16章 交霊会についての誤解

〔交霊会を催しても何ひとつ現象が起きないことがある。すると出席者は時間を無駄に費やしたと、不満に思うものである。ここでのシルバーバーチの言葉は、心霊現象を待ち望む人々に励ましをもたらすことになるであろう。〕

交霊会のような場で、霊的な一体化を求めて過ごす時間が無駄に終わることは決してありません。あなた方が、何か現象が起きないかと辛抱強く待っていることは知っていますが、交霊会としては着々と進展していることを理解していただきたいのです。その間に私たち霊界の者との絆が強化され、出席者の霊的感受性は鋭くなっています。

高次の心霊現象は、出席者の内的な反応、つまり霊性の開発とそれを活用しようとしている力(霊団)によって発現するようになります。

ですから、どういう現象が見られたとか、どんな音が聞こえたのかということは大して重要ではありません。もっと大切なことは、サークルのメンバーの霊性の開発です。あなた方は毎週一回この交霊会に参加していますが、それによってより高度なバイブレーションに波長を合わせ、太古からの霊的叡智にいっそうなじむようになっています。霊的叡智は、地上という物質界に届けられることを待ち続けています。それが実際に地上に届けられるためには、そのバイブレーションに同調できる通路(チャンネル)が必要となります。

あなた方の魂が開発されてより高度なバイブレーションに反応するようになれば、それだけ高度で強力な霊的エネルギーと接触できるようになります。そのエネルギーは目にも見えず耳にも聞こえませんが、永遠の霊的実在の一部です。実はそれこそがあなた方の生命の真実在なのです。ところが、大半の人間は多くの時間を影を追い求めて過ごし、幻影を捕らえようとし、その場かぎりの満足を得ようとしています。

静寂と調和と愛の中で、皆さんの魂は一時いっときも休むことなく開発されています。その速度は遅々としていますが、着実です。各自の内部に宿る大霊(神の分霊)が開発され、進化し、その分だけ神性を発現することが可能になっています。ナザレのイエスがその昔こう言いました――「二人ないし三人の者が集う所には大霊が祝福を授けてくださる」と。私たちも同じことを述べているのですが、誰も耳を貸そうとしません。

訳注――「耳を貸さない」とは、ここではキリスト教会のことを言っている。「大霊が祝福を授けてくださる」というのは霊媒能力によって霊界と地上界との交信が可能になるという意味で、それを実際にやって見せているのに認めようとしない教会を批判している。

真理が変わることはありません。変わるのは人間の心です。真理は不変です。なぜなら真理は正しい知識に基づくものだからです。その正しい知識は大霊から出ています。大霊こそ、すべてのインスピレーションの中心であり始原です。真理はとてもシンプルで、容易に理解できるものなのですが、地上人はそれをきわめて難しいものにしてしまっています。

このサークルの方たちとはすでに何度もお会いしていますので、私たち霊団との絆は強化されています。霊団の中には皆さんの知らない霊、名前を聞かされても分からない霊が大勢いますが、いずれもお役に立ちたいという一心で来ており、彼らは評価も報酬も一切求めてはいません。

そうした霊たちがこの場を訪れるのは、地上界へ霊的知識を届け、真理の普及を促進し、間違ったことを改め、悲しみと迷信を駆逐し、光明を広げ、痛みと苦しみの代わりに幸せと平和と繁栄をもたらす手段(霊媒と出席者)があるからです。

その仕事を推進するうえで、皆さんは大いに役に立っているのです。万一、何の役にも立っていないように思えたときには、どうか次のことを思い出してください。皆さんが人類に対する奉仕への熱い思いを抱いてこの部屋に来て、私たちと一時間ほど共に過ごすということが、ここに霊的神殿を築くための大きな力になっているということです。

この交霊会に出席して大霊と心を一つにしておられる時間は、一時として無駄に終わることはありません。調和と愛の心で集うときに蓄積されるエネルギーが、大いなる架け橋を築くうえで役に立っているのです。その架け橋を通って、新しい光、新しい力、新しい希望を地上界へ届けようとする霊が大挙して降りてきます。どうかそのことを忘れないでください。時には冗談を言って笑いの渦が巻き起こることがあっても、その背後には常に大きな目的が控えているのです。

その目的とは、大霊の摂理が皆さん方一人ひとりを通して地上界で十分に機能するようになることです。皆さんは、その目的のために今日まで献身してこられたのです。その目的を共有し、大霊を受け入れたいとの思いが強くなるほど、それだけ多くの大霊のエネルギーが地上界へもたらされるようになるのです。

質疑応答

――交霊会で笑い声があがるのは、良い影響をもたらすことになるのでしょうか。

心が楽しければ楽しいほど、それだけ大霊の心に近いということを意味します。忘れないでください。あなた方は大霊であり、地上のいかなるものも、あなた方を傷つけることはできません。それは、私がこれまでずっと言い続けてきたことです。この世的なことにわずらわされているかぎり、その真意は分かっていただけないかもしれません。

この世的なことを無視しなさいと言っているのではありません。なぜなら、あなた方は地上で生活しており、社会の一員としての責任もあります。しかし、次のことだけは決して忘れないでください。あなた方は大霊であり、大霊はあなた方であるということです。あなた方の内にある大霊の霊力は、あなた方があらゆる物的なものに勝利するように導きます。

こうしたことを正しく理解するなら、それはあらゆる邪悪に抵抗し、あらゆる病気を克服し、あらゆる障害に立ち向かう力となるのです。しかしその力を活用している人間は、ほとんどいません。イエスは二千年も前に「神の王国はあなた方の中にある」と教えているのですが……

――自動書記は心霊現象の中でいちばん信頼性が乏しいようですが、なぜでしょうか。

それはその霊媒の能力の問題です。霊媒が未熟であれば、地上の人間の想念と霊界から送られてくるメッセージとの区別がつきません。能力の発達程度の問題で、ある一定のレベル以上に到達すれば地上界の想念を払いのけ、霊界からのメッセージを受け取りやすくなります。霊媒が未熟なのに、それを霊側の責任にしてはいけません。私たちとしては、そちらから提供してくれる道具で仕事をするしかないのです。

――幽界から霊界へと向上していった霊が地上と交信するときは、幽界まで降りてこなければならないのでしょうか。

いいえ、そんなことはありません。彼らは、メッセージを届けてくれる霊を見つけることができます。地上へ通信を送るための道具(霊界の霊媒)を、いつでも霊界サイドで調達できるのです。ただし、霊界の霊媒となる霊は、幽界を卒業しているだけでなく、そのレベルをはるかに超えていなければなりません。地上界の次の段階である幽界にいる者だけが地上界と交信できるというわけではありません。それより上の界層からでも、地上の霊媒がそのバイブレーションを受け取るだけの能力があれば、直接交信することができるのです。

――霊的な問題についての知識の限度は地上人の受容能力によって決まるそうですが、そうなると霊的知識の理解力に欠ける人間は、霊媒を通して証拠を求めるのが賢明ということになるのでしょうか。

証拠と魂の成長とは何の関係もありません。真理を受け入れる能力は、霊界のどの界層まで至ることが可能か、ということで決まります。魂が真理を理解できる段階まで進化しているかどうかということです。それを証拠の追求と混同してはいけません。証拠の追求と魂の成長は、必ずしも足並を揃えて進んでいくものではありません。生命が死後にも存続する証拠を手にしていながら、霊性に目覚めていない人がいるものです。

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