6章 すべてを支配する神の摂理

〔宇宙は逃れようにも逃れられない自然法則によって支配されている。いかなる霊もその法則を変えたり、それを犯したときに生じる結果から逃れることはできない。しかし、そうした法則の存在を教えることによって無知から発生する危険を取り除いてあげることは可能である。シルバーバーチは数ある法則の中から、例えば引力の法則のような身近なものを取り上げて説き明かす。〕

私たちは大霊が定めた摂理(法則)をお教えしようとしているのです。それを守りさえすれば、地上生活に健康と幸せをもたらすことができるからです。教会で説教をしている人たちは、いつの日か、その間違いを取り消さなければなりません。いかなる人間も摂理の働きから逃れることはできません。とりわけ霊の声を聞いた者は、なおさらのことです。間違っていると知りつつ罪を犯す者は、真理を知らずに罪を犯す者よりも重い責任を取らされます。

魂が目覚め、霊力とともにもたらされる愛の恩恵に浴し、霊的真理の啓示を手にしながらも、なお自分中心の生き方をしている人は、その怠慢に対する罰がそれだけ大きくなります。無知ゆえに罪を犯したのではなく、真理を知りながら犯しているからです。人のために役立てるべき霊能を授かりながら、それを銀貨三十枚で売っている多くの霊媒・霊能者がいます。(イエスの弟子ユダが銀貨三十枚をもらってイエスの隠処を教え、それによってイエスの逮捕・処刑となり、ユダは自殺する。良心を裏切る行為のこと――訳注

大霊はあなた方の内部に存在しています。進化の跡をたどれば確かに人間は向上しており、動物的進化の痕跡もとどめてはいますが、それは大霊の賜物たまものの一部にすぎません。あなた方はそれをはるかに凌ぐ霊の資質を内部に宿しており、その力を発揮すれば地上にあっても神の如き生き方が可能となるのです。

一人ひとりの人間の内部には、いかなる病気も癒す力と、いかなる困難も克服する力が備わっているのですが、あなた方はまだそれを理解していません。人間は窮地に陥ったときに内部の貯蔵庫から霊力を引き出すことができます。このように神の王国は各自の内部にあるのですが、人々はそれをまったく理解していないのです。

その貯蔵庫から必要な霊力を引き出すためには、大霊(神)の摂理にのっとった生活に徹すればよいのです。しかし、果たして何人の人がそれを心がけているでしょうか。

人生は行為だけで成り立っているのではありません。口にする言葉や心で思うことも大切な要素です。行いだけが重要であると考えてはいけません。確かに行いが重要であることは事実ですが、言葉や思念も、あなたという存在の大切な一部なのです。よく言われるように、多くの人間が思想の主人ではなく、その奴隷となっています。


〔シルバーバーチがしばしば取り上げるテーマの一つが、地上人類は皆、肌の色に関係なく同胞であるということである。ある日の交霊会で次のように述べている。〕

私たちは一人の例外もなく大霊の一部です。そのうちのある者の肌を赤くし、ある者を黒色にし、ある者を黄色にし、ある者を無色(白色)にしました。しかし、こうしたことは大霊の計画の一端なのです。

いつの日か、大霊の摂理に対する理解が行きわたり、すべての肌の色の人々が混じり合い、互いに愛の心で睦み合うようになれば、地上に調和が訪れるようになります。あなた方は、肌の色の違いが意味するところを理解していません。異なる肌の色が与えられたことには重要な目的があり、それぞれが生命の摂理の成就に貢献することになるのです。すべての人種が一つに混じり合い、人間を肌の色で見分けるのではなく、その奥の魂で見分けるようになるまでは地上界に真の平和は訪れません。

このサークルが、地上のほとんどすべての人種から構成された一つの共和国になっていることにお気づきでしょうか。そこにはあなた方地上人に対する教訓があります。どの民族も他の民族にはないものを所有しており、そうした独自のものをそれぞれが持ち寄ることによって最高のものができ上がるのです。黄色人種には黄色人種ならではの貢献の場があり、白人には白人ならではの貢献の場があるということですが、地上人類は、こうしたことに理解が及んでいません。

