(1)地上世界での男女愛(異性愛)
地上世界での“異性愛”の本質
これまでロマンス(男女愛)を題材にした多くの文学や芸術作品が生まれ、地上の人々の夢と情熱をかき立ててきました。しかし、こうした地上の恋愛や男女愛を無条件に良いものとしている高級霊はいません。高級霊は――「地上には真の男女愛・異性愛はない」と述べています。
では、どうして霊界の人々は、地上世界の恋愛や男女愛を良しとしないのでしょうか。それは地上の男女愛の多くが“利己性”のうえに成り立っているからです。恋する二人は心から相手を愛していると言いますが、実際には“相手を自分のものにしたい”というのが本音です。それは自分の好みだけを愛している、自分にとっての理想を愛しているということなのです。醜いもの・好みでないものをもありのままに受け入れてこそ真実の愛と言えますが、大半の地上の男女愛はそうしたものではありません。
地上の“男女愛”にともなう苦しみの意味
地上の男女愛の多くが“利己性”を発現させることになっていますが、神の摂理に反したその行為には、必ずツケが回ってくるようになります。死後、霊界に行ってから、それが魂の成長にとってマイナスであったことに気づいて後悔し苦しむようになることもありますが、ほとんどの場合は地上において、嫉妬や虚しさ・絶望・孤独感といった形で苦しみを味わうようになるのです。
恋愛感情が激しければ激しいほど、それに比例した大きな苦しみがもたらされることになります。そしてその苦しみを通じて“恋愛”というものの虚偽性と、真に人を愛することの意味を知るようになるのです。“真実の愛”とは――「利他的であること、先に与え尽くすこと、自分の好き嫌いの感情を乗り越えること、相手のための犠牲を厭わないこと」であるとの悟りに至れば、恋愛の苦しみは霊的自覚をもたらすという大事な役割を果たしたことになります。
恋愛が“反面教師”となって真実の愛についての理解が促され、そこから本当の愛で人を愛する歩み、真の利他愛の実践が始まるようになるのです。自分にとってイヤな人・好みでない相手に対しても愛を与えられるようになったとき、初めて霊的成長をなすことができるようになるのです。
地上世界でのセックスの意味
地上のセックスには、二つの意味があります。一つは、言うまでもなく子孫を残すということです。人間をはじめとする地上の生命体は、生殖行為を通して自分の分身を地上に生み出すことになります。ただし人間が生殖行為によってもたらすことができるのは“肉体”という地上の道具だけであって、人間の本体である霊ではありません。
二つ目は、宇宙の陽陰を代表する男女が、お互いに与え合い一体化することによって物質次元での神の再現をなし、神の創造の業の一端を担う資格を得るということです。このように“セックス”には、地上において神を象徴的に再現し、神の業を分担するという宇宙的で壮大な意味があるのです。
地上の人間は生殖行為を通して、物質レベルで「相手に完全に与え尽くす」という利他性を学ぶことになります。これは女性が子供を生み母親となることによって、子供のために自分の持っているものを無条件に与え尽くすようになることと共通しています。母親の心の根底には“自分の子供だけ”という利己性が存在していますが、「自己を犠牲にして無償の奉仕をする」という行為そのものは利他性という神の摂理に一致しています。
肉体本能的な男女愛を、霊的な男女愛に
地上の男女愛は、肉体本能に基づく利己性を基盤としています。しかし肉体本能一色の男女愛では、動物のオス・メスの関係と何も変わりません。神は、人間を動物とは違った霊的存在として造られました。そのため人間だけに“自由意志”が与えられています。神は、人間が自由意志を用いて「本能的男女愛」を「霊的男女愛」に高めることを願われているのです。神の意図は、人間が自由意志を活用して動物とは異なる霊的なものを優先した男女愛を築き、霊的成長をなすことにあります。
霊的な男女愛とは、お互いが相手の「霊的成長」を最優先するところに存在するものです。相手の霊的成長を第一に願い重要視するとき、その男女愛は霊優位――すなわち「霊主肉従」に基づく利他愛となります。もともと利己性をベースとして出発した男女愛が「利他的男女愛・霊的男女愛」にレベルアップしたとき、そこに摂理に一致した男女愛・異性愛が存在するようになるのです。
しかし現在の地球上には、お互いの霊的成長を一番の目標としている夫婦や男女はめったにいません。
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