(3)運命に対する正しい姿勢

地上の苦しみは一瞬の出来事

苦しみの体験を通して罪の償いと埋め合わせがなされ、新しい霊的自覚を持てるようになると、少しずつ霊的成長の道を歩み出すことができるようになります。地上での苦しみは、永遠の人生から見ればほんのわずかな期間にすぎません。その時は確かに苦しいのですが、それがいつまでも続くわけではありません。霊界における苦しみが長期にわたって続くことに比べれば、大したことではないのです。霊界では、地上での苦しみの報いとして、その何十倍もの幸せがもたらされるようになります。“霊界での報い”という確実な保証があることを知れば、地上での苦しみは本当の不幸ではないことが分かります。

こう言うと、必ず次のような反論をする人がいます。「死後の幸せなど、本当かどうか分かりはしない。そんなものを期待してこの世を生きようとするのは、目の前の苦しみに立ち向かう勇気のない人間・逃避的人間のすることである。今(地上人生)をより良く生きること、強く生きることが大切であって、死後の保証などという弱い考えを持つべきではない」――これは、いかにももっともらしい道徳的意見です。しかし、それは「霊的事実」に対する無知から出た無責任な発言にすぎません。そこにあるのは“自分の意見が正しい”という傲慢な姿勢だけなのです。

もし霊界が本当にあるとするなら、その人は何と言い訳をするのでしょうか。奇麗事きれいごとなど、どうでもいいのです。「現実に霊界があるかどうか」が問題であり、その事実の上に立って、より良く生きることが重要なのです。

苦しみの本当の意味を知ることによって、私たちの心に勇気が湧き、苦しみに堂々と立ち向かうことができるようになります。そして何よりも大切な「霊的成長」を、より早く達成することができるようになるのです。

すべては“自己責任”

さて、そうした霊的成長のためのせっかくのチャンスに対して、地上人は必ずしも正しい対応をするわけではありません。肉体をまとい霊的意識が失われている地上人にとって、“苦しみは自分自身が求めたもの”などという記憶は全くありません。そのため苦しみを、ただイヤなもの・何としても避けたいものとして考えるようになります。この世的に見れば、苦しみから逃れられることは幸運であるということになりますが、霊的観点からすれば、反対に大きなマイナス・損失となるのです。

カルマ清算のための苦しみの体験は「償いの法則」によって自動的に生じるようになりますが、それを活用して霊的成長に結びつけるかどうかは、本人の“自由意志”に委ねられています。苦しみに正しく対処して善い方向へ向かうのも、わざわざ無駄な道を歩んで苦しみを長びかせるのも、すべて本人の責任なのです。苦しみを避けて通ろうとするなら、償いが完了するまで何度でも同じ苦しみが発生するようになります。自分の意志いかんで、霊的成長のチャンスを活かすことも無駄にすることもできるのです。

病人が医者の所へ行って、病気を治すための処方箋と薬をもらいます。それを処方箋どおりに飲むか飲まないかは本人しだいです。処方箋どおりに飲んで早く病気を治すのも、薬が苦いからといって飲まず、病気をいつまでも長びかせるのも本人の責任です。これが、神が定めた「自己責任の法則」であり“自分で自分を救う”ということなのです。

苦しみに対する正しい心がまえと考え方

苦しみの試練に直面したときには、どのように考え、乗り越えていったらよいのでしょうか。その答えは――「霊的視野に立って、永遠的な観点から苦しみを甘受する」ということです。苦しみの状況を、自分のカルマを切って霊的成長の道をリセットしてくれるありがたいものと考えて神に感謝し、前向きに受け止めることです。

苦しみの中では、とかく自分なりの小さな世界に閉じこもりがちになりますが、どのような状況にあっても物質的世界に安らぎを求めず、永遠の世界に思いを馳せ、どこまでも“霊的幸せ”を追求しようとすべきです。そして常に自分より恵まれない人々のために「利他愛の実践」を心がけるべきなのです。こうした霊的視野に立った心がまえができるなら、いかなる苦しみに遭遇しても、決して悲観的になることはありません。

“占い”にこだわる愚かしさ

いつの時代にも多くの人々が占いに関心を持ち、その結果に一喜一憂してきました。“占い”についてどのように考えたらよいのかは、これまで述べてきた内容から、すでに結論は出ています。正しい運命観・因縁観が分かれば、もはやこの世の出来事に右往左往するようなことはなくなります。当然、占いなどはどうでもいいことになります。「すべての体験が自分の霊的成長にとって必要なものである。苦しみは本当は善いものであって不幸ではない」ということを自覚できるなら、将来に対する不安は消滅します。

そもそも人間の未来を正確に当てられるような占いは、この世には存在しません。

信念の魔術的考えの間違い

「ノーマンピール」「ブリストル」らの唱導で、一時ブームを巻き起こしたものに“信念の魔術”があります。自分の願うことを強く思い描き、潜在意識の中にそれを印象づければ自分の希望がその通り実現する、というものです。それを人生に当てはめるなら、運が悪いのは自分自身が悪いイメージを描くから、ということになります。そしてプラスのイメージだけを潜在意識に強く印象づければ、運が好転するようになる、ということになります。

確かにこうしたポジティブ・シンキングには、人生を好転させるそれなりの効果はありますが、それはどこまでも精神領域の一部に限られます。この主張には、さまざまな問題点があります。まず「強く思い描けば不可能も可能になる。不運も避けられるようになる」と言いますが、これは事実ではありません。そこには神の造られた摂理への考慮が全くありません。神の法則によって支配されている世界では、“人間の意志”で変えることのできる範囲は限られています。

また信念の魔術的ポジティブ・シンキングには、肝心な価値観に対する考慮がありません。霊的成長の観点に立てば、決して願ってはならないもの、固執すれば霊的成長にとってマイナスになるものがあります。「人間として何を願うべきなのか?」という価値観への考察が必要なのですが、信念の魔術にはそれがありません。よく「お金・地位・家・財産を手に入れたい!」というようなことが信念の対象とされますが、そうしたものを強く願えば願うほど、魂の成長にはマイナスとなることが多いのです。

良いイメージを持とうとすることは何の問題もありませんが、それはどこまでも「霊的真理」を踏まえたうえですべきことです。「霊的価値観」にそった良いイメージを思い描き、その実現を念じることは魂の成長にプラスとなります。それと同時に何よりも大切なことは、守護霊や背後霊が私たちの霊的成長を願い、常にベストの導きをしてくれているという事実を思い起こすことです。高級霊や守護霊の導きを信じ委ねることなのです。

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