あなた方は自らが大霊の一部であることを忘れてはいけません。あなた方一人ひとりが、大霊の仕事・大霊の力・大霊の愛・大霊の知識に貢献できるのです。例えば、自分よりも力の劣る人を少しでも向上させてあげようとするなら、大霊の力があなた方を通して顕現することになるのです。

それをいかなる形でするか、手を差し伸べる相手が誰であるか、どこで暗闇に光明をもたらすかは問題ではありません。挫折した人々を元気づけ、弱っている人々に力を与え、暗闇に光明をもたらし、飢えている人々に食べ物を施し、身を横たえる場所もない人々に休息の場を提供してあげることです。

それらの一つひとつが大霊の仕事の一部なのです。そうした努力をしていればどこにいても常に、あなた方を援助するための霊力がもたらされ、魂を鼓舞してくれます。そして、あなた方の想像を超えた結果を生み出すことになるのです。

大霊が働きかけるのは教会や大聖堂や寺院ではありません。霊力に反応する人がいれば、そこがどこであろうと大霊は誠意に燃えた高級界の霊団を派遣します。地上の人間はとかく大霊の働き場所を限定して考え、特別な資格を持った人々を通してのみ働きかけると思いがちですが、地上界へつながる通路さえあれば、どこであろうと、いつであろうと、誰であろうと、その通路を使って働きかけます。

霊力には地上的な差別――階級や肩書き、社会的地位や肌の色、国家や民族の違いなどは関係ありません。霊力に反応する人であれば、それが誰であろうと、そこがどこであろうと、高級界から霊力を注いで精神を明るく照らし、魂を鼓舞し、神のブドウ園の園丁えんていとして使用します。(「ブドウ園の園丁」は、マタイ伝の「神の国はブドウ園で働く人を雇うために朝早く出かける主人のようなものである」から――訳注

どうかこのことをしっかりと学び、大霊と大霊の子供たちのためにという決意のもとに、暗闇と重圧と嵐と困難の中で苦しんでいる人々の重荷を少しでも軽くし、新たな希望・新たな知識・新たな光明・新たな力を届けてあげてください。そうすれば、それを授かった人は身体に新たなエネルギーが満ち、精神は勇気にあふれ、霊は生気を取り戻して、大霊から授かっている資質の素晴らしさを満喫することになるでしょう。

そしてあなた方は、自分自身には何も求めず、ひたすら他人の霊的向上のみを目的とする真の奉仕(サービス)の喜びを味わうことになります。


〔これまで地上人類に知らされていなかった“重大な秘密”が明かされる。〕

大霊は無限の存在であり、あなた方はその大霊の一部です。もしも完璧な信念を持ち、正しい人生を送れば、大霊の恩寵おんちょうにあずかることができます。

地上界のすべての人間が完璧な信念を持てば、大霊はそれぞれの願いを喜んで聞き入れてくださることでしょう。魂が真剣に求め、しかも大霊に対する絶対的信念に燃えていれば、必ずやその望みは叶えられることでしょう。

神(大霊)の摂理はそのようにして働くのです。摂理に順応した生活を送っていれば、望み通りの結果が生じるようになっています。結果が出ないということは、摂理に一致した生き方をしていないことを示しています。

歴史をひもといてご覧なさい。最も低い階級、最も貧しい環境にありながら、神の摂理に忠実に従う努力をしたために道を踏み外すことがなかった人たちがいます。摂理に合わせようとしないで、“なぜ神は働かないのか”と不平ばかり言っている人間を相手にしてはいけません。

時には押しつぶされて不遇から抜け出せないこともあるでしょう。しかし、完璧な信念に燃えていれば、いつかはきっと地上生活での困難を克服することができます。大霊の象徴である太陽に向かってこう言うのです――「私は大霊の一部だ。私を破滅させるものは何もない。私は永遠の存在だ。無限の可能性を秘めた存在なのだ。有限の物質界のものは決して私を傷つけることはできない!」と。もしこれだけのことが言えるようであれば、あなたが傷つくことは絶対にありません。

