1章 地上的喜びと悲しみ

〈幸と不幸〉

――この地上界に完全な幸せというのは有り得るでしょうか。

「有り得ません。肉体に宿っての生活は試練か罪滅ぼしのいずれかを目的としての生活の場として指定されているからです。ただ、定められた体験の苦の側面を、その対処の仕方(心構え)によって軽減し、それだけ幸せの側面を大きくすることは可能です」

――地上的な幸不幸は相対的なもので、置かれた立場によっては、ある者には幸せに思えることが他の者には不幸に思えることがあります。そうしたこととは無関係に、全ての人間に共通した幸せの基準というものがあるのでしょうか。

「物的生活に関しては生きるための必需品が確保できることであり、精神的生活に関して言えば、健全なる良心と死後の生命への信念を持っていることです」

――それほどの財産を所有するに値するとは思えない人が豊かな生活をしていることがありますが、なぜでしょうか。

「財産というものは、現世のことしか考えない人には羨ましく思えるかも知れませんが、来世との関連で見ると、苦難や貧困よりも危険な要素を秘めているものです」

――文明の発達は欲望を増幅していくという観点からすると新しい悩みのタネをも増やしていっていることになるのでしょうか。

「地上界の病苦は、人間本来の必要性とは別種の、言わば人工的必要性に比例して増えています。欲求に自分で限度を設けて、それ以上の贅沢には何の魅力も覚えない人は、地上生活における落胆とは縁のない人です。真の意味で豊かな人とは余分なものを欲しがらない人です。

人間はとかく金持ちの贅沢を羨ましがりますが、その人たちの多くを待ち受けている運命をご存じありません。財産を自分のことにだけ使う人は利己主義者であり、そういう人の将来には恐ろしい逆境が待ち受けております。羨ましがらずに憐れんであげるべきです。

神は時として邪悪な人間に大金を預けます。それは、それが元で泣く思いをさせ歯ぎしりして後悔させ、反省の機会を与えるためです。もしも真面目に生きている人が不幸に陥った時は、それは神が与えた試練であり、それに毅然として立ち向かうことによって豊かな報いが得られます。イエスも言っております――悲しむ者は幸いである。いずれ神の慰めを得る時が来るであろうから、と」

――神は人間各自の適性に応じて天職というものを示してくださっているのですが、人生の不幸はそれに忠実に携わっていないことから生じているのでしょうか。

「そうです。よくあるのは、両親が自尊心や欲から、我が子を天性に合った道から親の都合の良い方向へ強引に向かわせるケースです。そういう身勝手な行為は後で責任を取らされます」

――世間的な悩み事は往々にして自らこしらえたものだということですが、精神的な悩みも自分でこしらえているのでしょうか。

「その方がむしろ多いくらいです。と言うのは、世間的な問題はこちらから仕掛けたものばかりではありませんが、魂の苦悶は、傷つけられた自尊心や野心の挫折、貪欲、嫉妬心、怨恨といった、ありとあらゆる悪感情が内部から巻き起こすものだからです。

怨恨と嫉妬! この魂の寄生虫を宿らせない人間は本当に幸せな人です。怨恨と嫉妬が寄生する魂には安らぎも落ち着きもありません。この二つの悪感情の奴隷となった人の目の前には常に欲望と憎しみと怒りの対象が幻のごとく立ちふさがり、休みなく、睡眠中でさえも追いかけ回します。怨恨と嫉妬に狂った人間は熱にうなされているのと同じです。その悪感情の渦に巻き込まれた人間は自ら恐ろしい苦悶を生み出し、そういう人にとっては地上がそのまま地獄となることが分からないのでしょうか」

〈死別・忘恩〉

――死別によって地上に残された者の悲しみがいつまでも消えない場合、その悲しみの念は霊界の霊にどういう影響を及ぼすでしょうか。

「霊は基本的には地上に残した愛する人々が自分を思い出してくれたり惜しんでくれたりすると心を打たれるものです。しかしそれが度を越したものになると、却って苦痛となります。そのわけは、そんなにいつまでも悲しむということは死後の生命の存続と神の実在についての信仰が欠けていることの証拠であり、それは悲しんでくれているその人にとっての向上の妨げになり、結果的には霊界での再会の妨げにもなるからです」

――それとは逆に、あっさりと忘れ去られたり、友情のはかなさを思い知らされたりするのは、人間の心の冷たさを感じさせる態度ではないでしょうか。

「おっしゃる通りです。しかし我々としては、そういう恩知らずや不誠実な人間の方こそ憐れんでやるように説きたいのです。そういう冷たい態度は最終的には本人に害が降りかかってくるからです。忘恩は利己主義から生まれます。そういう人間はいずれ自分も同じような仕打ちに会います。

それよりも、あなた方より遥かに良いことをし、遥かに価値あることをしながら冷たい仕打ちに会った人たちのことを思い起こすことです。例えばイエスをごらんなさい。あれほどの恩恵を地上にもたらしながら、イエスは身分の卑しいペテン師呼ばわりをされたのです。あなた方が同じ扱いをされても少しも驚くには当たりません。

