(1)人間と動物の本来の関係

永遠の人間と、地上限りの動物

人間は神によって永遠の存在として、すなわち個別性を維持して永遠に生き続ける存在として造られました。進化の果てに神と融合して、私という意識がなくなるようなことはありません。動物はこの点で、根本的に異なっています。動物には人間のような霊体はありません。したがって動物は死とともに存在が消滅することになります。霊界で永遠に生き続けることはできないのです。

ただしこの後で述べますが、人間と愛情関係のあった動物については、死後しばらくの間は地上での形態を維持し、主人(飼い主)が霊界に来る時を待つことになります。

人間のみが“神”を理解する

地上にいる無数の生命体の中で、人間のみが神を知ることができるように造られています。そしてそのための高度な知性を与えられています。この点で人間は、動物とは全く違っています。動物にもある程度の知性はありますが、それは“本能の領域”に限定されていて、神を理解するという高次元の能力は持っていません。動物の意識は常に本能の枠内にあって、その本能は法則によって支配されています。そのため動物には本当の意味での自由はありません。

したがって動物は、人間のように自由意志に基づく因果律の適用を受けることはありません。人間のみが“自由意志”を持ち、自らの行為に対して責任を取らなければならないのです。

第二の神として、動物を愛する責任がある

人間のみが神を知り、神の愛を理解できるという事実は、人間が地球上の動植物に対して「神の代理者として愛を与える使命がある」ということを意味しています。人間はその知性ゆえに動植物を一方的に支配する力を持っていますが、それは「愛を用いて動植物を支配するように」との神の意図があるからなのです。人間は神の代理者として、すなわち“第二の神”として動植物を愛し、神に代わって愛を与えなければなりません。それによって「動植物の霊的進化を促す」という使命を果たし、地球上全体を愛と調和に富んだ環境にする責任を全うできるようになるのです。

地上の全生命体(動植物)は、人間から愛された分だけ霊的に進化するようになります。人間から愛されることによって「神の愛」を間接的に受けることになるからです。こうして人間は、神の造化の御業みわざの一部を代行することになります。

一方、人間は動植物を愛することで、その動植物から愛されるようになり、喜びを得ることになります。そうした愛のサイクルをつくり出すことで、地球上に愛の世界が広がっていくことになります。神の造られた「利他愛の摂理(法則)」によって、動植物を愛し育む人であればあるほど、より多くの愛の喜びを味わうことができるようになるのです。

このように人間と動物は、お互いの霊的成長に重要な関わりを持っています。人間と動物は“神の被造物”として、ともに協力し合って進化するという運命を共有しているのです。

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