多くの人が心に不安や恐れを抱いて出発します。望み通りの結果が得られないのではないか、という不安です。その不安の念がバイブレーションを乱すのです。しかし「完全なる愛は恐れを取り除く」(ヨハネ第一の手紙四)、「まず神の国とその義を求めよ。そうすればそれらのものはみな与えられるであろう」(マタイ六)との言葉があります。

これは、はるか遠い昔、摂理を完璧に理解した人物によって述べられた教えです。彼は、摂理を実践すれば常にその結果がともなうことを示してみせたのです。あなた方も、摂理が働くような条件を整えさえすれば、必ずや望み通りの結果が得られます。

もう一つ別の摂理をお教えしましょう。それは何の代価も支払わずに入手できるものは、この地上界には何ひとつないということです。代価を支払わずに霊的能力を開発することはできませんし、魂の富を蓄えることもできません。霊的成長をおろそかにして金儲けにうつつを抜かしていると、そちらの世界では金持ちと言われても、こちらの世界では哀れな貧しい魂になってしまいます。

人間はその内部に、何よりも貴重な「神性」を宿しています。あなた方は大霊の一部なのです。地上のどこを探しても、それに匹敵する宝や富は存在しません。私たちは、魂の内部の鉱脈を探査し、肉体的本性の奥に埋もれた霊のダイヤモンドをいかにして引き出すか、それをお教えしようとしているのです。

そのためには霊界の最高の界層のバイブレーションに反応するようになっていただかなくてはなりません。あなた方は決して一人ぼっちではないこと、周囲には常にあなた方を愛する大勢の霊たちがいて、見守り、導き、援助し、鼓舞しようとして待機していることを知っていただきたいのです。そうした中で霊性が開発されていくにつれて少しずつ大霊に近づき、摂理と調和していくようになることを悟っていただきたいのです。

あなた方は、大霊の子供である地上の同胞に奉仕することによって大霊に奉仕することになります。同胞のために役立つことをしているとき、大霊の無限の腕に抱かれ、その愛に包まれ、それが完全なる安らぎをもたらしてくれるようになります。

何の根拠もなく、ただ信じるというだけの信仰では、厳しい試練の嵐が吹けばひとたまりもなく崩れてしまいます。しかし、正しい霊的知識から生まれた信仰には確固たる土台がありますから、いかなる試練の嵐に遭っても揺らぐことはありません。

証拠を何ひとつ見なくても信じることができる人は幸せです。しかし、この宇宙が大霊の愛と叡智から生まれた霊的摂理によって支配されていることを信じることができる人は、なおいっそう幸せです。

その意味で、ここにおられる(ハンネン・スワッファー・ホームサークルの)皆さんは、霊的知識から生まれた完璧な信仰を持たなければなりません。皆さんは霊力のあかしを手にしておられます。万事うまくいくという信念、大霊の摂理と調和して生きればそれ相当の実りを手にすることができるとの信念を持たなければなりません。

人間は“邪悪”と呼ばれるものの影響を受けてしまいます。しかしその邪悪なるものは、心の中から完全に追放することができるのです。なぜなら皆さんは、大霊とその摂理の保護のもとに生き、行動しておられるからです。

心に邪悪なものがなければ、善なるものしか近づきません。善なるものは、善なるものが支配するところにしか存在できないからです。霊界からこの交霊の場に訪れるのは大霊の使者のみです。恐れを持つ必要はありません。あなた方を包み込んでいる力、あなた方を支え導き鼓舞しようとしている力は、大霊から発しているのです。

その力が試練と苦難に際してあなた方を支えてくれます。嵐を鎮めて晴天とし、絶望の暗闇から知識の光明へと導いてくれるのも、その力です。皆さんは進歩の正道をしっかりと踏みしめておられます。不安に思うことは何ひとつありません。

「完全なる愛は恐れを取り除く」とイエスは述べていますが、正しい知識は恐れを打ち払います。恐怖は無知から生じるものだからです。愛と信念と知識のあるところに恐怖は居すわることはできません。進化した魂は、いついかなるときも恐れることがありません。人生のどのような局面に際しても、自分は大霊であるがゆえに克服できないものはない、との確信があるからです。

