7章 正しい祈りとは

〔祈りは、スピリチュアリズムに限らず、あらゆる宗教においてよく論じられるテーマである。「祈れば神が聞き届けてくださるか」ということであるが、祈りは摂理の支配を受けており、摂理に適えば効果を生み、摂理に適わなければ何も生じないということを知っている人は少ないようである。シルバーバーチは祈りについての質問に対して、次のような見解を示している。〕

質疑応答

――祈るということは大切でしょうか。

その祈りがどういうものであるかによって答えが異なります。目的のないきまり文句のただの繰り返しでは、空気に振動を起こすだけです。が、魂の奥底からの誠心誠意の祈り、大霊との一体化を深め、大霊の道具として有用な存在になりたいとの願望から出た祈りは、祈る者の霊性を強化し、大霊の道具としてより相応しい存在にします。そうした祈りは自我を顕現しようとする行為であり、心を開く行為であり、私たち霊界の者との結束を固めることになります。

――それは、祈りが生み出す結果は主観的なものだけで客観的なものは生み出さないということでしょうか。人間性を高めることはあっても、具体的なものは生み出さないのでしょうか。

真実の祈りは、あなた方にとって奉仕(サービス)の準備を整えるためのものです。あなた方を、より高度なエネルギーと調和させるための手段です。本当の祈りとは、誰かがつくった祈りの文句を意味も分からずに繰り返すことではなく、全身全霊を込めて到達できる最も高い次元にまで魂を引き上げようとする行為のことです。そのとき、祈りの結果としてもたらされるインスピレーションによって魂が満たされ、霊性が強化されるのです。

――他人のために祈ることにも何か効用があるのでしょうか。

あります。真摯しんしな祈りは決して無駄にはなりません。そうした祈りの意念には効力があります。

――治療家による遠隔治療の祈りには現実的な効果があるのでしょうか。

あります。これまでの質問には個人的な祈りを念頭にお答えしてきましたが、同じことがどの祈りにも当てはまります。祈りによって心霊的(サイキック)エネルギーが放出され、それが霊的治療家の背後霊団によって活用されることになります。

――祈りによって霊界の人々の援助を得ることは可能でしょうか。

もしあなたが、真心を込めて祈るなら、それによってより高度なエネルギーを受け入れやすくなります。祈るという行為そのものが魂を開かせるのです。もちろん全身全霊を傾けた祈りのことです。単なる願い事は祈りではありません。真実の祈りは重要な霊的修練なのです。「祈りは、あくまでも目的に至るための手段であって目的そのものではない」――これが最も正しい祈りの定義です。

私が勧める祈りの言葉は、たった一言しかありません。「何とぞ私を人のために役立てる方法を教え給え」――これです。大霊のため、そして大霊の子供たちのために一身を捧げたいとの祈りほど、崇高なもの、偉大な愛、これに優る宗教、これより深い哲学はありません。どのような奉仕でもかまいません。大霊の摂理の霊的な意味を教えてあげることでも、飢えに苦しむ人に食べ物を与えてあげることでも、あるいは暗い心を明るくしてあげることでもよいのです。人々のために役に立ちさえすれば、どのような方法であってもかまいません。

自分のことを忘れて他人への奉仕を優先すればするほど、それだけ霊性が発達します。それは、あなた方一人ひとりの内部に宿る大霊が発揮されるということです。至って単純なことなのです。ところが人間は教会を建立し、何やら奇妙な説教をします。彼らは私にも理解できない長たらしい言葉を用いて、これぞ宗教とばかりに仰々しい儀式を行います。

そんなことよりも、生きる意欲を失くしている人のところへ出かけていって元気づけ、疲れた人に眠る場所を与え、飢えに苦しむ人の空腹を満たし、渇いた人の喉を潤し、暗闇に閉ざされた人の心に明るい真理の光を灯してあげることです。そうしたことを実行しているとき、あなた方を通して大霊の摂理が働いていることになるのです。

――しばしば、祈りが聞き届けられないように思えることがあるのですが、なぜでしょうか。

すべての人間の内面では、常に“人間臭いもの”と“神性を帯びたもの”との間で葛藤があります。後者が勝てば大霊と一体となった喜びを味わいますが、前者が勝ったときには霊性が低下します。私たち霊界の者は、皆さん方が望む方向ではなく、最高の奉仕に役立つ方向に導こうとしております。

地上の人間はとかく、魂の成長にとって良くないもの、進歩を遅らせることになるものを要求しがちです。これは叶えてあげるわけにはいきません。また、手にする資格のないものを要求することもあります。これも叶えられません。さらに、こちら側ですでに授ける準備をしていて、そのタイミングをはかっているものを要求することもあります。大霊はすべての人間の祈りを、たとえ口には出さなくても先刻ご承知であることを知ってください。

身を横たえる家もなく、風雨にさらされ、夜空の下で寝なければならない者、また肉体を養うだけの食べ物にありつけない者がいるというのに、あなた方の取るに足りない心配事が大霊の目から見て大事だと思われますか。

