(1)幽界の様子と生活

地上とそっくりな世界

幽界に入ったばかりの他界者は、その環境があまりにも地上と似ているため一様に驚きます。そこには山もあり川もあり、野原や海や湖もあります。村も町も家もあり、大人も子供も、犬やネコもいます。幽界には、地上世界に存在しているものが何でもあるのです。幽界が地上とそっくりな所であるため、他界者の多くが「自分は本当に死んであの世へきたのだろうか?」と思うのです。

幽界に存在するすべてのものが、地上世界と同じように感じられます。感触も地上と同じで堅さもあります。叩けば音を出すこともできます。水に触れれば冷たさも伝わってきます。

地上時代と同じ身体

死によって肉体を脱ぎ捨てた人間は、霊的身体で生活することになります。その「霊体」は、肉体よりもはるかに精妙であるため、肉眼で見ることはできませんし、肉体の手で触ることもできません。霊体にはもちろん手も足もあり、外観は地上時代と何も変わりません。ただ霊的身体には老化というものがないため、どの人の霊体もみな若々しいときの状態を保っています。

一方、地上時代に身体的に不具であった者は、ここでは五体満足となり障害や不自由さはなくなります。地上時代には肉体の一部分に障害があったものの、霊体には何ひとつ問題はなかったのです。

地上時代と同じ考え・性格

死によって肉体はなくなっても、霊体に属していた心(精神)はそのまま幽界に持ち越されます。死んでも人間の心は、すぐに変わるわけではありません。したがって死後もしばらくは、地上時代と全く同じ考え方・性格・癖・人間性を維持します。地上時代の人格を、そのまま保ち続けます。

すべてが地上より美しい

先に述べたように「幽界」は、地上とそっくりな世界です。そこでは地上の生活と同様、自然の中を散歩して、いろいろな景色を楽しみ、小鳥の声を聞くこともできます。しかも幽界では、すべてのものが地上より一段と美しく、明るく輝いています。地上にあったような醜さは全く見当たりません。地上の暗さはどこにもありません。空はあくまでも澄みわたり、明るく輝いています。周りの景色は、地上の最も美しい所だけを寄せ集めたようです。花々は宝石のごとく輝き、色あせることがありません。小川のせせらぎや小鳥のさえずりは、地上では聞いたこともないような美しい音色を奏でています。「何と素晴らしい所か、夢のようではないか!」と、誰もがその光景に感嘆します。

また、幽界には地上のような夜はなく、日が暮れることもありません。そこには地上のような太陽がありますが、それは地上の太陽よりも美しく、すべての住人は、この太陽から直接エネルギーを受け取っています。地上の日光浴のようなことをすれば、それでエネルギーがすぐに満たされるのです。

思うことが何でもかなう

ここでは老衰はなく、大半の人々は若返って青春時代の容貌にもどります。また地上時代に憧れていた顔かたちやプロポーションがあれば、幽界ではそれが現実のものとなります。場所の移動も自由自在です。「そこに行きたい、その人に会いたい」と思うだけで、アッという間に移動することができます。地上時代のように歩いて行きたいと思えば、もちろん歩いて行けますし、空を飛んで行きたいと思うなら、空を飛んで行くこともできます。

このように幽界では、心で思ったことが、そのまますぐに実現するようになっています。幽界は、まるでお伽噺そのものの世界なのです。

自分の思いが環境をつくり出す

さらに驚くべきことは、本人の願望や好みが、その人間を取り巻く環境をつくり出すということです。一度も外国に行ったことがない日本人の周りには、日本風の景色や家屋・町並みが広がっています。一方、外国が好きで憧れていたような人の周りには、本人の気に入るような環境が自然とでき上がります。生前に田園風景が好きだった人は、豊かな自然に恵まれた静かな田舎で過ごすようになります。

幽界で住む家は、自分の趣味と完全に一致しています。家の中の調度品や家具も、すべて自分の好みのものばかりです。着るものについても同じで、地上時代に好きだった衣服が自由自在につくり出され、思う存分楽しむことができます。

食べる必要がない・睡眠をとる必要がない

もはや肉体はないので睡眠をとる必要はありません。地上での病気や身体の不快感や重苦しさ・疲れは一切なく、身体は軽くて風呂あがりのようにすがすがしく、爽快そのものです。さらに大切なことは、すでに肉体はないので、この世界ではもう飲食の必要がないということです。

しかし中には、地上時代の習慣をいまだに引きずっている人がいます。そうした人は、幽界でも依然として飲食の欲求を持っています。そして「あれを食べたい、これを飲みたい」と思うだけで、欲しいものが瞬時に目の前に現れます。ところが実際にそれを口にしてみても、肉体のないところでの味覚は何となくパサパサとして味わいがなく、おいしくありません。やがて食べること自体がつまらなくなり、どうでもよくなって飲食の欲求を捨ててしまうことになります。

辛い労働もない・お金も必要がない

「食べる必要がない、お金も必要がない、欲しいものは何でもすぐ手に入る――何と素晴らしいことでしょうか!」――地上時代は、生活のため、食べるために必死に働いてお金を稼いできました。毎日毎日、辛い思いをして働かなければなりませんでした。地上人生の大半を、お金を稼ぐために費やしてきました。多くの人々は、お金こそ最も頼りになる大切なものだと考えています。そしてお金やモノの奪い合いから、犯罪や戦争が引き起こされてきました。

しかし幽界には、そうしたものは一切ありません。他人と争ったり、奪い合ったりする必要は全くないからです。ケンカなど馬鹿馬鹿しくてやっていられなくなるのです。

テレパシーで通じ合う

霊の世界では、お互いの心は“テレパシー”で通じ合います。言葉は地上世界だけの物質的な伝達手段であって、幽界ではもはや不要となります。交信は、言葉を介さずにストレートになされます。まさに“以心伝心”なのです。外国人とも何不自由なくコミュニケーションができるようになります。

しかし言葉が必要だと思い込んでいる人は、幽界でもしばらくの間、地上の言葉を使います。

心の中が、周りの人々に知られる

幽界では、心の中身(本音)が周りの人々に知られるようになっています。そこでは、自分の心を隠すことはできませんし、過去の行為を隠すこともできません。人目をあざむくために仮面をかぶることもできません。幽界では、地上生活につきもののウソ・偽善・タテマエは一切通用しなくなります。

ウソつき・偽善者は、恥ずかしくなって皆と一緒に住めなくなります。そして自動的に人々との交わりを避け、低くて暗い所へ行くようになります。そこで同じような人間と一緒に生活するようになるのです。

幽界とは、霊界へ行くための準備をする所

以上で、幽界での様子・幽界での生活が、どのようなものであるのかが明らかになりました。では私たちは死後、この幽界で、ずっと生きていくことになるのでしょうか? そうではありません。実は「幽界」は、さらに次の段階である霊界へ行くための準備をする場所なのです。幽界について最も重要なことは――「純粋な霊的世界(霊界)へ行くための準備をする所である」ということです。

幽界は、多くの点で地上とそっくりな世界、地上のコピーのような世界であることを述べましたが、どうしてそのような世界が存在しているのでしょうか。それは幽界が、他界した人間が永遠に住むことになる霊的世界に無理なく適応することができるようにとの「神の配慮」によって造られた世界だからです。そうでなければ新しい霊的世界に順応するのは、とても難しいことになります。こうした神の配慮があるために、霊界への移行はスムーズに行われるようになるのです。

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