この地上にあっては、良いことをしてあげたというその思いだけで満足し、その相手がどういう態度に出ようと意に介さないことです。忘恩の態度はむしろ自分の善性への志向の強さを試してくれているのです。それがこれから先に良い影響をもたらします。恩知らずは神がきちんと罰します。その度合いが大きいだけ罰も厳しいものとなります」

〈政略結婚〉

――愛情をまったく感じない二人が結婚させられるというのもまた不幸ではないでしょうか。一生涯に係わるものだけに、なおさら辛いと思いますが……

「確かに辛いでしょう。が、その原因も大体において人間側にあります。まず第一に法律制度が間違っております。愛し合ってもいない二人が一緒の生活を送ることがまるで神の意図ででもあるかのように宣誓して、それで結婚が成立するとは何事ですか。次に、政略的に結婚を成立させようとする策謀家たちも罪です。二人の幸せよりも自分たちの面子めんつを保ち野心を果たすことを第一に考えます。そうした間違った階級意識による不当行為は自然の摂理の裁きが待っております」

――でも、そうしたケースには大抵、罪のない犠牲者がいます。

「います。そういう人々にとっては大きな罪滅ぼしとなります。そして、策謀をめぐらした者たちは大きな責任を取らされます。そうした犠牲者に霊的真理の光が届けられれば、辛い人生における何よりの慰めとなることでしょう。しかし、そうした不幸の原因が取り除かれるには、誤った階級制度が消え失せることが先決です」

訳注――カルデックの時代はヨーロッパだけでなく日本でも、上流階級や支配者層では、女性は政略結婚の道具でしかなかった。その観点からすると、地上界もその後確かに進化していると言えそうである。

〈厭世観と自殺〉

――これといった理由もないのに厭世観を抱いている人がいますが、何が原因でしょうか。

「怠惰、信念の欠如、そして時に見られるのが贅を尽くした生活です。生得の才能を正しく活用して意義ある目的のために使用している人は、努力というものが少しも苦になりません。快適な気分の中で、あっという間に時が過ぎて行きます。そして人生の浮き沈みにも忍耐力と甘受の精神で切り抜けることができます。そういう人は、さらに実感のある永続的な至福の境涯が待ち受けていることを霊的に直観しています」

――人間には自分の生命を自分で断つ権利がありますか。

「ありません。それは神のみが所有する権利です。自らの意志で自殺する人間は、再生に際して神が定めた秩序を乱すことになります」

――自殺はすべて自らの意志で行っているのでしょうか。

「精神異常者は自分が何をしているのかを知りません」

――こういう絶望的な行為に追いやる霊は、その結果として生じることに責任を負わねばならないのでしょうか。

「大きな罰をこうむることになります。結果的には殺人罪と同じですから、同等の責任を負わねばなりません」

――家族に不名誉が及ぶことを避けるための自殺であれば許されますか。

「自殺は急場しのぎの方策であって、間違いは間違いです。が、本人としてはそれが最良の方策と考えての行為であれば、神はその意図を汲んでくださるでしょう。その場合の自殺は自ら科した罪滅ぼしであり、その動機によって罪の深さは和らげられます。が、過ちは過ちです」

――他人の生命を救うために、あるいはその人たちの為になると信じて、自らの命を断つ行為はいかがでしょうか。

「そういう動機に発するものであれば崇高なる行為と言えます。が、その種の自発的犠牲的行為は自殺ではありません。神の目から見て許せないのは無益な犠牲、そして軽はずみな見栄から出た行為です。犠牲的行為は、そこに一切の打算が無い時にのみ立派と言えます。どこかに利己心で染まったところがあれば、たとえ犠牲的であっても、その分だけ割り引きされます」

――このままではいずれ悲惨な死を迎えると覚悟した者が自らの手で死を早める行為は間違いでしょうか。

「神が定めた死期を待たずにそれを早める行為は、全て間違いです。それに、自分の生命の終末がいつ来るということが分かるのでしょうか。絶体絶命の最後の一瞬に予想もしなかった救いの手が差し延べられないとは、誰が断言できますか」

――それは分かるのですが、私がお聞きしているのは、死は絶対に免れないと覚悟した人が、僅かな時間だけ早く、自らの手で生命を断つケースです。

「そういうケースには運命を甘受する度胸と、神の意思への絶対服従の精神が欠如しています」

――そういうケースでの自殺はどういう結果になるのでしょうか。

「他の自殺と同じです。それが実行に移された時の状況を考慮に入れた上で、その誤った行為の深刻さの割合に応じた罪滅ぼしが科せられます」

――一般論として、自殺は霊にどのような影響を及ぼすのでしょうか。

「自殺がもたらす影響は一つ一つ異なります。そのわけは、それが原因となって生み出す結果は自殺という行為に導いた環境条件によって違ってくるからです。ただ一つだけ避け難い共通した反応として、期待はずれから生じる落胆が挙げられます。それ以外の懲罰は一人一人異なります。罪の浅い人は簡単な罪滅ぼしで済みますし、新たに再生して、前世つまり自殺によって切り上げた人生よりさらに過酷な人生に耐えねばならない人もいます」

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