恐怖心は魂の牢獄をつくります。ですから恐怖が頭をもたげかけたら、その波動に巻き込まれることなく、それを抑え込み、信念を持ってこう自分に言って聞かせるのです――「自分は大霊なのだ。地上の出来事で動揺などしない。魂に宿る無限の霊力でいかなる困難も凌いでみせる」と。あなた方は、あらゆる困難を克服する力を授かっているのです。その無限の力を見限ることがあってはなりません。

大霊の法則は、物的なものと霊的なものの両方を支配しています。宇宙という大霊の王国には、そうした区別はありません。物的生命を霊的生命から切り離して考えてはいけません。本来は別個のものではないのです。一つの大生命があり、それにいくつもの側面があるにすぎません。物的なものは霊的なものに反映し、霊的なものは物的なものに反映します。

大霊の摂理に一致した生き方をしているかぎり、克服できないような困難は生じないということを知らなければなりません。遭遇している困難や障害が取り除かれてしかるべきものであるなら、私たちの力で排除できないものはありません。

もしも苦しみが余りにも耐えがたく思われるときには、こう理解してください。私たち霊界の者は、あなた方の苦しみを取り除くために自分自身の進化の歩みを止めて努力します。しかしあなた方としては、その苦しみに耐え抜き、辛い体験を通して教訓を学び取る方が賢明であるということです。この短い地上人生のことだけを考えてはいけません。永遠の生命を視野におくことです。

物質界の人間も、物的であると同時に神性を宿していることを理解すれば、どれほど地上で生きやすくなることでしょう。悩みはたちまち消え去り、障害物も取り除かれることでしょう。ところが人間は内在している霊的な力を信じません。あなた方の言う“人間らしさ”とは地上界だけに属するものですが、霊力は大霊に属しているのです。

その昔、イエスは「地上を旅する者であれ。地上の住民となるなかれ」と言いました(聖書には見当たらないが、モーゼスの『霊訓』にも引用されているところをみると、事実そういう言葉を何度も述べたのであろう――訳注。地上人は、お金を持っている人間ほど悩みがないと思いがちです。“悩み”というものが相対的なものであることに気がつかないのです。大霊の摂理を金銭でごまかすことはできません。

あなた方は人間性を強化するために地上界へ来ています。それがなされるかどうかは、遭遇する難問にどう対処するかによって決まります。内在する霊力によって克服できないような問題は、地上には生じません。なぜなら、いかなる難問もしょせんは地上的・物質的なものにすぎないからです。あなた方は大霊の一部であり、神性を宿していることを忘れてはなりません。

真の幸福とは、大霊と一体になった者に訪れる安らぎのことです。それは心が大霊のリズムで鼓動し、大霊の意思と一致し、魂と精神が大霊と一つになっている状態のことです。大霊の摂理と調和しているから安らぎがあるのです。それ以外に安らぎは得られません。

この私にできるのは、摂理についてお教えすることだけです。イエスは二千年前に、「天国はあなた方の中にある」と言いました。外部のどこかにあるわけではありません。ましてや物質界の喧騒の中には存在しません。それは魂の内部に見いだされるものなのです。

神の摂理は絶妙なバランスを保ちながら完璧に働いていますから、いかにそれをごまかそうとしても不可能です。どのような人間も、罰せられるべきものが見逃されたり、報われるべきものが見落とされたりするようなことはありません。物的な目で永遠を判断してはいけません。より大きなものを見ないで小さなものを裁いてはいけません。

束の間の地上的な喜びと永遠の霊的な幸福とを混同してはいけません。地上的な喜びは安っぽい一時いっときのものにすぎません。あなた方は地上的な観点から考えがちですが、私たちは霊的な目で見ます。あなた方を喜ばせるために摂理を曲げて説くわけにはまいりません。

