1章 神とは

〈神と無限〉

――神とは何でしょうか。

「神とは至高の知性――全存在の第一原理です」

――無限というものをどう理解すればよいでしょうか。

「始まりも終わりもないもの、計り知れないもの、知り尽くし得ないもの、それが無限です」

――神は無限なる存在であるという言い方は正しいでしょうか。

「完全な定義とは言えません。人間の言語の貧困さゆえに、人間的知性を超越したものは定義できません」

〈神の実在の証拠〉

――神が存在することの証拠として、どういうものが挙げられるでしょうか。

「地上の科学的研究の全分野における大原則、すなわち“原因のない結果は存在しない”、これです。何でもよろしい、人間の手になるもの以外のものについて、その原因を探ってみられることです。理性がその問いに答えてくれるでしょう」

――神の実在を人類共通の資質である直観力で信じるという事実は何を物語っているのでしょうか。

「まさに神が実在するということ、そのことです。なんとなれば、もしも実在の基盤がないとしたら、人間の精神はその直観力をどこから得るのでしょうか。その直観力の存在という事実から引き出される結論が“原因のない結果は存在しない”という大原則です」

――神の実在を直観する能力は教育と学識から生まれるのでしょうか。

「もしそうだとしたら原始人がそなえている直観力はどうなりますか」

――物体の形成の第一原因は物質の本質的特性にあるのでしょうか。

「仮にそうだとしたら、その特性を生み出した原因はどうなりますか。いかなる物にもそれに先立つ第一原因がなくてはなりません」

――造化の始源を気まぐれな物質の結合、つまりは偶然の産物であるとする説はいかがでしょうか。

「これまた愚かな説です。良識をそなえた者で偶然を知的動因とする者が果たしているでしょうか。その上、そもそも偶然とは何なのでしょう? そういうものは存在しません」

――万物の第一原因が至高の知性、つまり他のいかなる知性をも超越した無限の知性であるとする根拠は何でしょうか。

「地上には“職人の腕はその業を見れば分かる”という諺があります。辺りをごらんになり、その業から至高の知性を推察なさることです」

〈神の属性〉

――神の根源的本質は人間に理解できるでしょうか。

「できません。それを理解するための感性が人間にはそなわっていません」

――その神の神秘はいずれは人間にも理解できるようになるのでしょうか。

「物質によって精神が曇らされることがなくなり、霊性の発達によって神に近づくにつれて、少しずつ理解できるようになります」

――たとえ根源的本質は理解できなくても、神の完全性のいくばくかを垣間かいま見ることはできるでしょうか。

「できます。いくばくかは。人間は物質による束縛を克服するにつれて、神性を理解するようになります。知性を行使することによってそれを垣間見るようになります」

――神とは永遠にして無限、不変、唯一絶対、全知全能、至上の善と公正である、と述べても、属性の全てを表現したことにはならないでしょうか。

「人間の観点からすればそれで結構です。そうした用語の中に人間として考え得るかぎりのものが総括されているからです。

ですが、忘れてならないのは、神の属性は地上のいかなる知性をも超越したものであり、人間的概念と感覚を表現するだけの地上の言語をもってしては、絶対に表現できないということです。

神が今述べられたような属性を至高の形で所有しているに相違ないことは、人間の理性でも理解できるはずです。そのうちの一つでも欠けたら、あるいは無限の形で所有していないとしたら、神は全てのものを超越することはできず、従って神ではないことになります。全存在を超越するためには神は森羅万象のあらゆる変化変動に超然とし、想像力が及ぶかぎりの不完全さの一つたりとも所有していてはなりません」

〈汎神論〉

――神は物的宇宙とは別個の存在でしょうか、それとも、ある一派が主張するように、宇宙の全エネルギーと知性の総合体でしょうか。

「もしも後者だとすると、神が神でなくなります。なぜなら、それは結果であって原因ではないことになるからです。神は究極の原因であって、原因と結果の双方ではあり得ません。

神は実在します。そのことに疑いの余地はありません。そこが究極の最重要ポイントです。そこから先へ理屈を進めてはいけません。出口のない迷路へと入り込んでしまいます。そういう論理の遊戯は何の益にもなりません。さも偉くなったような自己満足を増幅するのみで、その実、何も知らないままです。

組織的教義というものをかなぐり捨てることです。考えるべきことなら身の回りにいくらでもあるはずです。まず自分自身のことから始めることです。自分の不完全なところを反省し、それを是正することです。その方が、知り得ようはずもないことを知ろうとするよりも、遥かに賢明です」

――自然界の全ての物体、全ての存在、天体の全てが神の一部であり、その総合体が神であるとする、いわゆる汎神論はどう理解すべきでしょうか。

「人間は、所詮は神になり得ないので、せめてその一部ででもありたいと思うのでしょう」

――その説を唱える者は、そこに神の属性のいくつかの実証を見出すことができると公言します。例えば天体の数は無限であるから神は無限であることが分かる。真空ないしは虚無というものが存在しないということは、神が遍在していることの表れである。神が遍在するがゆえに万物は神の不可欠の一部である。かくして神は宇宙の全ての現象の知的原因である、と。これには何をもって反論すべきでしょうか。

「理性です。前提をよく検討してみられるがよろしい。その不合理性を見出すのに手間は掛かりません」

訳注――カルデックが“かくかくしかじかの説を唱える者がいるが……”と述べる時、それはキリスト教系の説と思ってまず間違いない。同じ時代に米国の次期大統領の有力候補だったニューヨーク州最高裁判事のジョン・エドマンズがカルデックと同じような実験会に参加してその真実性を確信し、その信ずるところを新聞に掲載したことで轟きたる非難を浴び、ついに判事職を辞任するに至った原因も、その信念がキリスト教の教義と相容れないという、ただそれだけのことだった。カルデックも似たような非難を浴びていたであろうことは容易に想像できる。だからこそ〝序〟にあるような激励の文を霊団が寄せたのである。

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