(3)霊的人生と結婚

霊的成長を目的とした結婚

先にも述べましたが、地上のカップルの大半は霊界ではバラバラになってしまいます。霊界においても引き続きその関係が保たれるような夫婦は、めったにいません。こうした霊界での事実を考えるなら、地上世界の結婚には、それほど大きな意味はないことが明らかになります。一人ひとりが神の子供として自分の魂を成長させることの方がより重要であり、優先されるべきことなのです。“結婚”は、霊的成長という人生の最大の目的にそったとき、初めて意義を持つようになるのです。

地上人生においては霊的成長が最も重要なことであり、一つひとつの行動や営みの価値は「霊的成長」を基準として決定されます。結婚についても、こうした観点から考えていかなければなりません。つまり結婚するかしないかが大切なのではなく、その結婚によって霊的成長がなされるかどうかが問題となるのです。

動機によって独身・離婚の是非ぜひが決定する

地上人の中には、一生を独身で通す人がいます。この独身人生は、動機によって善いことにもなり悪いことにもなります。「自分の魂の成長と、より清らかな霊的世界を求めるために独身を貫きたい。より多くの人助けのために独身を通したい!」というのであれば、一人で歩むその地上人生は有意義なもの・霊的価値のあるものとなります。概してこうした純粋な動機から一生を独身で過ごす人間宗教者や修道者の道を自己選択するケースが多い)は、地上に再生する前にそのように決心して来ていることが多いのです。そうした人は、地上の結婚というプロセスを踏んで達成すべき霊的成長をすでに修了していて、人々への奉仕に専念するために独身の人生を歩んでいる可能性があります。

一方、そうした人間とは対照的に、「一人でいる方が気楽で面倒がない。気ままに好きなことができる。結婚はうっとうしい」といった身勝手な動機から独身を通す人間もいます。こうした人は、地上人生における一番大切なもの(霊的成長のための貴重な体験)を、自ら手離している哀れな人間と言えます。どのような理屈をつけても、それは“人生を本能的に生きたい”というだけのことであり、死後霊界に行ってから大きな後悔にさいなまれるようになります。

また“自分の好みの相手がいない”という理由で、なかなか結婚しない人もいますが、それは単なる思い上がりか、人生に対する臆病さからの考えであることが多いのです。大半の地上の人間は“結婚生活”という窮屈で苦しみの多い日々の中で霊的成長をするようになっています。結婚すれば、自分勝手な歩みをすることはできなくなります。否応なく他人の面倒をみたり、世話をしなければならなくなります。そして、そうした窮屈な生活によって“利己性”が打ち砕かれるようになるのです。また子供を生むことによって無条件に、自分のことを後回しにする生活へと追いやられることになりますが、それがどれほど霊的成長にとってプラスとなるかは計り知れません。

このように考えると、「他人への奉仕・人類全体への奉仕」という明確な動機から独身を選ぶ人間以外は、結婚した方がよいと言えるかもしれません。もちろんカルマによって“結婚したくてもできない”という場合には、その苦しみがカルマ清算のプロセスになっています。

形だけの結婚生活を続けることが、霊的成長のためにマイナスとなることもあります。世間の目を気にして外見だけを取り繕うような結婚生活は、単なる自己保身・見栄みえであることが多いのです。動機によって独身で通すことの是非が決められるように、“離婚”も動機によって善し悪しが決められます。単に結婚生活を続けることが重要なのではなく、「何のために夫婦関係を維持するのか?」という動機が問題となるのです。

地上的な視野からは不幸に見える結婚生活によって霊的成長が促される人がいる一方で、この世的には申し分のない幸福な結婚生活が災いとなって霊的成長を得られない人もいるのです。

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