訳者あとがき

シルバーバーチの霊言が始まったのは一九二〇年、霊媒のバーバネルが十八歳の時でしたが、正式に記録に残すことを始めたのは、多分一九三〇年代、つまりハンネン・スワッファーが司会者さにわとなって定期的に開催するようになってからであろうと推察されます。

まだテープ録音というものがなかった当初は速記によって記録され、その後テープに録音されて保存されるようになりましたが、一般公開、つまり市販を目的として録音されたものは、“Silver Birch Speaks”と題するカセットが一つあるだけです。これに“S.B.1”という記号がついているところをみると、つづいて“S.B.2”“S.B.3……と出していく予定だったことが窺われますが、バーバネルが一九八一年七月に他界するまでにそれが実現しなかったのは、返すがえすも残念なことです。

このたびコスモ・テン・パブリケーションの厚意ある企画によって、その唯一のカセットテープの中から冒頭の祈り、いわゆるインボケーションの部分を電話でお聞かせできることになり、大変うれしく思っております。

本来この企画はそのシルバーバーチの生の声――といっても声帯はバーバネルのものなので、本当の意味での“ナマ”とは言えないかも知れませんが、その声も語り口も、ふだんのバーバネルとはまったく異なります――を聞きたいという、多くのファンのご要望にお応えするのが目的で考え出されたものですが、折しもあちらこちらで、シルバーバーチが出たとか、シルバーバーチと語りませんか、といった、言わば霊言のモノマネをして金儲けを企む者が現れはじめた事態に対処する必要が生じてきたことも事実です。つまり、ホンモノを紹介しておこうというわけです。現在はコスモ・テン・パブリケーションの企画は行われておりません。代わってハート出版より、CD版が発売されております)

本書の編者のオーツセンがサイキックニューズ紙上でこんなことを言っております。

(要旨)

「いかなる霊媒でも、高級霊をこちらから呼び出すことはできない。愛を絆として、向こうから出てくるのである。どんな霊でも呼び出してみせると豪語する霊媒は、霊能養成会に戻って一からやり直すしかない」

これを裏返せば、低級霊なら呼び出せることになりますが、事実その通りで、神話・伝説上の神さまや天使、歴史上の人物の名をなのって出てくる霊はみな低級霊で、パフォーマンスよろしく、それらしく語ってみせます。中には本当に自分は神さまのつもりで、大まじめで語っているおめでたい霊もいるようですが……

同じく低級霊でも、その種のイタズラ霊とは別に、因縁霊・地縛霊の類も呼び出すことができますが、この場合は霊媒の背後霊団が連れてきて、霊媒の言語中枢が使えるように手取り足取りの指導をしているのであって、その大半が、自分が他人(霊媒)の身体に宿っていることを知らないまましゃべっております。

いずれにしても、低級霊の場合は高次元の話はしませんから、ただ言語中枢を使って低次元のことばかりペラペラしゃべることになります。名前だけは仰々しいのに、言っていることは軽薄短小で、何の感興も湧いてこないという印象をうけるのは、その辺に理由があります。

その点、高級霊になると波長の関係で直接的に霊媒を操作できませんから、シルバーバーチの場合のインディアンのように、霊界の霊媒を使用せざるを得なくなります。その連係プレーがスムーズに行くようになるまでには大変な予備練習が必要ですから、そう易々と出てこられるはずがないのです。そんなわけですから、たとえ三顧の礼をつくしてお願いしても、シルバーバーチはもう二度と出てこないことを、私がここに断言しておきます。

これを別の角度から見れば、高級霊ないしは、そこそこの霊的覚醒を得た霊になると、宇宙というものが厳然たる摂理と計画性のもとに運行していることを知っていますから、お呼びが掛かったからといって、すぐに安請け合いでノコノコと出てきて、わずか三十分や一時間そこらのインタビューに応じるはずはないのです。

これは人間界でも同じではないでしょうか。要職にある人物が、電話一本で、どこの誰だか知らない人のところへ出向くものでしょうか。ましてや“神”や“天使”のタイトルのついた霊がそう簡単に出てくるはずはないのです。うっかり出ようものなら、霊界のお笑いぐさにされてしまいます。もっとも、出ようにも出られないのですから、そんな気の毒なことになる心配はご無用ですが……

結局のところ“霊言”と称しているものには、高級霊による計画的なもののほかに、イタズラ霊によるモノマネ的なもの、低級なのに本人は高級と思っている霊によるもの、腹話術等による詐術的なもの、そして、ただ書いただけの創作もの、こうしたものがあることになります。これは日本に限ったことではありません。モーリス・バーバネル著『これが心霊の世界だ』(潮文社)の中にこんな一節があります。

「詐術にもよく出会った。これには意図的にやっているものもあれば、無意識のうちにやってしまうものもある。いずれにせよ、この世界での詐術を私ほど多く暴いた人間もいないのではないかと思う。私にそれができたのは、取りも直さず、ホンモノを見てきているからである。結局ニセモノはホンモノのコピーなのである。もしもホンモノが存在しなければ、ニセモノも存在しないはずである」

ではホンモノを見聞きする機会のない一般人はどうするか――この問い、ないしは悩みに対して私がいつもお答えしているのは、心霊科学をしっかり勉強してほしいということです。目に見えない知的存在の実在を証拠づけてくれた、十九世紀から二十世紀にかけての英米の科学者による業績に目を通して、霊の実在と死後の存続についての確信と、霊的原理についての理解を身につけていただきたいのです。

それなしに一足飛びに霊言や自動書記といったいわゆる霊界通信を手当り次第に読みあさるのは、言わば、のべつ駄菓子をつまみ食いするようなもので、それでは肝心の食事どきに食欲が出ないように、真偽もわからないまま片っ端から霊界通信の類を読んでいると、ホンモノに出会った時にその良さがわからないということになります。

高級霊による啓示はそうやたらに届けられるものではありませんし、また、そうたくさん必要でもありません。私にとってはこのシルバーバーチの霊言と、このたび改訳新版(上)が発行されたばかりのモーゼスの『霊訓』、それにオーエンの『ベールの彼方の生活』――私の手もとにホンモノと思える霊界通信がいくつもある中で、――この三つだけは何年たっても、何回読んでも、いつ読んでも、生きていることの喜びと、生きる勇気と、宇宙へのロマンをかきたててくれる宝として大切にし、また、こうして日本の同胞のために翻訳してご紹介しているわけです。

このたび、十分とは言えないまでも、そのシルバーバーチのナマの霊言をお聞かせすることができることになって、大変うれしく思います。(中略)これが愛読者の皆さんのシルバーバーチへの親密感を深めるよすがとなれば、と心から願っております。

平成元年十一月

近藤干雄

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