(1)霊と心と身体の調和
――健康の大原則
健康とは?
――“健康の定義”
スピリチュアリズムの健康論の卓越性の一つが、健康の定義にあります。地上の人間は、「霊」と「心(精神)」と「身体(霊体と肉体)」から成り立っていますが、こうした人間の構成要素の間には密接な相互関係があり、お互いに深く影響を及ぼし合っています。
健康とは、これらの構成要素が全体的に秩序とバランスを保っている状態のことを言います。すなわち「霊」と「心(精神)」と「身体」の
肉体は、霊の道具にすぎない
「霊体」は、私たち人間の本体である「霊」の表現器官の一つです。「肉体」は、その霊体の表現器官であり、霊体の物質的道具と言えます。人間が地上にいる間は、肉体という物質的道具がなくては、存在することも活動することもできません。その意味で肉体は、とても大切なものなのです。
地上人はこの霊の道具である肉体を大事に扱い、十分に手入れしなければなりません。
「霊」を無視して肉体の健康はない
霊的なものに対する認識が全くない大半の地上人は、健康とは肉体に異常がないことであると思っています。神の分霊である「霊」は人間の本体であり、人間にとって最も重要な要素です。この「霊」の存在を無視して、肉体の健康だけにとらわれることは本末転倒です。霊をないがしろにし、霊の道具にすぎない肉体だけを健康にしようとしても無理なのです。
地上人生の目的は霊的成長であって、肉体はそのための地上限りの道具にすぎません。ただ単に“少しでも長生きしたい”という動機から、お金をかけて健康づくりに励んでも決して良い結果は得られません。物質的・経済的に豊かな時代には医療に莫大なお金がつぎ込まれ、健康産業が花盛りになって“健康法マニア”が現れますが、人間の本質(霊)を無視したところでの努力が良い実を結ぶことはありません。
重要な心の調和
――“ストレス”が病気の最大の原因
全身の調和をはかるためには、まず「霊」の存在に対する認識が必要です。次に大切なことは「霊的意識(霊の心)」と「本能的意識(肉の心)」のバランスをとることです。「心を霊主肉従にする」ということです。霊的意識が心の中で優位になっていれば、霊体は肉体へ良い影響を及ぼすことができるようになり、肉体は健康になります。このように「心(精神)」と「肉体」は密接な関係を持っています。
近年になって“心身相関医学”という新しい医学の分野が確立されましたが、その見解は心の持ち方や精神状態が身体の健康と密接な関係にあるというもので、霊的真理と一致しています。
心(精神)の霊主肉従なくして全身の調和が保たれることはありませんし、肉体の健康も得られません。心の霊主肉従とは、エゴ的思い・不安・心配・
もし、心(精神)が健全で安定しているなら、物質的悪条件(間違った食べ物や汚れた空気・水など)から肉体に異常が生じても、その悪影響は最小限にとどめられるようになります。
カルマによる病気の存在
地上世界は、前世でつくった「カルマ(悪因縁)の償い」のために、さまざまな苦しみを体験する場所です。前世のカルマは、しばしば“病気の苦しみ”という形で現れますが、そうしたケースでは、一定の苦しみを経てカルマが清算されないかぎり病気が完治することはありません。カルマが残っているうちは、どのような手段を講じても病気は治りません。これはスピリチュアリズムが明らかにした深遠な霊的事実です。
カルマが原因となっている病気は、将来どれほど医学が発達しても根治させることはできません。またどれほど優れた心霊治療家にかかっても治癒させることはできません。こうした霊的事実が分からないと、有名な心霊治療家を次々と渡り歩き、奇跡を求めて
「カルマによって病気が発生する」という事実は、いかなる養生法や健康維持の努力をしても病気になることがある、ということを意味しています。病気による苦しみの体験が、その人の霊的成長にとって必要であるから病気になる、ということなのです。それは肉体の健康よりも、霊的成長の方がはるかに重要であるということを示しています。
カルマによる病気の場合は“何が何でも治そう”と焦ることは、かえってマイナスとなります。病気の苦しみを霊的成長にとって必要なものと受け止め、そこから教訓を学び取ろうとすることが大切です。病気は、カルマを帳消しにして霊的成長の道をリセットしてくれる、ありがたいチャンスなのです。