのです。こちらの世界では、あらゆる才能や素質は、お互いに奉仕するために用いられます。霊界における以心伝心の素晴らしさは、ぎこちない地上の言語ではとても表現できません。心に思うことが霊の言語であり、それが電光石火の速さで表現されるのです。

こちらには、金銭の心配がありません。生存競争というものがありません。弱者がいじめられることもありません。霊界での強者とは、弱者に手を差し伸べる力があるという意味だからです。失業などというものもありません。スラム街もありません。利己主義もありません。宗派もありません。教典もありません。あるのは大霊の摂理だけです。(中略)

地上のいかなる天才的画家も、霊の世界の壮大で美しい眺めを絵の具で描き出すことはできません。いかなる天才的音楽家も、その音楽の素晴らしさを音符で表現することはできません。いかなる名文家も、霊界の美の一端さえ地上の言語で書き表すことはできないのです。そのうちあなた方も、こちらの世界へ来られます。そしてそのすべてに驚嘆なさることでしょう。そのときあなた方は、真の意味で霊界を知ることになるのです。

地上は今まさに五月、辺りは美に包まれています。皆さんは大霊の顕現を至るところで目にしています。生命の息吹が辺り一面に広がっています。そして皆さんは花の美しさや芳香に触れて、神の御業みわざは何と偉大なことかと感嘆しています。

しかし、その美しさも霊の世界の美しさと比べるならば色あせて見えます。霊の世界には、地上の誰ひとり見たことがない花があり、色彩があります。地上にはない風景や森があり、小鳥もいれば植物もあります。小川もあれば山もありますが、どれ一つ取っても、地上のそれとは比較にならないほど美しいのです。そのうち皆さんも、その美しさを味わえる日がきます。」

以上、シルバーバーチの説明によって、霊界がどれほど素晴らしい世界であるのかを理解していただけたものと思います。このシルバーバーチの言葉の中には、霊界の素晴らしさの他に、芸術観や言語観といった哲学的テーマに関する、実に重要な内容が示唆されています。

霊界から地上を見ると

さて、霊界という素晴らしい世界で長いあいだ過ごしてきた霊が、もし地上に降りてくるとしたら、どのような感じを持つのでしょうか。霊界側では、地上をどのように見ているのでしょうか。これについても、シルバーバーチに語ってもらうことにします。

「物質界に降りてくるのは、正直言ってイヤなのです。楽しいものではありません。光もなく活気もなく、うっとうしくて単調で、生命力に欠けています。譬えてみれば、弾力性のなくなったクッションのような感じで、何もかもがだらしなく感じられます。どこもかしこも陰気でいけません。

したがって当然、生きる喜びにあふれている人はほとんど見当たらず、どこを見渡しても絶望と無関心ばかりです。この地上は本来幸せであるべきところに不幸があり、光があるべきところに暗闇があり、満たされるべき人々が飢えに苦しんでいます。こうした活気がなくどんよりとして重苦しい地上世界に、われわれ霊界の者が合わせようと波長を下げていくことは、小鳥を小さなカゴに閉じ込めることと同じなのです。

用事を済ませて地上から去って行くときの私は、鳥カゴから放たれた小鳥のようで、果てしない宇宙の彼方へ喜び勇んで飛び去って行きます。」

これを読んだ皆さんは、「私たちの住んでいるこの物質界は、そんなにひどい所なのか……」との思いを持たれたに違いありません。しかし多くの霊界通信が同様のことを述べているところから推察すると、これが率直な霊界側の見方であることが分かります。

シルバーバーチの言葉は、“霊界がいかに素晴らしい世界であるのか”ということをよく示しています。私たちが死後に赴く世界が、それほどまでに素晴らしい所であるとするなら、“死”は希望以外の何ものでもないことになります。“死”は恐れるどころか、まさに心から待ち望むべき出来事となるのです。

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