この(サークルが開かれている)家には、絶えず一団の霊が訪れています。その一人ひとりが高い世界へ向上する権利を一時的に放棄して、地上の暗闇に光明をもたらすための環境づくり(光のサークルづくり)に携わっているのです。そうした使命に比べれば、地上の些細なトラブルなど物の数ではありません。

忘れないでいただきたいのは、皆さん方一人ひとりが大霊の素晴らしい計画に参加し、わずかではあってもその目的達成のために貢献しているということです。いつの日か計画のすべてが達成され、地上のあらゆる人種・民族が、それぞれの役割を担うことになります。その時、完全な地上世界が実現することになります。

交霊会で何の動きも生じていないと思われるようなときでも、実は静寂の中で霊的な反応が起きています。それが刺しゅうの中に織り込まれることになるのです。昼も夜も、巨大な織物は休むことなく織り続けられ、ついには地上全体を被うことになります。皆さんは、その仕事の一端を担っているのです。

――各地の教会で日々繰り返されている祈りには、何か効果があるのでしょうか。

祈る人によります。口先だけの祈りは、虚しい音声の羅列にすぎません。魂からの祈り、大霊に近づきたいと切望する本心からの祈りであれば、その熱誠が祈りに翼を与え、霊界の深奥しんおうへと運ばれていくことになります。

――酒浸りの親を更生させたいという幼い子供による祈りは効果を発揮するでしょうか。

真摯な祈りには必ず霊力がともなうものです。が、その霊力がどこまで物的次元に転換されるかとなると、いろいろな条件を考慮しなければなりません。今おっしゃった例で言えば、子供の父親の霊性レベルが問題となります。祈りが父親の魂に届くか、あるいはあまりにも霊性が低いために霊的なことに何の反応も示さないかのどちらかが考えられます。したがってご質問に対しては、イエスともノーとも言えません。

――でも、何らかの影響はあるのではないでしょうか。

すべての祈りは自らを高めようとするところから発するものです。人の役に立つことを願う祈り、知識や光明、叡智や導きを求める祈り、こうした祈りはすべて魂の進化の現れです。あなたの精神は肉体の一部ではなく、霊の一部、大霊の一部なのです。そしてそれは大霊に由来する力を秘めています。しかし、あなたがその力を使用できるようになるには魂の進化が先決です。それなくして内在する大霊を顕現させることはできません。

――祈りの言葉は霊に聞こえるのでしょうか。それともある種のバイブレーションに調和し反応するような力が必要なのでしょうか。

祈りは魂の表現です。そのことを分かりやすく説明しましょう。祈りは光明と導きを願い求める魂の叫びです。祈るという行為そのものが回答をもたらすのです。なぜなら、その行為が思念の力を生み出すからです。

その力が原因となって回答を生み出します。その回答が結果です。霊は、あなたの祈りの言葉を待っているわけではありません。祈りに込められたあなたの思念が、ただちにそれにふさわしい界層の霊に届くのです。あなたの魂の進化の程度に応じた界層です。

その霊たちは地上世界のために役に立ちたいと切望していますから、あなたの思念の力に、その霊たちの力が加わるのです。大霊の一部である思念のバイブレーションが、新たな活動を呼ぶことになります。それは、あなたの霊性のレベルに応じた宇宙のエネルギーを動かすことが可能になったということです。宇宙のエネルギーを、あなたも活用することができるようになったということを意味しています。

祈る人の進化の程度によっては、ある理想に向けて意念を集中しなければならないことがあるかもしれません。その方が有効だという人に、私は異論は唱えません。ただ私が申し上げたいのは、祈りをするうえで常に意識しなければならない対象とは、大霊、生命の摂理、宇宙の自然法則であるということです。

大霊は完全なる存在ですから、大霊の摂理も完全です。その完全なる大霊の一部があなたの内部に潜在していて、発現を求めているのです。祈りや奉仕によってそれを発現させるなら、大霊があなたを通して顕現することになります。祈りや奉仕といった魂の向上のために為すすべての実践は、あなたの霊性の進化を促すことになるのです。

――すべてのものが不変の法則によって支配されているのであれば、大霊に祈っても意味がないのではないでしょうか。というのは、祈りとは大霊に法則を変えてくれるように依頼することではないかと思うからです。

それは私が理解している祈りとは違います。祈りとは、大霊に近づこうとする魂の願望です。自己の内部の大霊を顕現しようとする行為であり、その行為が魂を開かせ、それまで届かなかった段階に至ることを可能にするのです。

そこには不公平もえこひいきもありません。祈りは内部の大霊をより多く顕現させ、より多くの恩寵おんちょうを引き寄せるための魂の活動です。大霊の恩寵は無限であり、あなたの魂は、その無限性を顕現させようと学んでいるのです。

――人間はなぜ、神に罪の許しを乞うのでしょうか。摂理を犯せば必然的に罰が与えられると思うのですが……

許されたからといって、それで償いが済むわけではありません。代償は必ず払わなければなりません。しかし祈りによって許しを乞うということは、大霊の摂理に調和しようとする行為であり、償いの始まりです。これまでの歩みを見直し、自己を省みるところから本当の償いと霊的進化が始まるのです。

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