霊界から地上界へ戻ってきた者(交霊会で出現した霊)に尋ねてごらんなさい。誰もが「摂理は完璧です」と答えるはずです。そして二度と地上へは再生したがりません。

あなた方は外部に安らぎを求めようとしますが、私はあなた方の内部にある永遠の安らぎを見いださせてあげたいと努めています。最も価値あるものは内在する霊的宝なのです。

常に何かしら不満を抱いている人がいるものです。それは地上世界だけでなく、こちらの世界でも同じです。彼らが満足できないのは、自分がもっと完璧になれると思っているからです。神の道具として、まだまだ十分ではないと思っているからです。まさに人間は、自己との闘いを通して自らの不完全さを克服し、神性の開発が可能になるのです。

まだ為すべきことがありながら、満足していられるでしょうか。生きるうえで欠かせないものに不自由している物質界の子らを見て、安穏としていられるでしょうか。神の名のもとに間違った教えが説かれているのを聞いて、私たちが安心していられると思われますか。

光があるべきところに暗闇があり、自由であるはずの者が強欲さによって自らの魂をがんじがらめにし、地上界のどこもかしこも混乱し、無秩序な状態にあるのを見て、私たちが心を痛めずにいられると思われますか。

私たちは、あなた方を通して大霊の愛が地上界に流入するように努めていますが、いまだに多くの大霊の子らが本来受け取るべきものを得られずにいるのです。大霊は必要なものは十分に用意してくださっているのに、それを授からない人がいるのです。他の人間が飢えているのに、自分だけが満ち足りて平気でいるようでは、霊格が高い人間とは言えません。

私たちの仕事でいちばん辛いのは、時としてあなた方が苦しんでいるのを傍観しなければならないことです。その苦しみがあなた方の魂にとって必要な闘いであるために、私たちは手出しをすることが許されないのです。あなた方がその闘いに勝利すれば、それは私たちにとっても勝利であり、あなた方が敗北すれば私たちにとっても敗北なのです。あなた方の闘いは常に私たちの闘いであるにもかかわらず、あなた方を援助することは一切許されません。

時々、私は涙を流すことがあります。救いの手を差し伸べてはいけないことが分かっているからです。それが摂理だからです。そのときの私の苦痛は、苦しんでいる本人よりも大きいことを知ってください。

皆さんに代わって私が問題を解いてあげるわけにはいきません。それは皆さんの自由意志に干渉することになるからです。もし私が、この霊媒(バーバネル)にああしろこうしろと指示し始めるようになったら、それはこの霊媒の自由意志が失われたことを意味します。それきり彼の進歩は止まってしまいます。

あなた方一人ひとりの内部に宿された霊性が発達するのは、日常生活で生じる問題をいかにして解決していくか、その努力をしているときです。何もかも楽に片づいているうちは成長しません。

ただし、私にも干渉を許される場合があります。この霊媒を通じての私の仕事が妨げられるときには、チャンネルであるこの霊媒の自由を確保するために、邪魔を排除する手段を講じます。しかし、この霊媒の霊性の進化に関わることはすべて本人の自己責任ですから、あくまでも霊媒自身の努力で解決していかなければなりません。


〔別の日の交霊会で――

霊的真理を説く人には、大きな責任が背負わされています。もしその責任に反するなら、地上生活の間に、または死後にその代償を払わなければなりません。

時おり私がうんざりさせられるのは、霊界からの“高度な教え”を求めるだけで、何ひとつ困っている同胞のために手を差し伸べようとしない人間がいることです。人は成長するにつれて霊的真理と大霊の摂理を深く理解するようになっていきます。

真理の追求ばかりしている人たちが、少しでも地上を明るく住みやすい世界にするために、人々への奉仕に立ち上がるなら、それこそ“最高の教え”を実践することになるのですが……


〔地上界の問題の大半は自由意志の使い方を誤っていることから生じていることを強調して――

人間は戦争が起きると、「なぜ大霊は戦争をやめさせないのか」とか「なぜ未然に防いでくれないのか」と思うようですが、大霊の摂理を無視している以上、責任は人間自身にあるのです。

