(4)同性愛について

男性が女性として、また逆に女性が男性として「再生人生」を送るようなことが実際に存在します。この事実は、人間にとって「霊的成長」が、性別よりもはるかに根本的で重要なものであることを示しています。

社会問題の一つとして、しばしば“同性愛”が話題になります。キリスト教などの禁欲主義を重要視する宗教では、当然のこととして同性愛は認めていません。この問題についてスピリチュアリズムでは、どのように考えているのでしょうか。

“男女差”に関する相対性と絶対性

物質世界の万物は、陽性的存在と陰性的存在に二分されます。人間も男性か女性かのいずれかに属します。一見すると男性と女性との間には、絶対的で不動の境界が設けられているように思われます。

しかし陽的存在(男性)だからといって、百パーセント陽的要素でつくられているわけではありません。同様に陰的存在(女性)も、百パーセント陰的要素でつくられているということではないのです。男性・女性それぞれの中には、陽陰両方の要素が内在しています。そして相対的に陽的要素の多い人間が陽性(男性)となり、相対的に陰的要素の多い人間が陰性(女性)となるのです。その意味で、完全に男性的要素だけの男や女性的要素だけの女はいない、ということになります。

実際に男性と女性との間には、それほど大きな違いはありません。遺伝子の観点から見ても、ホルモンの観点から見ても、男女の間にはほんのわずかな違いがあるだけなのです。

しかしその一方で、地上の全存在は必ず陽的存在(男性)か陰的存在(女性)のいずれかに属するという、不動の一線も引かれています。男性は初めから男として生まれ、女性とは異なる身体構造を持っています。この先天的な性は一生変わりません。男性として地上人生を送るように定められ、外形も男として固定化されています。

このように地上においては、男性は男性として生き、女性は女性として生きることが神によって決められているのです。その意味で“性転換手術”によって男性が女性になろうとするようなことは本質的に間違っているのです。

気がついたときには、すでに“同性愛者”

最近では同性愛者についての研究が進み、身体レベルでの原因も少しずつ解明されるようになってきました。もともと男性と女性では大脳の構造が幾分異なっていますが、同性愛者(ホモ)の場合は、その大脳の構造が女性的であることが確かめられています。また妊娠中に母親がショックを受けたためにホルモンバランスが崩れ、これが原因となって中性的になることも明らかにされています。

こうした研究成果を総合すると、本人は気がついたときには、すでに“同性愛者”であったということになります。言い換えれば、「何も好きで同性愛者になったのではない」ということなのです。

一方、再生についての霊的事実の観点から言えば、前世において女性であった者が男性として再生すると、その男性は女性的な要素を多く持つようになります。今、地上において男性的な女性は、前世が男性であった可能性もあります。同性愛者には、こうした前世の性が関係していることも考えられるのです。同性愛の傾向は、自分の意志とは無関係なところで発生しているという点から、明らかに「前世のカルマ」が関係していることが分かります。

同性愛者としての苦しみ

理由はどうであれ、この地上に男性あるいは女性として生まれてきた以上、それが本人の霊的成長にとってふさわしいものであり、神によって定められたことと考えなければなりません。無意識のうちに同性に惹かれるという傾向は、当事者に大きな不安や苦しみをもたらすことになります。同性に対する性的関心は明らかに不自然なことであり、大半の同性愛者はそれを苦しみやハンディとして感じています。

しかし、そうした苦しみを持つこと自体は決して間違ってはいません。「カルマの法則」に照らしてみれば、それでよいのです。ごく自然に異性を求める大多数の人たちに比べると、正常性を保つのにより多くの苦しみを必要としますが、その点にこそ“同性愛者”というハンディを持って生まれたことの意義があるのです。

より厳しい霊主肉従の努力を……

カルマを切って霊的成長をなすためには、さまざまな苦しみの体験が必要ですが、同性愛の問題もこうした観点から考えなければなりません。すべては霊的真理に照らして判断しなければなりません。同性愛者同士の性的営みは、本能に支配された「肉主霊従」の行為であり、正当なものとは認められないのです。

同性愛者には、普通の人以上に厳しい誘惑との闘いが要求されます。それは「多くの誘惑と闘い、その苦しみを乗り越えてカルマを切りなさい。そしてより多くの霊的成長を達成しなさい」という神の与えてくれた愛の試練なのです。どのような苦しみであれ、霊的に正しく対処すれば、必ずそれに見合った喜びと幸福がもたらされるようになります。同性愛者も皆、こうした「神の摂理」の支配の中で生きているのです。

自分に降りかかる誘惑と苦しみの意味を知り、それに耐えて清らかさを保つ努力を継続するなら、同性愛者として生まれてきたことが霊的価値を持つようになるのです。

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