行為が生み出す結果は絶対に避けられません。私たちには、大霊の摂理を変えることはできません。蒔いた種が生み出す結果は、自分で刈り取らなければならないのです。利己主義という種を蒔けば、それ相当の結果を刈り取らなければなりません。高慢・嫉妬・怨恨えんこん・貪欲・敵意・不信・猜疑心さいぎしん――こうしたものがつもり積もって、戦争・困窮こんきゅう・不和といったものを生み出します。

私たちは大霊の摂理をお教えしようと努力しているのですが、私たちが地上界へ降りてきた目的を理解できない人たちから、しばしば非難されます。しかし私たちには、大自然の摂理を明かすこと以外には何の意図もありません。というのは、地上界を支配しているのは大霊の摂理以外の何ものでもないからです。それを“宗教”と呼ぼうと“科学”と呼ぼうと“哲学”と呼ぼうと“神の自然法則”と呼ぼうと同じことです。

摂理に逆らった生き方をする人は、一人の人間であろうと大勢の集団であろうと、民族であろうと国家であろうと、いつかはその代償を払わなければなりません。摂理の働きが完璧であることはいつも説いている通りです。その働きは人間の目には見えないかもしれませんが、原因と結果は常に連鎖しています。摂理がそのようになっているからです。何度も述べてきたことですが、それを改めて説くのは大霊の摂理がすべてだからです。

私たちは、大霊(神)とは何かを明らかにしようとしていますが、それは摂理を通して大霊を明らかにすることにほかなりません。私たちは、大霊の摂理をお教えしようとしているのです。それによってあなた方は、摂理と調和した生活が可能になります。もちろん自由意志が与えられていますから、摂理に従うか否かはあなた方の選択に任されています。一個人であろうと集団であろうと同じことです。

何事も摂理にのっとって行動し、それに反することがないようにしなければならないという認識が行きわたるまでは、地上界に混乱と破滅と惨事が絶えることはないでしょう。

私たちとしては、永遠の霊的真理をお教えすることしかできません。なぜなら霊的真理だけが、物的なものが崩壊しチリとなったあとも存在し続けるからです。物的なものだけに目を奪われている者は大きな過ちを犯しています。幻影を追いかけ、永遠の実在を忘れているからです。霊的真理といっても至って単純なことばかりです。それなのに地上界の人間は、いまだに真理を理解していません。

苦痛と落涙、流血と悲しみを通してしか霊的真理を学べないというのであれば、それもやむをえないでしょう。私としては、できることなら私たちが示してきたように愛と奉仕の精神を通して学んでほしいところです。しかし、それができないとなれば、摂理に反した生き方に対する代価(痛み)を払って学ぶしかないでしょう。

地上界で大人物と言われた人が霊界でも大人物と言われるわけではありません。こちらの世界での偉大さは、魂の偉大さ・霊性の高さ・奉仕精神の豊かさで計られます。これらは物的世界での輝きが消滅したあとも末永く存在し続けます。

自由意志は大霊から授かった権利です。が、その使用を誤ると代償を払わなければなりません。摂理にのっとった生き方をすれば豊かな恩恵を手にすることになります。もし摂理に反した生き方をするなら、それ相当の結果を刈り取らなければなりません。前者は平和と幸福と豊かさをもたらし、後者は悲劇と戦争と流血と混乱を招きます。

私たちは、本来なら大霊の子供たちの教育者であるべき立場の人々から軽蔑されています。私たちが大霊と大霊の愛の名のもとに地上へ降りてきたために、私たちを歓迎するはずの人間から拒絶されています。私たちは「お役に立ちたい!」との願望に燃えて、あなた方が自ら地上世界を救うための摂理と霊力についてお教えしようとしているのですが……

霊的無知に浸りきり、儀式や作法に取り囲まれ、さらには神の霊力が今日でも地上界に注がれていることを否定するようでは、その代償を払わざるをえません。(英国国教会では神は紀元六六年まで地上に働きかけ、それ以後はいかなる働きかけもしないという信仰がある――訳注

私たちは人のために役立つことを願う人々の味方であり、破壊をもくろむ者たちにとっては敵なのです。私たちは、手助けすることができる所ならどこへでも、愛と奉仕の翼に乗って降りてまいります。それこそが、私たち全員が果たさなければならない仕事だからです。

それには困難と障害が立ちはだかることは覚悟しています。しかし、私たちは必ず克服します。潮流のように満ち干を繰り返すことでしょうが、最後は必ず勝利します。

私たちだけでは大きな仕事はできませんが、あなた方地上の人々と協力すれば、幾ばくかの仕事はできます。一個の魂を引き上げ、暗闇にいる人に光明をもたらし、弱っている人に力を貸し、逆境に喘ぐ人を慰めてあげるなら、そのとき私たちは価値ある貢献をしたことになるのです。


〔一人ひとりの人生上の出来事には明らかな傾向が見られるという意味において、自由意志にも制約があると言えるのか、と問われて――

一定の傾向があるのは事実ですが、それは宿命的にどうしようもないものではありません。人間はさまざまな放射物や影響力に取り囲まれていて、その多くが人間の運命に何らかの影響を及ぼしていることは事実です。しかし、大霊は人間の一人ひとりにご自身の一部・霊性の一部を与えてくださっており、各自の進化のレベルに応じて自由意志を適切に行使すれば、霊性開発の道で生じるいかなる障害も克服できるようになります。あなたが大霊であり、大霊があなたなのです。

大地に蒔かれた種子は、その成長を正しく促すものを与えれば芽を出し、成長し、見事な花を咲かせます。それと同じで、あなたという存在の中に大霊の種子が植え込まれているのです。あなた自身が庭師です。その種子が花を咲かせられるかどうか、あるいはいつ花を咲かせるかは、あなたの手入れ一つにかかっています。そこにあなたの自由意志が関わっているのです。

せっかくの種子を暗闇の中に置き去りにして、魂の成長や慈悲や無私の善行という光を与えなければ、大霊があなたを通して顕現することにはなりません。


〔苦難の価値について問われて――

あらゆる体験が、あなた方の永遠の人生模様の一部を構成します。あなた方はとかく、この世だけの出来事によって永遠の人生を判断しようとします。目に見える物質世界の混乱状態だけで判断し、地上生活のすべてを通して一本の神聖な糸が貫いていることが理解できません。

調和を基本的摂理とするこの大宇宙においては、あなた方一人ひとりが大霊の計画に貢献しているのです。地上生活には、時として辛さと絶望、痛みと悲惨さがともないますが、そのすべてが魂にとって永遠の旅路に向かうための準備なのです。

暗黒と光、陰と日向ひなたといった対照的なものも、実は一個の統一体の反映にすぎません。陰なくしては光もあり得ず、光なくしては陰もあり得ません。それと同じで、困難は魂が向上するための階段です。困難・障害・ハンディキャップ――こうしたものは魂の試練なのです。それを克服したとき、魂はより強くなり、より純粋になり、より深くなり、いっそう進化するようになるのです。

無限の可能性を秘めた魂の潜在能力が、困難も苦痛もなく、陰も悲しみも悩みも悲惨さもなしに発現すると思われますか。発現するはずはありません。

悲哀の極みをなめ尽くして初めて、魂の奥底からの喜びが味わえるのです。生命の階段を低く下りるほど、それだけ高く上がれるのです。地上人生の陰と思える体験を重ねるほど、日向の喜びがひとしお身に沁みるようになるのです。

すべてのことが霊性進化の肥やしになります。そのうち皆さんも、肉体の束縛から解放されて曇りのない目で地上人生を振り返るときがまいります。その時、紆余曲折した出来事の中で、それらの一つひとつがちゃんとした意味を持ち、すべての体験が皆さんの魂を目覚めさせ、その可能性を引き出すことになっていたことを理解するようになるはずです。

魂にとって、正しく理解し正々堂々と立ち向かって何の益ももたらさないような体験は一つもありません。いったい、困難も試練も問題もない物質世界というものが想像できるでしょうか。そうした世界では何の進化も得られません。克服すべきものが何もないからです。あるのは堕落のみです。

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